10:無神経な男。
「大川さん、暇なら本の片付け手伝ってもらえない?」
放課後、図書室でぼんやりしていたら、司書の山岸先生に話しかけられた。
いつもの席で本も読まずに雲ばかり目で追っていたあたしの姿を、先生は見ていたのだろうか。
「いいですけど。あたし、もう図書委員じゃないですから、報酬がほしいです」
「あら、そんながめつい子だったの、大川さん」
「気付かなかったんですか? あたし、腹の中、真っ黒ですよ」
「あらあら、恐ろしい」
メガネをいじって、先生はわざとらしく口元をひくつかせた。
カウンターには本が10冊ほど積まれている。たいした量じゃないけど、労働するならそれなりの報酬が無いとやっていけない。
「わかった。ジュースおごるわ」
「先生、俺も手伝おうか? 俺、コーラね」
先生の後ろからひょこっと顔を出したのは、岡島君だ。部活の後らしく、紺色のジャージを着ている。
「ジュースにつられたわね」
「運動の後は冷たい飲み物でしょ」
「わかったわ。岡島君はコーラね。大川さんは?」
「ミルクティーで」
「買ってくるから、片付けておいてね」
そう言って、先生は大きなお尻をぷりぷり振って行ってしまった。
「よし、片付けるか」
「なんで来るかなあ」
「嫌そうな顔すんなよ。俺は読書家なんだ。本を愛する者が図書室に出没しないでどこに出没すりゃいいんだよ」
「……職員室とか」
「俺は呼び出しくらいまくるヤンキーか」
これが岡島君じゃなくってほーちゃんだったら。
飛び上がるほど喜んだろうに。なんで岡島君。どうして岡島君。
「ほーだったらよかったって思ってんだろ」
「うるさい。はい、これ全部片付けてね。あたしはこれ片付けるから」
岡島君の腕の中にどっさりと本をのせてやる。
「おまっ、なんで俺が九冊で、大川は一冊なんだよ。おかしいだろ。山分けだろ、こういうのは」
「レディーファーストって言葉、知ってるでしょ?」
「意味が絶対違う」
「男はフェミニストのほうがモテるんだよ。フェミニストになれ」
「命令口調かよ!」
大体、この状況で山分けって言葉自体、間違ってるしね。お宝じゃないんだから。
『SとMについての考察』というやばいかんじのタイトルの本を持って、歴史系の本棚に向かう。歴史系の本じゃないのはわかってますよ。でもこの本、どのカテゴリーなの?
順番どおりに並んだ本棚のすきまにねじこんで、岡島君の様子を伺う。
両手に抱えていた本をテーブルに置いて、さっさと本をしまっていた。あの様子だと、図書室の棚の位置も詳しいんだろう。
そういえば、図書委員だった頃も、彼の姿をちょくちょく見かけていた。
ほーちゃんとは対照的に、スポーツマンのイメージが強い。
背格好や体型はほーちゃんに似てるけど、筋肉がかっちりついてるのが制服を着ていてもなんとなくわかるし、つんつんした短い髪の毛がもろにスポーツしてる人っぽい。
けど、なんかナンパなイメージがある。髪の毛を染めたり、指定のネクタイをつけていなかったり、校則をさりげなく無視してるせいかな。
あのお気楽な性格のせいもあって、校則違反をしてるくせに教師からは全く目をつけられてないのが、うらやましいところでもある。
「二人とも、終わった?」
山岸先生が戻ってきた。ジュースを二つを両手に持って、手を振っている。
「はい」
「俺は終わってない。てか、先生。大川さん、ズルしました」
「してません。言いがかりはやめてもらえませんか」
「岡島君、そういう密告みたいの、先生は好きじゃないわあ」
「密告って。俺、オープンに言いましたけど」
山岸先生はあたしの味方だ。岡島よ、諦めるがいい。
「ジュース置いておくから、二人で飲んでね。先生、ちょっと呼ばれてるからもう行くわ。ここで飲んじゃ駄目よ。飲食禁止だから。中庭とかで飲んで」
「ありがと、先生」
「どういたしまして。岡島君、いい子ね」
また大きなお尻をぷりぷり振って去っていく先生を見送って、あたしは岡島君を見上げた。
岡島君はコーラを手にとって何食わぬ顔をしながら歩きだし、最後の一冊を本棚につっこんで、出口に向かっていく。
「どこ行くの」
「中庭。大川もどうですか?」
「岡島君と一服かあ」
「嫌なら一人で行きますから」
そう言われちゃったら「嫌です」って言いづらい。仕方なくミルクティーをつかんで、彼の背中を追った。
***
夕暮れの時間。石畳の中庭には、あたしと岡島君しかいない。
椅子くらいの高さがある花壇に腰をかけ、缶のプルトップに爪をかける。
「動いた後のコーラはうまいなあ」
コーラをグビグビと飲んで、プハッと息継ぎする。爽快そうな岡島君を、あたしは恨めしそうに睨んでやった。
……缶が開かない。
「何してんの、大川」
「うるさい」
「開かないの?」
「うるさい」
ふっと短いため息が聞こえて、缶を取られてしまった。冷たい水滴の感触だけが手に残る。
空気がはじける音がして、缶が開けられたことを知る。
「はい」と返されたミルクティの缶は、なんとなく、彼の手の温もりが残っている気がした。
「ありがとう」
「どういたしまして」
校舎に囲まれた中庭。見上げる空には雲がぷかりぷかりと浮いている。
空はまだ青。雲だけが光を反射してオレンジ色に染まっていた。
花壇に咲いたパンジーから甘い香りがする。冷たい風が時折そよいで、ミルクティーの名残が残った唇を、ひんやりと冷やす。
空を見たまま、なにをしゃべっていいかわからずに沈黙する。間が苦しくて、ミルクティーに口をつける回数が増していく。
何かしゃべってよ。どうして黙ってるの。
目だけを動かして、岡島君を見る。
彼は涼しそうな顔をしてあたしと同じように空を仰いでいた。
日に焼けた、たくましい顔立ち。一重だと思っていたけど、よく見ると奥二重なんだ。すっとした鼻。薄めの唇。やっぱり、ほーちゃんとは間逆。
「俺の好きな人、竹永さんじゃないぜ」
「なによ、いきなり」
「いや、カラオケ行った日、そう俺に言ったから。俺、否定すんの忘れたし」
そんなこと言われたって、だから何よ、としか答えられない。冷たい反応するのもな、と思ったら、何も言うことが出来なかった。
「ほーは、たぶん、竹永さんだろうな」
わかってるよ。そんなの。わかってるよ。どうしてわざわざ口に出すの? それを言って、何がしたいの?
「どうすんの? 大川は」
なんだよ、こいつ。
人の心に土足で踏み込んでくるような真似をして、あたしがにこやかに「どうしようかなー。悩んでるのー」なんて答えるとでも思ってるの?
「諦めたほうがいいんじゃね?」
かっと頭に血が上ったのがわかった。一気に顔が熱くなって、手に持っていた缶が転げ落ちる。
まだ中にたんまりと残っていたミルクティーが扇状に飛散した。
急に冷えてきましたね。
早く冬眠したいです。布団とずっと一緒にいたいです。
物語が定まらず、かなり迷走していましたが、なんとか進められています(苦笑い)
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明日も更新いたします。