9:恋愛ってなに?
見上げれば、晴天。
机の上に置いた英和辞典を枕にして、顔だけ窓の向こうに向ける。
抜けるような青空。太陽の光線はまぶしいのに風は冷たくて、頬がひりひりと痛い。
おにぎりみたいな三角の雲がなぜか三つ並んでる。おにぎりのお団子……。
発音が下手な教師の、下手くそな英語が静かな教室で響いている。
いかにも寝ている体勢なのに、全く注意してこない。生徒が聞いているかどうかなんて、この教師には関係ないのだ。
自分の中だけで授業をして、それで満足なんだろう。
それって、今のあたしと一緒?
気持ちを内に閉じ込めて、ちょっとしたことで喜んで悲しんで、心の中だけはころころと気持ちが入り乱れているくせに、顔には出さない。
自己完結して満足してる。
それでいいのかな。
こういう風に自分の嫌な部分とかを必死に考えて自問自答してるのも、自分に酔ってるみたいで気持ちわるい。
ああ。
あのおにぎりお団子雲に乗って、空で寝転がりたい。
教室を見下ろして、俯瞰的にあたしを取り巻く世界を見渡したら。
あたしは、何を思い知るのだろう。
目をそらそうとしているだけなんだ。
知りたくない現実から。
あたしという人間から。
***
「告ればいいじゃない」
「他人事だと思って!」
「だって、それが一番じゃん」
学校帰り、駄菓子屋で買ったアイスを頬張りながら智美と二人で歩いていた。
なんとなくアイスが食べたくなって買ったけど、今日は気温が低いのだ。アイスを食べることで体も冷え切って、鳥肌が全身を覆いつくす。
「好きなの! なんて思いながら見つめてるだけなんて、恋愛じゃないんだよ」
ツーと垂れていくアイスの汁をすくい取るように舐めて、智美はぼそっとつぶやいた。
「恋愛じゃないって、どうしてよ。恋してるよ」
「ばーか。恋愛ってのは相手あってのものだよ。見てるだけなら、相手なんかいないも同然じゃん」
「じゃあ、あたしは一体何してるっていうのさ」
自分を否定されてる気がして、むっとする。
そりゃ、あたしだってわかってる。見てるだけなら恋愛として成立しないって、そう思ってる。
でも、人に指摘されるのは、ちょっと嫌。
口を尖らせていたら、智美は苦笑しつつ目線を空に投げかけた。
「恋に恋してるだけなんじゃない? 相手の内面なんかも知らずに理想像だけ作って恋してんの」
「違うもん」
「そう? ほーちゃんの嫌なところを知っても、ずっと好き? 理想と違うことがわかっても、幻滅したりしない? 晶子、ほーの上辺しか知らないんじゃない?」
否定は出来ない。
二年の前期に同じ委員会になって、少しおしゃべりをした。夕暮れの教室で彼を見かけて、恋をした。
廊下ですれ違えば挨拶もしたし、立ち話をすることもあった。
でも、世間話だけしかしたことない。ほーちゃんの内面に迫るような話なんて、一度もしたことない。
「そんなの、皆、そうじゃん。皆、そういう上辺に恋して、付き合うもんじゃん」
「だから。そこから恋愛が始まるんだってことよ。上辺だけで好きになったとしても、相手のことを深く知って。それでも好きって思うのが、恋愛でしょ?」
智美は他校に彼氏がいる。中学三年の卒業式から付き合っているから、もう二年以上同じ人と『恋愛』をしているのだ。
だからこそ、智美の言うことに反論できない。
高一の秋。同じクラスだった男の子に告白された。
けっこう仲良かった子で、あたしも「いいな」って思っていたから、付き合いだした。
三ヵ月。毎日来たメール。「おはよう」から始まって「お休み」まで。
授業中だって「退屈だなー。早くアキと家に帰って遊びたい」なんてメールが届いた。
最初は嬉しかった。こんなにも想われてるんだっていう実感が。付き合ってるっていう実感が。
手を繋ぐこととか。キスをする時の高揚感とか。彼の手があたしに触れる時の温もりとか。
毎日一緒にいたいと思ったし、ずっとそばにいたいと思った。
だけど、付き合って二ヶ月目。届いたメールで、あたしの気持ちは急激に冷めたのだ。
その日は友達と買い物をしていた。
彼にはメールでそのことを教えていたし、休みはデートしてばかりいたから、久々に友達と遊ぶことが楽しかった。
だから、家に帰るのが遅くなった。確か九時すぎていたと思う。
「夕方には家に帰るよ」あたしがそうメールを送っていたから、「家に帰った」という報告メールが来ていないことで、彼は心配してくれたんだろう。
バイブ機能にしていたせいで、メールに気付かなかった。
七時過ぎから、彼のメールが十件も溜まっていたのだ。
「まだ家に帰らないの?」「心配してる」「家に着いたらメールしろよ」「まだ遊んでるの?」
「束縛うざい」と友達が言っているのを聞いたことがあった。
一瞬にして、それを理解する。
心配してくれているのはわかる。でも。
これからもずっと、自分の行動を逐一心配されていたら、たまったもんじゃない。
桃色に色付いていた心が、さっと色を変えてどす黒くなる。
こうも変わり身の早い自分を怖いとも思った。
薄情だとも。
心底彼のことが好きだったら、彼のこういう心配も「愛されてる」と思えたのだろうか。
相手の何もかもを好きだと思っていたら、どんなことがあっても好きなままなのだろうか。
そんなの、盲目なだけじゃないの?
何をもって、『恋愛』だって言うんだろう?
理想に恋することが恋愛じゃないっていうのはわかる。
相手のことを理解したって、好きじゃない部分も出てくるもんでしょう?
「愛することっていうのは、望むことじゃなく与えるものなんだって」
「なあに、それ」
「先週の土曜、親戚の結婚式があったの。神父さんが言ってた」
独り言みたいに智美はつぶやく。
「望んでいると、与えてもらえないことに不安が募って、家庭は壊れるんだって。相手に与えることが愛なんだって。あたし、感動しちゃったよ」
「与えること、ねえ」
「今はきっと無理だろうけど。大人になった時に、結婚したいって思える人に対してそうなりたいよね。だからさ、今はいい恋をしたいよね」
あたしのほうを向いて微笑みかけてくる智美の優しい目線が、「頑張れよ」って応援してくれてるみたいで、嬉しかった。
「うん」
うなずいて、そのままうつむく。
きっと誰かを好きになるって、そういうことなんだろう。
無償の愛なんて言葉をよく聞くけどさ。見返りを求めず、相手に与える。
そんな風になれたら。
なれたら、いいな。
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