4:追いかけて。
「竹永、次の授業、俺、当てられるんだけど」
休み時間の喧騒の中、拡声器でも使ってるみたいにほーちゃんの声だけははっきりと聞こえてくる。
あたしの机の前で彼氏の愚痴をこぼす友達の声が急激に遠のいて、耳は彼の声を追いかけ始めた。
「竹永、聞いてんのかよ。予習してきてねえの?」
郁ちゃんの反応は無い。
毎度のことになってるけど、ほーちゃんもよくあきらめずに話しかけるなあ。感心してしまう。
最近、郁ちゃんは元気が無い。
もともと表情の無い子だから、元気かそうでないかの判断がしづらい。
でも、一年の時、郁ちゃんはもっと笑っていた。友達とも楽しそうに話していたし、今みたいに机から離れないなんてことはなかった。
昼休みの時間も、誰かと食べてる時もあるけど、たいがいは一人でどこかに行ってしまってるようだ。
三年になってまだ二週間もたってないし、クラスにうまくなじめていない子もいるけど、郁ちゃんは少し重症な気がする。
自分から一人になろうとしてるようにしか見えないし……塞ぎこんでる。
もしかしたら、何かつらいことでもあったのかもしれない。
助けたい気持ちもある。けど、ほーちゃんのことが足枷になって、一歩踏み込めない。
ほーちゃんが郁ちゃんにちょっかいを出してるのが、羨ましくてくやしくて、郁ちゃんと関わることを敬遠してる。
あたし、嫌なやつだ。
悶々とそんなことを考えている間も、ほーちゃんはのん気な声をあげる。
「竹永、昨日送ってやった恩を忘れたのか」
ずんと響く言葉。いきなり肩に重りでものっけたみたいに体がこわばる。
やっぱり、昨日、ほーちゃんと郁ちゃんは一緒に帰ったんだ。
あの二つの影は、ほーちゃんと郁ちゃんだったんだ。
わかっていた事実も確証を得ると、脳みそがそれを勝手に受け入れて、勝手に傷つく。
どこかで、否定していたんだ。
あれは、ほーちゃんじゃないって。
「もし答えを教えてくれたら、今日も送ってやるぞ」
冗談半分のお気楽な言葉。
でも、あたしにはわかる。言葉のはしっこに込められた心。ほーちゃんは、探りを入れてる。
郁ちゃんがどう反応するか、試してる。
頭を抱えてうなりたくなる。
でも目の前の友達が「そんであいつの頭にチョップ入れたら、まじで怒られた」なんて笑うから、なんで頭にチョップ入れるような展開になってんの!? と脳内がツッコミをし始めた。
話を聞いてなかったから、今更「なんでチョップ入れたの?」なんて聞けない。気になるじゃないか。
そんなことを考えながらも、耳はほーちゃんの声に傾けられていて、頭の中は軽く大混乱だ。
「なあ、竹永」
「ああ! もう、うるさい!」
机を叩く乾いた音がして、教室が一瞬沈黙した。
チョップを入れている姿を実演していた友達も、手を振りかざした格好で目を丸くして郁ちゃんを見つめている。
「お前がうるさい」
ほーちゃんがからかうような声音でそう言ったら、クスクスと笑う声がここかしこから聞こえてきた。
そのおかげで、また教室は賑わいを取り戻す。
「郁ちゃんって、あんな風に怒ったりするんだねー」
チョップの手を下ろして、友達が小さくぼやく。
「郁ちゃん、ああいう時の反応、かわいいね。顔真っ赤になってる」
うつむきながらも、郁ちゃんはほーちゃんを睨みつけている。
ほーちゃんはそんな郁ちゃんをニヤニヤしながら見つめて、楽しそうに目を細めている。
なんだかな……。仲良く、なってるよね。
***
「なんか、きつい」
いつもは六人の友達と机を囲んでお昼を食べるんだけど、今日は智美を呼び出して、二人だけで昼休みを迎えた。
廊下の端にある窓に寄りかかり、教室を眺める。六組は一番端の教室だから、教室から出るとすぐにこの窓があるのだ。
「きついって、何が?」
サンドウィッチの封を切りながら、智美は声を弾ませる。お昼休みが一番元気な女なのだ。
「斜め後ろにほーちゃんがいること」
「えー。ラッキーだって言ってたじゃん」
カフェオレの紙パック片手に、一人教室から出て行く郁ちゃんの姿が目に止まる。
涼しげな表情ですたすたと歩いていく姿は、やっぱりどこか違う世界の子のように感じてしまう。
昼休み、一人で脱け出して、どこに行ってるんだろう? 別のクラスに行って、友達とゴハンでも食べているのかな。
とっつきにくいし、わからない子。郁ちゃんのことを「怖い」という子もいる。
「なにが、きついのよ? 言ってみなさい」
「郁ちゃんとほーちゃんが、だんだん仲良くなってってるの、わかるんだもん」
「えー。どこがあ?」
智美はあんまり周りを見ない。興味があるものにはしっかり食いつくくせに、そうでもないことにはものすごい無頓着だ。
「ほーちゃん、すごい郁ちゃんのこと気にかけてるよ。郁ちゃんがクラスになじめてないこと、気付いてるんだよ」
「優しいねえ。ほーのやろーは優しすぎるんだよ。だから、女が勘違いするんだ」
「でも、ちゃんとわきまえて優しくする人だよ。線引きしてる」
ほーちゃんは優しい。
でも、優しさを振りまく人じゃない。打算的な優しさじゃない。
彼を必要として、彼も必要とする人に優しいのだ。
「あ、噂をすれば」
智美の声で、心臓がぐっと痛くなった。
教室から出てきたほーちゃんは、あたりをきょろきょろと伺って、すぐに階段の方へと歩き出した。
少し不安げな表情。心配そうな、誰かを探す表情。
「晶子、あんたの言ってること、わかった」
智美も、感づいたんだろう。
「ほー、腹壊したな」
「絶対違うから」
トイレ探してる風に言うな。
「ちょっと見て来る」
いてもたってもいられずに、あたしも階段のほうへと進む。
行かない方が、きっといい。何か、嫌な予感がする。
ほーちゃんが向かった方向は、郁ちゃんが向かった方向だった。
見たくないものを見てしまう、そんな予感がする。
でも、駆り立てる。あたしの中の何かが、「見て来い」とあたしを煽る。
屋上へと向かう階段。
少しだけのぞいて、二人の姿を見つける。立ち入り禁止になっている屋上へのドアの前で、二人は会話を交わしていた。
近寄れない二人だけの空間が出来上がっていて、あたしは息を飲むことしか出来ない。
何を話しているのかなんてわからないし、二人の間に流れる空気が恋人同士のそれとは違うのもわかる。
でも、バリアでも張ったみたいに、あたしには踏み込めない、二人だけの空気がそこにあった。
ほーちゃんは、どうして郁ちゃんを追いかけたんだろう?
郁ちゃんは? 郁ちゃんは、どうしてここにいるの?
普段は何気なくしている呼吸が、妙に意識的になる。
スウ、ハアと気道を通る酸素の音と、心臓の音が重なって、どくどくと体を駆け巡る。
喜びなんて束の間すぎて、現実はいつだって冷たい。
でも、涙を飲み込んでしまうあたしは、強がりだけは誰よりも得意なんだ。
明日も更新いたします。
更新する時間は大体0〜3時です。
夜更かし大好きな方、夜型人間の方は、その時間にチェックしてください(笑)