27:空を歩く。
「いいところ、連れてってやるぞ。どうよ?」
「ちょっとだけなら、付き合ってやってもいいよ」
「まあ、うれしい」とオカマみたいに言いながら、岡島君はすっと肘を突き出す。
お姫様を誘う王子様のようだ。ってことはあたしがお姫様? うわ、柄じゃない。
「俺の隠れ家に案内しましょう」
「そのしゃべり方、気持ち悪いよ」
「正直者は損をする時代だぜ?」
しょうがない。少しくらいはこいつにノッてやってもいい。
突き出された肘に指の第一関節だけを引っ掛ける。
歩き出した岡島君の半歩後ろをついていきながら、色々思い出していた。
三年になって、怒涛の一ヶ月だった。
ほーちゃんと同じクラスになったことを喜んで、席が近いことを神様に感謝して。でも、うじうじしたまま、行動を起こせぬままに、恋は終わりを告げた。
嫉妬心や逆恨みみたいな気持ちを抱えて、怨念めいた感情を溜め込んだと思えば、気持ち悪いくらい妙な正義感に燃えてみたり。
右往左往する心についていけなくて、ひたすらに苦しかったけど。
すべてをひっくるめて自分なのだと思った。
汚い感情も綺麗な感情も、すべてあたし。
そういう自分を許容して認めてあげたいと思った。
誰かが、あたしを必要としてくれなくても、あたしはあたしが必要だ。
嫌いな自分もいる。だけど、嫌いになれない自分がいる。
だから。
今はあたしという人間を磨くんだ。
そしていつか、あたしを必要としてくれる人に、会えたなら。
――相手に与えることが愛なんだって。
智美の言葉を思い返す。
――今はきっと無理だろうけど。大人になった時に、結婚したいって思える人に対してそうなりたいよね。だからさ、今はいい恋をしたいよね。
うんうん、と噛みしめる。
いつか、近い未来なのか、遠い未来なのかわからないけど。
いい恋をするんだ。
次に恋に落ちる誰かに、精一杯恋をするんだ。
全部ぶつけて、砕け散るくらいの恋をしてやる。
「おい、大川」
「なに?」
「すっげえ遠い目してたぞ」
「妄想の世界に飛んでた」
「しっかり現実を見ろ」
「見たくなーい」
中庭を通り過ぎ、教師に見つからないように体育館の裏に回る。そこから右側に行けば、校庭に出られる。
ちょうど部室のバラック小屋が並んでいるから、人目にはつきにくい。
「岡島君ってさ、人に見つかりにくい場所見つけるの得意だよね」
屋上の階段といい、階段の裏側といい、サボり場所をわきまえてるとしか思えない。
「俺はゴキブリか」
「髪の色が同じかも」
「まじ!? うわ、嫌だ。俺、髪の毛黒く染めるわ」
髪の毛の黒い岡島君なんて想像つかない。すっごい真面目そうに見えたりして。
部室のドアに続く二段のほどの石段に腰かける。ちょうど屋根の下だから、濡れてはいなかった。
「ケンカ、したんだって?」
唐突に岡島君はそう言って、心配そうに眉尻を下げる。
「なんで知ってるの」
「加島が教えてくれた。なぐさめてやってくれってさ」
智美のやつ、よけいなことを。
あとで忠告しておかなきゃ。だけど、悪い気はしない。お礼を言ってもいいかな。
「別に、平気。女だって、殴り合って友情を深めることってのもあるのよ」
「すげーな、大川。男前だ」
あんまりうれしくない褒め言葉です。
でも、こんな風に自分のためでもなく突き動かされて、あんなことしでかすなんて、初めての体験だった。
ああいう熱さを持ち合わせてたことに驚く。
友達にケンカ売ってぶつかることができるなら、恋愛だってぶつかっていけるんじゃないの?
