12:裏返しの汚さ。
お昼ごはんを食べ終えて、廊下を出てすぐの図書室へ向かう。
呼び出しくらったけど、一体何の用なんだろう。こういう『体育館の裏に来い』的なのって、告白かヤキ入れかのどっちかでしょ?
ってことは、ヤキ入れられるの?
図書室のドアを開けると、窓から注がれる光に目が眩んだ。手をかざし、白い光の先にある二つの影を見つめる。
ふわふわと揺れる影。笑い声が響いて、カウンターに座る図書委員の男の子が「図書室では静かに」とぼそりと注意する。メガネの奥の鋭い視線がちょっと怖い。
男の子の目線に気付いた岡島君は肩をすくめてぎこちなく笑うと、ふとあたしの方を見た。目がばちりと合ってしまったから、あたしもあいまいに笑って、歩を進め始める。
ちょっと、きまずい。
教室にいれば、さりげなくやり過ごせる。昨日のことを何もなかったように流せる。
でも、こんな風に面と向かい合った状況で、昨日の話しを出されたら、ごまかすことなんて出来ない。
重い足を動かすのに必死になっていたら、このまま踵を返しても逃げてもいいんじゃない? と悪魔がささやいてきた。
別に、いいじゃん。
岡島君に呼び出されたからって、素直に従う必要なんてないし。
いや、でもここでいきなり逃げたら、怪しくないか?
万引き犯みたいじゃないか。やましいことなんて何ひとつしてないし、逃げる理由が何かって言ったら、きまずいからってだけ。
「ほー、俺、トイレ行ってくるわ」
立ち往生しているあたしの目の前を、岡島君が軽い足取りで横切っていく。足早に歩く岡島君が起こす風が、あたしの髪を揺らして耳をくすぐる。
え? 行っちゃうの?
振り返って、岡島君の背中を追う。広い肩幅に似合う黒いセーターが網膜に陰影を残して、目の前がチラチラとかすれる。顕微鏡で微生物を見たときに似た感覚。目の前を黒いものが横切って消えて、また現れる。
「あれ。大川さん」
窓のさんと同じ高さの本棚に寄りかかって、ほーちゃんが呆けるあたしを不思議そうに見ていた。
そういえば、さっき、岡島君、ほーちゃんの名前、呼んでた。
「ほ、ほーちゃん」
今まで気付いてなかった気恥ずかしさで声がうわずってしまった。
「な、なに、してるの?」
第二声もうわずった。恥ずかしすぎる……。
「岡島に連れて来られた」
「ああ、そう」
図書室は本を読みに来る生徒ばかりがいるわけじゃない。
教室にはないゆるやかな時の流れとか、静かな空気を求めて図書室に訪れる生徒は多いのだ。昼休みには、おなかいっぱいになった生徒が、昼寝にだって来る。
憩いの場というか、公園の芝生っぽい。
「図書室で会うの、久しぶりだよな」
「え? あ、そうだね。二年の時、図書委員一緒だったもんね」
今思い出しました! って顔をして見せるあたしは、一体何がしたいんだか。意味も無い演技をしてしまうのは、なんなんだろう。
「ここ、いいよな。三年も図書委員がやりたかったよ、俺は」
委員決めの時、図書委員は立候補者が数人いたため、じゃんけんになった。あたしもほーちゃんも立候補したけど負けてしまったのだ。
「委員会の仕事もけっこうさぼって寝れるしな」
「寝てたんだ、ほーちゃん」
「やべ、ばらしちゃった」
悪びれない様子で笑いながら、大きく伸びをする。しなやかな体がぐっと伸びて、白い光を一身に受ける。
「皆、お疲れだな」
「どうして?」
「大川さんも落ち込み気味なんだって?」
下ろした腕を本棚に置いて、寄りかかる。視線は窓の向こうに向かっていく。窓の外で揺れる木々のざわめきがこそばゆい。
「お、落ち込み気味って、なんで?」
「岡島がぼやいてたよ。窓際の女子は全員たそがれてるって」
窓際の席に座る女子っていったら、あたしと郁ちゃんと、郁ちゃんの後ろの席の若村さんだ。
「たそがれるって……窓際だからでしょ。春先は気持ちよすぎるもん」
「ま、そうだけどさ」
岡島君のやつ、ほーちゃんに変なことぼやくな。
急に心配になってきた。昨日のこと、言ってないよねえ?
あんな時でも必死に笑顔を作るけど、きっと相当歪んだ笑顔だったと思う。あたしが怒ったことを、感づかれただろうか。
「前倒しで五月病にでもかかってんのか? 受験もあるし。今までみたいにのん気な高校生活送ってるわけにはいかなくなるからな」
あたしは未だにのん気な高校生活を送ってます。すいません。
なんとなく資格を取りたいって思っていて、資格の取れる短大を選んでいる。あたしの今の学力で充分行ける短大だから、あんまり深く考えてない。それに、追いつめられないと、動き出す気になんてなれないよ。
「無理しないほうがいい。疲れるだろ」
「……そういうのは、郁ちゃんに言ってあげなよ」
目を丸くするほーちゃんに、あたしはいつもの作り笑顔を向ける。
「郁ちゃんのほうが、よっぽど落ちてるよ。気付いてるでしょ?」
「え、あ、まあ、うん」
煮え切らない返事をするくせに、頬はうっすらと赤く染まる。照れ隠しのあいまいな笑みを浮かべて、空を眺めてる。
「助けてあげなよ。助けてあげなきゃ、いけない気がするよ」
「……俺もそう思う」
真剣な目。その目が、真摯な彼の気持ちを語ってる。
「あたしも協力する」
「大川、いいやつだな」
――違う。
ほーちゃん、違うの。あたし、いいやつを演じてるだけ。いい子だって思われたくて、器用に顔を使い分けてるだけ。
本当は、ほーちゃんに気持ちを傾けてもらってる郁ちゃんが、羨ましくって妬ましいんだ。
郁ちゃんとあたしの席が逆だったらって、いつもいつも考えてるんだよ。
だって、あたしが郁ちゃんのポジションだったかもしれない。
郁ちゃんがいなかったらよかったのにって、心の中では思ってる。
汚い。
そういう汚さを裏返しにして隠してるだけで、汚れてることには変わりない。
嫌なやつなんだよ。そういう自覚だけはしっかりあるくせに、そういう自分を肯定して、ごまかしてるんだ。
適当な理由を見つけて、逃げてるだけなんだ。
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