作者にとっての伏線、読者にとっての伏線 ――他人様の作品について書かれた他人様の感想を見て・その1――
私は伏線というものが好きです。
子供の頃(小学生から高校生くらいまで)は、推理小説(特に謎解き要素の強い推理小説)が好きで読み漁っていたので、その影響だと思うのですが。
大人になってから、そうした小説を読まなくなってからも、おそらく嗜好自体は変わらないようです。アニメや漫画やライトノベルであっても、優れた伏線が描かれた作品に出会うと、それだけで嬉しくなります。
さて。
ある時、ある投稿サイトで。
あるネット小説を読んでいたら、感想欄で、このようなコメントを目にしました。
「読者は半年も昔の伏線なんて忘れている」
衝撃でした。よく「頭をハンマーで殴られたような」という表現がありますが、そんな感じでした。
同時に、ハッとしました。まさに「目から鱗が落ちる」という心境でした。
言われてみれば。
無料で読めるネット小説、特に少しずつ更新されている連載形式の場合。
最初から最後まで一気に読み進められる単行本とは違って、後半を読む頃には、前半の詳細を忘れているかもしれません。
お金を出して買って読む単行本とは違って、読者は作者が思っているほど真剣ではなく、適当に読み進めているかもしれません。
特に後者は、人気作家でないなら尚更でしょう。
なので。
伏線を仕込む時は。
わかりやすくバレバレなくらいで、ようやく読者の記憶に刻まれるのだと思います。伏線回収した時に「そういえばあったなあ」と思い出してもらえるのだと思います。
さもなければ、せっかく伏線回収しても、それを伏線としてあらかじめ示していたことに気づいてもらえない。それを「伏線回収」と思ってもらえない。仕込みを無視されたら、最悪の場合「唐突な展開に興ざめした」などと思われる可能性も‥‥‥。
そんなことを考えながら、私はネット小説を書いています。
本当は「わかりやすい伏線」と「わかりにくい伏線」の両方を用意して、「わかりやすい伏線」により、するりと納得できる爽快感を読者に与えつつ、「わかりにくい伏線」の意外性で、衝撃を受けてもらうのが一番なのでしょうが‥‥‥。
私には、まだまだ難しそうです。