なけなしの勇気の使い道を間違った気がしないでもないけど、それもまあいいかと、思える。
「あたしさー」
足を投げ出し、空を仰ぐ。雲の隙間から見えていた青空の分量が増えていた。
「ほーちゃんに、結局ぶつからなかったな」
「そっか」
「きっと、後悔するんだろうなあ」
気持ちを告げずに終わった恋は、一体どれくらい心に残るんだろう。
やっぱり告白した方が良かったのかな。
でも、二人の邪魔をしたくない。気持ちをぶつけることが出来なかったことへの、言い訳に過ぎないけど。
「次はぶつかりゃいいんじゃねえの?」
「次の恋はいつ出来るんだろう」
「いつかは出来るだろ」
「そんなもの?」
「賭けてもいいぜ? 絶対だ」
絶対なんだ。
そっか、絶対なんだ。
「ねえ、岡島君の好きな人って誰?」
「な、なんだよ、突然」
「だって、郁ちゃんじゃないんでしょ?」
「まあ、そうだけど」
意地悪い顔を作って、岡島君を上目遣いで睨んでやる。岡島君ってどこか飄々としてるから、好きな人が誰かなのか全くわからない。
「内緒です」
「あたしは教えたのに」
「さあ、なんのことだか」
白々しい! 好きな人の一人や二人、教えてくれたっていいじゃん。
「とっとと告ればいいのに。あたし、手助けするよ?」
「俺は負け戦はしない主義でね。タイミングを見計らいますよ」
「玉砕したことあるのか、とかさんざん人には言ったくせに」
「さあ、なんのことだか」
嫌なやつ! すっくと立ち上がり、伸びをする。
雲に隠れていた太陽が顔を出して、地面に出来た水たまりに反射する。
見え隠れする青と、青を隠す白が、キャンバスに描いたみたいに地面を覆いつくしていた。
広い校庭のほとんどが、青空の色に染まってる。
「すごい! きれい!」
「この校庭、水はけが悪くて水たまりがすぐ出来るからな。雨降った後なんかはいつもこんなかんじだぞ」
「知らなかった」
「俺はこうして女をオトすわけですよ」
「その一言、いらない」
光がきらきらとゆらめいて、水は鏡になる。そこはまるで空の中。
頭上に空、足元に空。あたしは今、空の真ん中にいる。
足を弾ませて、水たまりに飛び込んでいく。革靴が汚れるのも、靴下が汚れるのも気にしない。
光が飛び散る。
空があたしの足跡をつけて、丸く波紋になって残る。映りこんだ雲の上でステップ踏むみたいに足を躍らせた。
あっちの雲に、そっちの雲に。
ウサギみたいにピョンピョンと飛び越える。
その度、光が水と一緒に跳ね回って、目を眩ませる。
滲む空の色は鮮やかなまま、地面に溶けて陽炎みたいに揺れていた。
心が軽くなるのを感じる。
そしたら、涙がじわりじわりと忍び寄ってきて、意味もわからず泣いていた。
泣かないことが、いつも笑っていることが、当たり前だったのに。
岡島君の前で泣いてしまったあの日から、あたしの中のでっかい壁は崩れ去ってしまったのかもしれない。
認めてしまうのは嫌だけど……岡島君がいてくれてよかった。
何も言わずにそばにいてくれた。
泣いてもいいんだって、思った。
いろんなことが、積み重なって。
自分で思うよりもずっと、つらかったから。
でも、知ってる?
気持ちはいつか雲みたいにふんわりと柔らかくなって、空に浮くんだ。
吐き出すほどに、繋がりを深くしてくれる。
飛んで跳ねて。
笑って泣いて。
そうして心は軽くなる。
「大川」
「なにー?」
「次の恋は、俺、応援しないからな」
「なんでよ?」
「さあな」
岡島君って、やっぱりよくわからない。
――いつか。
未来のどこかで。
誰かと一緒に歩けたら。
空を散歩するみたいに、足を弾ませて。
きっと、心の底から笑うだろう。
空を歩く。
雲を乗り越えて、青の果ての向こうまで。
一歩一歩、踏みしめ、ひたすら前に進んでく。
真っ青な空と真っ白な雲の中。
誰かと手を繋ぐ、明日を想像しながら。
あたしは、空を歩くんだ。
次回のエピローグで最終話となります。
***
失恋したばかりの友人Hが、ある日、ぼやいてたんです。
「次の恋なんて出来ない」
友人Yはケロリと「絶対、また誰かを好きになるよ」と言っていました。「絶対だ」と。
この物語の中で、誰かにこのセリフを言わせたかったんですが、岡島君が言ってくれました(笑)
絶対、また誰かを好きになれます。
これを読んでる方で、失恋したばかりの方がいたら、贈りたい言葉です(^^)
次回は蛇足感もりもりのエピローグです。
最後まで楽しんでいただけたら幸いです。