23:さようなら。
「ファミレス行く人ー」
三時間のカラオケも盛況の内に終わって、カラオケボックスの前で円を描くようにだべっていた。
もう八時近くになる。
繁華街から見上げる空は少し白っぽくて暗闇ではない。街の光が雲に反射しているんだろう。
ファミレスに寄ってご飯を食べたら帰ろうという話が、いつの間にかされていたらしい。
挙手する人は岡島君と愛美、智美を含めて八人。
あたしは帰ろうと思って手を挙げなかったら、智美に腕をつかまれて挙げさせられていた。
郁ちゃんもほーちゃんも手を挙げていない。
泣いてしまったせいで少し腫れぼったくなったまぶたを隠すように、郁ちゃんはジッと足元を見つめている。
一方、ほーちゃんはぼんやりと眠そうな目をこすっている。
一定の距離感を保つ二人がじれったい。
両思いのくせに、進まない。
告ったばかりのほーちゃんから歩み寄るなんて無理な話なのだから、やっぱり郁ちゃんからアクションを起こすしかないんだろう。
「えー! ほーちゃんも行こうよー」
一オクターブ高い声が聞こえて我に返る。愛美が薄い唇を尖らせて、ほーちゃんの腕に絡み付いていた。
頑張るなあ。あたしには真似できない。
一瞬、愛美は鋭い視線を郁ちゃんに投げかけた。敵意むき出しの火花が出そうな視線。
あたしの方が思わずびくりと肩を震わせてしまった。
闘争本能むき出しじゃん。とうの郁ちゃんは憮然とした表情をしつつも、気付いていないかのように目線をそらしている。
「ほーも来いよ。お前がいないとつまんねえし」
岡島君がほーちゃんの肩をにやつきながら叩く。ほーちゃんは「しょうがねえな」なんて言って、承諾してる。
「わー! ほーちゃん来るんだあ! うれしー」
愛美の心底嬉しそうな表情に見え隠れする女の敵対心は、郁ちゃんに向かって放たれる。
あっちの方向を見ている郁ちゃんを横目でチラチラと確認して瞳をぎらつかせる愛美は、いつもの愛美とは別人みたいだ。
「じゃ、あそこの交差点のファミレス行くか。行くやつ、ついてこーい」
岡島君の号令で、ファミレス組と帰宅組が賑やかに別れを告げあい分かれ始めた。
帰宅組の流れに乗って歩き出した郁ちゃんの腕をつかむ。
「いいの?」
「え?」
「だって、ほーちゃん……」
愛美のことを口に出すわけにもいかずモゴモゴするあたしの手をトントンと叩いて、郁ちゃんはいつも通りのやんわりとした笑顔を浮かべた。
「今日は帰る。ちょっと、疲れた」
「そっか。あたし、見張っといてあげる」
「見張る?」
「あ……うん。ファミレスのウェートレスにほーちゃんがナンパされないように見張っとく」
なにそれ、と郁ちゃんは明るく言って、手を振り去っていった。
郁ちゃんの細い足がキビキビ動くのを見送りながら、長いため息を吐く。
どっちつかずな人間だ、あたしは。
郁ちゃんを応援してどうする? ほーちゃんと郁ちゃんがうまくいくように橋渡ししてどうすんのさ。
しょうがないじゃない。
そういうポジションに自ら陥ったんだから。最高の道化を演じてやるだけだ。
***
ファミレスでの食事はさんざんだった。
ほーちゃんにすりよる愛美と、それを邪魔する岡島君と、面白がってる智美と、無視して食事したり会話したりするその他のみんな。思い思いに好き勝手に騒いで、九時半に解散となった。
駅に行く人と駅に行かない人で別れる。あたしとほーちゃんと智美を含んだ五人は駅に向かって歩き出した。
適当にバラけながら歩いていた五人は気付くと三人と二人に別れていて、あたしとほーちゃんがいつの間にか並んでいた。
「ほーちゃん、今日はちょっとお疲れだね」
「あー。姉貴が大暴れしてさ。付き合わされてあんまり寝てないんだ」
大暴れ? お姉ちゃん、どういう人なの?
「それだけじゃないでしょ?」
お見通しだよ、と意地悪く笑ってやると、ほーちゃんはわざとびくっと肩を跳ね上がらせた。
「郁ちゃん」
二重の瞳をさらに巨大化させて、あたしを見つめてくる。意外にわかりやすい人だなあ。
「話、ちょっと聞いたんだよね」
「話って、竹永に?」
「うん」
「うわあ、まじかよ」
くしゃくしゃの黒髪を掻いて、恥ずかしそうに唇をかむ。
「あたし、応援してるよ」
「え?」
「ほーちゃんの恋」
照れくさそうに空を仰ぐほーちゃんの目に、一等星が映り込む。少女マンガの目みたいにきらきらしてて、ちょっと面白い。
「届いてるよ、ちゃんと」
ほーちゃんの気持ちは、郁ちゃんに届いてる。
あんな風に頬を染めて涙ながらにほーちゃんの話をする郁ちゃんが、ほーちゃんに惚れてないわけない。
うらやましいよ。
郁ちゃんが。
郁ちゃんを惚れさせちゃう、ほーちゃんが。
「大川さんには、敵わないな」
「待ってあげなよ。女の子には考える時間が必要なんだよ」
「……ありがとう、大川さん」
見上げる空には雲をかぶったお月様。
白く淡い光は、周りの雲を群青色の世界で浮きあがらせる。
「ほーちゃん」
「ん?」
車が走り去って、排気ガスが立ち上る。漂う煙に紛れて、ほーちゃんの姿がかすんで見えた。
「好きだよ」
あたし、好きだったよ。
たぶん、本気で。
「きっと、郁ちゃん、ほーちゃんが好きだよ」
「そうだったら、いいけどな」
さようなら。あたしの恋。
この苦しさも悲しさも、いずれ心のどこかに収まって、高校時代の思い出の一ページとして懐かしくしまわれるのだろう。
時々思い出して、この苦しさに胸がぎゅっと痛んでも、「あんな恋が出来てよかった」と誇りに思うのだろう。
そうなる日まで、たぶんあたしは泣いてしまったりするけど、でも。
宝箱にしまって、鍵をかけて、大切に、永遠に。
いい恋したじゃん。
そりゃ、何も出来なかったけど。
それでも、一歩進めたはず。
だから、平気。
今は泣かない。
家に帰ってから、悲恋の物語のDVDをいっぱい見て、干からびるくらい泣くんだ。
それですっきりして、またいつか恋をするまで、女を磨くんだ。
空に浮かぶ、空色に染まった雲。
あの雲に乗る、あたしを想像する。
月明かりの下で、霧みたいな雲を飛びぬけて、隙間からほーちゃんの顔を伺う。
恋する男の子の顔は、ちょっとかわいい。
「ほーちゃん、握手して」
「いきなりだな」
「応援してやるんだから、激励の握手」
「意味わかんねえ」
ズボンの脇で手をこすらせ、差し出してくれた右手をぎゅっとつかむ。思っていたよりもずっと大きくて骨ばってる。
「頑張れよ」
ぶんぶんと振り回して、振り払う。
ずっと手を繋いだままでいたいけど。
離さないといけない。
さようなら、あたしの恋。
苦しかったけど、楽しかった。
うん。楽しかったよ。
失恋の痛手って、なかなか癒えないですよね。
でも、時がたつにつれ、きちんと納まるべきところに納まってくれるような気がします。
今回の話は、とある方へ捧げます。
次の恋がきっと素敵なものになりますように!(^^)/
拍手ありがとうございます!
コメントへのお返事はリンクしてあるブログにて!