プロローグ:オレンジ色の教室で。
あの雲の上を歩いてみたら、どんな気分になるんだろう。
綿菓子みたいな丸い雲。羊が何匹も泳いでるみたいだ。
雲の上を、ぴょんぴょんと跳ねて。あっちの雲に、そっちの雲に。飛んで跳ねて。
あたしのこの重い気持ちも、ふわふわと浮く雲みたいにならないだろうか。
胸の奥の、詰まるようなこの思いが、雲になって空に浮いて。
あたしは、踊るように散歩する。
雲の上を。空の上を。
そうして、いつの間にか、心も体も雲みたいになれば。
苦しい。
心が、体が、鉛みたいに重い。
誰か。
誰か。
あたしを見て。
***
放課後の誰もいない教室。そろそろと落ちていく太陽の光は教室から廊下に漏れて、みかん色に染まる。
夏の強烈な日差しは影を潜めて、夜の訪れを告げる冷たい風が吹きぬけていった。
図書委員の仕事を終えたあたしは、ひとり、のろのろと廊下を歩いていた。
この時間が、けっこう好きだ。
図書委員になってから、色んな発見があった。帰宅部のあたしは、授業が終わればすぐに帰って、友達と遊んだりバイトに行ったりしていたから、こんな時間の学校に残ることなんてなかった。
だから、知らなかったんだ。
部活をする生徒のかけ声とか。ブラスバンド部の刻むリズムとか。どこかの教室から聞こえてくる、誰かの笑い声とか。耳をすまして、遠くから聞こえてくる喧騒が心地良い。
胸が熱くなって、どことなく懐かしい気持ちになる。
図書室で借りた読みかけの本を両手に抱いて歩いていた時、頬に触れるかすかな風に、人の気配を感じた。
ふわふわと揺れるカーテン。
こぼれるオレンジ。
すっと通った鼻筋が、まるで山肌みたいに太陽の光で輪郭をなぞる。
うつむき加減でじっと机を眺める男の子。その頬に、オレンジの光が反射した。
――泣いている。
時が止まったみたいだった。そこだけ、別次元みたいで。夢の中の光景のようで。
あたしは、棒立ちになって眺めていた。
自分の姿を、滑稽だと思うことがよくある。
戦国時代の武士よりも頑強な鎧で身を固めているんじゃないか、と。
身を守るためなんだ。
自分がかわいいだけ。
弱い自分を見せて、同情されたくないだけ。
不釣合いな重い鎧なんて、動きを制限させるだけなのに。
それにも気付かず、厚い厚い鎧で、自分を守る。
何もかも捨てられたら。
あの雲みたいに、ふわふわになったら。
飛んで跳ねて。
笑って、泣くかもしれない。
あたし、軽くなりたい。
あの空を歩けるくらいに。
こちらの作品は拙作「空に落ちる。」のスピンオフ作品です。
「空に落ちる。」を読んでいなくても大丈夫ですが、あわせて読んでいただけると嬉しいです。
隔日連載でやって行く予定です。たまに毎日更新するかもです。