ユイ31
出店の準備で多忙を極めていた彼。
コマツくんは、会社登記や許可、資格関係で動き回っていた。
イシハラくんは、近隣店舗の情報収集と、スカウトをしていた。
彼は、業者との打合せや部下への指示、営業スタイルを考案していた。
3人は仕事のほとんどを仕事に費やしていた。
私に気を使ってくれたのか、2人っきりで食事をする時間を取ってくれた。
「わざわざ時間取ってくれたりした?」
「もちろん」
「ごめんね。気を使わせちゃって…」
「可哀相だとは思ってたよ」
「本当に?」
「付き合ってから、どっかに連れて行ったのは、正月だけだろ?」
「そうかもね」
「丸一日オフって日も作れないからな」
「しょうがないと思ってるよ。でも全然、我慢出来る」
「そうか。俺は強がるけど、ユイは強がるなよ」
私の全てをお見通しだった。
その彼の一言で、肩の力が抜けた。
私と彼は、久しぶりにゆっくり話せた。
「ちょっと飲みにでも行くか?」
「静かなところがいいね」
「決まったところしか行かないからな。ユイはどこがいい?」
「一緒ならどこでもいい」
「じゃ酒買って、部屋で飲むか」
「私も今、それを考えてた」
コンビニへ寄ってから、帰宅した。
「1つ聞きたいことがあるの」
「何?」
「この頃、楽しくない?」
「どうして?」
「前より冗談言わなくなったり、笑顔が少ないような気がして」
「全然そんなことないと思うけどな」
「私の目から見て、明らかに違うように見えるよ」
「本音言おうか?」
「う、うん」
ネガティブな私が現れた。
私が主因となって、そうだと言われたらどうしよう。
足手まといになっていると言われたらどうしよう。
彼は仕事一本だと言った、ユミさんの言葉が頭を過る。
「今、すごい楽しいよ」
「そ、そうなの?」
「味わったことの無い、楽しさで満ちてるよ」
「でも表情が以前と違うような…」
「ゲラゲラ笑うような楽しさじゃないんだよ。何て言うかな…」
「実感するような?」
「それが1番近いかな」
彼はこれから商売をやる準備が楽しくてしょうがないと言う。
「プレッシャーとかはないの?」
「あるよ。今はそのプレッシャーも心地良いと言ったらカッコ付け過ぎだけどね」
「それに近い感覚なんだ」
「だな」
「すごいね」
「俺がすごくない男と思った?」
「世界一の男だと思ってるよ」
「だろ」
今の彼には、自信過剰も良く似合う。
「でも全てに於いて怖いのが、正直な気持ちだな」
「え?」
「ユイと結婚して子供が出来て」
「うん」
「路頭に迷わす訳にはいかない」
「はい」
「イシハラやコマツも、俺を信じて着いてきた。あいつ等も裏切る訳にはいかない」
「会社と従業員が増えれば増えるだけ、怖さが増す…?」
「俺は結果が構築される毎に、自信が積み重なっていくタイプなのよ」
「分かる気がする」
「良い結果を産むまでが、きっと大変だろうな」
「大丈夫、私がずっとそばに居るから」
「俺はユイが居ないとダメだから、助けてもらうよ」
彼が見せた意外な面々。
この夜の話の内容は、しばらく私以外には耳にすることはないだろう。
みんなは彼をスーパーマンのように思っている。
でも経験が裏打ちされた自信がないと怖いと暴露した。
きっとそれは誰でもある気持ちなのだろう。
私はどんな状況においても彼のそばで支えたい。
愛してくれなくてもいい。
私が彼を愛することを認めてくれれば。
その夜は、私も酔った。
私にしか言えないことをたくさん話してくれた彼に、喜びを隠せずに居た。
少女のように彼に甘えた。
その時間はゆっくりで心地良く、とても幸せを感じた。
イチャイチャしてるうちに、私からえっちを求めた。
翌日、目が覚めると彼はすでに出掛けていた。
時計の針は、15時を指そうとしていた。
「やだ…」
寝坊もいいところだ。
おそらく、彼は午前中から仕事に出ているはずだ。
店に向かう支度をしたとき、異変を感じた。
激しいめまいが頭を襲う。
ベッドから立ち上がろうとしたが、そのままベッドに逆戻りし倒れ込んだ。
明らかに通常ではない、動悸。
確かに昨夜は飲み過ぎた。
貧血だろうか。
しばらくすると体に力が入るようになった。
この1年で突然、具合が悪くなる。
病院に行ったが、問題は無いだろうと言われる。
これから彼の仕事が本番を迎えるのだ。
それまでに体調管理をし、万全の体制で挑まなければ。
やはり、病院で事細かに調べてもらおうと思った。
店舗契約から2週間が経過していた。
内装工事は、彼の出店を逸早くさせようと突貫工事をしてくれていた。
その他、法人登記や許可関係も順調に進んでいた。
一段落すると、みんなで食事をしていた。
「ねえ。明日と明後日なんだけど、親戚に不幸があって千葉の方に行くことになったの」
「そうか。近い人なの?」
「私の母親の兄。だから私の伯父になるの」
「分かった。じゃあ行ってきな」
「私が居なくても大丈夫?」
「ん?大丈夫だよ?」
「私無しで2日も生きていけるの?」
「え?あ!寂しくなるけどしょうがないよな」
「私、2日間も離れて泣いちゃうんだろうな。可哀相に…」
「あの…俺ら席外した方がよろしいですか?」
これは病院に行く為のカムフラージュだった。
私の体に、何か重大なことが起こっているような気がしたからだ。
彼に真相を隠す行為は、さすがに後ろ髪が引かれる思いだった。
「俺らは大阪にでも行くか。流行の発信源は大阪だからな。研修を含めて2泊3日くらいで」
「あーあ。みんなが大阪に行っている間に、ユイは孤独死していくんだ。可哀相に…」
マナブくんもマナブくんだ。
何もこんなときに大阪に行くことはないのに。
本当のことを言っていない私も悪い。
大人しく病院へ検査に行こう。
彼が居ない間、じっくり病院で調べてもらうことにした。