16:あの空気に、気付いてた。
ゴールデンウィークの前日。クラスはにわかに活気付いている。
勉強のことよりも遊びの話で盛り上がってるあたりが、このクラスらしい。
「ゴールデンウィークなんて、ちっともゴールデンじゃないよ。ブラックウィーク」
予備校の強化合宿があるらしい女子が泣き言を吐く。
「俺は京都行って来るぜ」
「旅行行くの? いいなあ」
「寺なんて興味ねえもん。家族と親戚の家に行くだけだし」
つまらなそうにため息をつく男子の隣で、ほーちゃんは「京都っていったら龍馬だよな。俺も行きてぇ」と羨ましそうに嘆く。
休憩時間の合間に、ほーちゃんの机に集まった連中が騒いでいる。その中に、あたしも紛れていた。
「ほーちゃんは? ゴールデンウィークのご予定は?」
愛美がキラキラした目でほーちゃんを見上げた。机に座ったほーちゃんは足を放り投げて体を後ろにそらす。
気持ち良さそうに太陽の光を浴びて、一息ついている。
「俺も出かける予定」
「どこに行くの?」
「ちょっとね」
視線が一瞬それる。窓の方向に向かった視線が、郁ちゃんの机に下ろされた。
郁ちゃんは机に突っ伏して寝入っている。
観察するみたいにじろじろ見ていたあたしだから気付いたくらいの一瞬の目の動きだった。
あまりに優しいその視線に、あたしは氷を抱いたような気持ちになる。
「ねえねえ、他の日は? 遊べる日ある?」
愛美は大胆にも質問を続ける。
あたしと遊ぼうよって意味を含んだその言い方に、ほーちゃんは首をひねって苦笑した。
「両親も姉貴も旅行でいなくなるから、家を留守にするわけにいかないんだよな。ゴールデンウィークは初日しか遊びに行けないんだ」
さらりと断ってるし。
「その一日は? 遊べないの?」
「さっき言ったとおり。先約あるんだ」
「えー!」
先約か。残念な気持ちもあるけど、愛美とほーちゃんが遊ぶことにならなくてホッとしてもいる。
最近、ほーちゃんへの愛美の猛アタックが始まった。
この間愛美自身が言ってたとおり、郁ちゃんとほーちゃんが仲良くなっていってることに気付いてあせっているんだろう。
傍からみてると、あんな猛攻撃は、ドン引きものなんじゃないかな。
「大川さんは?」
「あたし?」
愛美の猛追を逃げるためにか、急にほーちゃんはあたしに話を振って来る。
「あたしは特には……」
「家でまったり?」
「そうだね」
「じゃあ、俺と一緒だな」
家でまったりなんて言ったら、愛美が「ほーちゃんち遊びに行ってもいい?」なんて言い出しそうだ。
現に食い入るような目であたしとほーちゃんを見つめて、話し出すチャンスを伺っている。
「ほーちゃんって、お姉ちゃんいるんだね」
話題をさっと変えてやった。
何か言い出そうとして愛美は、少しくやしそうに唇をかんでいる。
ごめんね、愛美。押しの強い女は嫌われるよ?
「七つも上の鬼ババアがね」
「七つも上なんだ。そしたら逆に仲いいんじゃないの?」
「いいっていうか、俺が遊ばれてる。俺で遊んでる」
なんか微笑ましい。想像してプッと噴いてしまった。
会ってみたいよ、お姉ちゃん。
***
「あーもう!」
何かが散乱する音と、誰かの大声が廊下を走りぬけた。図書室で借りた本をカバンにつめて、帰ろうとした矢先だ。
六組の教室から金切り声と、なだめるようなぼそぼそとした声が聞こえてきたのだ。
気になって、廊下を引き返す。
何かが床に落ちて、クワンクワンと回る音がする。
ドアについた小窓から、中を覗き込むと、朝子と愛美がいた。
「愛美、そうカリカリしないでよ。ただの噂だよ?」
朝子が今にも泣きそうな声で愛美の肩を叩いている。愛美の前にはゴミ箱が倒れ、中のゴミが散乱していた。
「ほーちゃんも郁ちゃんも、連休初日に予定があるって言ってるんだよ!? ただの噂なわけないじゃん!」
噂?
すっと飲み込んだ空気が、肺に冷たく落ちていく。
思考が止まりかけた時、朝子と目が合った。仕方なく、教室に入る。
ドアを開けるカラカラという音がやけに大きく聞こえて、気まずさが増す。
「晶子、まだ残ってたんだ」
「うん。図書室に行ってたんだ。何の話してたの? 真剣そうだったから、教室に入れなかったよ」
努めて明るく振る舞う。何も聞いていないというように。
「晶子、知ってる?」
「なに?」
「ほーちゃんと郁ちゃん、付き合ってるらしいよ」
窓から差し込む赤い光が、目の前を覆いつくす。真っ赤に染まった眼前で、あたしは足元が崩れ去っていくような気持ち悪さを感じていた。
あり地獄に落ちていくように。ずぶずぶと、落ちていく。
「なにそれ、どこから出た噂?」
軽快な口調を貫く。あたしが抱く恋心に気付かれてたまるか。
「遊ぶ約束してるの、聞いたやつがいるんだよ。ゴールデンウィークの初日の待ち合わせの話をしてたって」
「それだけで付き合ってるっていうのもさ……」
「あの二人の空気見てたら、誰だって付き合うようになったって思うよ!」
付き合う前であろうが、付き合ってからであろうが、恋人の空気っていうのがある。甘そうで柔らかい、春の木漏れ日みたいな空気。
郁ちゃんとほーちゃんにはお互い気を許してしまいそうな、『恋人の空気』一歩手前の、独特の空気を纏っていた。
まだ恋人同士じゃない。でも、いずれそうなるだろうなって、周りの誰もが思ってしまう。
だからこそ、岡島君だって「諦めたほうがいいんじゃない」なんて言うし、あたしもそうした方がいいって思ってしまうんだ。
「ほーちゃんと同じクラスになって、やっといっぱい一緒にいられるようになったって思ってたのに」
溢れでる涙を、愛美は手の甲でぬぐっては、嗚咽をこぼす。朝子の手が愛美の肩に回されて、ぽんぽんと優しく叩いている。
子供をあやすようなゆっくりとしたテンポを刻む。
素直な涙を流す愛美を、あたしは羨ましく思った。
泣かないあたしを、意固地な馬鹿女だと思った。
この物語は拙作「空に落ちる。」のスピンオフです。これから先、リンクする場面が増えてきます。
主人公の気持ちをうまく書ければいいなーと思いつつ。
11月中にラストまで書ききりますので、お付き合い下さると嬉しいです。