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ユイ26

彼の独立で盛り上がってる最中、私は体の異変を感じた。


咳をしたとき、液体のようなものが口の中にあることに気がついた。

「何?」

それは少量の血だった。

咳込んでいた訳でもない。

ましてや大声を張り上げていた訳でもない。


私は翌日、病院へ向かった。

「外傷的なものはありませんね」

「そうですか」

「詳しく検査をするなら承りますけど、今のところ大丈夫そうなんで様子を見てください」

「分かりました」

特段、どこかが悪い訳では無さそうだった。

体調の異変を感じたら、精密検査をすればいい。

そう思いながら、病院を跡にした。


そして彼と私の退店する日を迎えた。

彼は出勤するとき、やっぱり切ないと言っていた。

そして、少し早めに家を出て行った。


私は彼ほど今の店に感情は無い。

確かに私に合っている仕事だと思ったが、それは仕事であって店ではない。

いつも通りの時間に家を出た。


店では仲の良い女の子、数人と店長しか退店の話はしていなかった。

もちろん、客にも一切、話はしていない。

店や客が困るというのは、私にとってどうでもよかった。

彼のように愛着も無ければ、割り切って仕事をしていた分、離れるのも楽だ。


いつものように制服に着替えて、メイクをする。

朝礼をして、指名客が来るまで待機する。

いつものように接客して、営業終了時刻を迎えたのだった。


私の希望もあって、終礼にも店を辞める話は伏せてもらった。

「ユイちゃん、今日さ、車で来てるから送ってく」

「ありがと」

声を掛けてきたのは、チハルだった。

着替え終わると、僅かな私物をまとめて持って帰った。

「お疲れ様」

「ユイさん!」

店長がチハルの車まで見送ってくれた。


「お疲れ様でした。ユイさんには本当にお世話になりました」

「いえいえ。店長もこれから頑張ってね」

「ありがとうございました」

頭を下げて、お礼を言う店長に少しの感情も無かった。

ミラー越しに見た店長は、涙を拭っていた。


「ああいうの嫌い…」

「だろうね。そう言うと思ったよ」

男なら、女に頭を下げて欲しくない。

しかもこんなことで涙を見せるなんて、女々しいにもほどがある。

「だから私は冷たいって言われるのかな」

「好みの差でしょ?私もユイちゃんみたいに、あんなのがいいと思えない」

「チハルもマナブくんみたいなの好み?」

「ユイちゃんが付き合ってなかったら、すぐ付き合ってって言うね」

「あはは」


優しいだけの男なら、世の中に溢れるくらい存在する。

私はそういう男は、優しさの押し売りと感じてしまう。

優しさとは、女が感じるところであって、押し売りされても困る。

彼に優しさを求めてないし、求めたこともない。

私が思うに彼は、ギラギラしているくらいがちょうど良い。

その中でも私だけに見せる弱さや優しさに、胸がキュンとするものなのだ。

「私ってMなのかな?」

「マナブくんはSだよね。でもユイちゃんもどっちかというとSだと思うよ?」

「彼の前でだけMで、その他はSなのかもしれないね」

「それが1番しっくりくるかも」


そんな話をしているうちに、彼のマンションに着いた。

「ユイちゃん、お疲れ様。これ…私のセンスだけど良かったら着て」

チハルは、服をプレゼントしてくれた。

「いいのに。ありがとう」

「また連絡するね。つまんなくなったら、そっち行くかも」

「あはは。彼に言っておくよ。ありがとね」

「また落ち着いたら連絡してよ」

「うん、分かった」

私と仲が良いチハル。

お互いに性格を知っているから、こんなときもドライだった。

「じゃお疲れ様」

「またね」


彼は営業が終わってから、真っ直ぐ帰宅すると話していた。

「送別会とかやってくれないの?」

「社長が仕切りでやってくれるって話なんだけど」

「そうなんだ」

「俺から断ったんだ」

「どうして?」

「ジメッとしちゃうのが嫌だから。真っ直ぐ帰ってくる」

「じゃ待ってるね」

お祭り騒ぎが好きな、彼らしくない意見だった。


午前3時を過ぎた辺りにインターホンが鳴った。

「はーい」

「両手塞がってるから、ドア開けて」

玄関の鍵を開け、ドアを開けると彼やキムラくん、コダマくんが居た。

「おかえり…すごい花束の量だね!」

「ユイちゃん、プレゼントとかはどこに置けばいい?」

彼はテーブルに花束をどっさり置くと玄関に戻ってきた。

「適当に置いといて。後で片付けるから」

「じゃあ俺ら帰るからよ」

「オープンの日とか決まったら連絡くれよ」

「分かったよ。ありがとうな。お疲れさん」


「本当に送別会行かなくて良かったの?」

「こんな胸を叩く痛みや想いを感じることはもう無いと思う。だから浸りたくてな」

「そうだったんだ。だから断ったんだね」

彼の荷物を持って、リビングへと進んだ。

玄関の方でドスっと音がした。

振り向くと、彼がうずくまると声を荒げて泣き出した。

そんな彼を見て、私はタオルを持っていった。

「終わっちゃったんだね。切ないよね」

私は彼に起こして、抱きついた。

彼の気持ちが痛いほど分かった。

涙がポロポロとこぼれ、泣き顔なのに笑顔で彼に話した。

「人生にはこんな素敵な想いをする時もあるんだね」

こんな子供のようにむせび泣く彼を初めて見た。

いつも彼は感情をストレートに出す。

彼に嘘偽りは無いのだ。

「あなたの喜びや悲しみは、全部私も同じように感じてるから。だから今の気持ちもすごく

 分かるの。だからもう泣かないで…」


新しい門出には、別れが付き物だ。

彼にとってその別れは、とても大きなものだったのだろう。

キングという店を、彼は青春だったと言った。


キングを辞めた今日は、彼の卒業式だったのかもしれない。


卒業と同時に、必ず始まりはやってくる。

私は彼を一途に愛し、着いていくだけ。

彼はどんどん立派な男へと成長していく。


そんな彼を愛しく想う。

彼を心の底から愛している私。

私はやっと素直になれた。


自分のことをやっと好きになれたんだ。


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