転生
目を開けると何もない真っ白な空間に立っていた。
周りを見渡しても何もない白。
身体を確認すると、自分の手足はしっかりとあった。
つい先ほどまで着ていた臙脂のジャケットに黒のチノパンだ。
僕、大江健二は記憶を辿ってみる。
たしか、休日だから出かけようと家を出たことは覚えている。
駅までの道を向かって、そして・・・
「そっか・・・。」
交差点を渡るときに迫ってきたダンプカーを思い出す。
「これは・・・死んだのか。」
記憶もあり、意識もある。
しかし、死んだということはわかった。
記憶の中で、意識を手放す直前の衝撃と空の色を思い出す。
すべてが一瞬だったため、痛みを感じる前に死んだのがまだ幸いだったか。
もし死んでいなかった時の苦痛を想像して身震いする。
可もなく不可もなく、気ままに暮らしてきた人生であり、大きなケガや病気もしてこなかった。
人生初の大きなケガは人生最後のケガになってしまった。
死んだことによる心残りといえば、結婚や家庭を持つといった経験が出来なかったことか。
しかしそれも、その時々の人生の岐路で優先順位を楽な方にしてきた自分にとっては難しいものだったかもしれない。
特色のない三流大学を卒業し、忙しくもないが、多くもない給料の就職先。
人生の目的や目標を見出せずただ仕事をして日々暮らしていた。
世間でいう優良物件ではなかっただろう。
顔もパッとせず、年収も微妙。
子どもを作るとなったら、共働きは必須である。
家も今のままなら買えるのは、集合住宅の一室ぐらいだろう。
金がないと結婚相手に愚痴を言われ、なぜ狭い部屋にしか住めないのかと子どもに嘆かれる。
その時々で幸せなことや挫折もあるだろうが、家と仕事場を往復し、生きて死ぬだろう。
うん、想像すればそんな人生を過ごしただろう。
酷くはないが、良くもない、それを経験するのも良かったかもしれないが、死んでしまっては仕様が無い。
大した親孝行もできず、先に死んでしまったことが父と母には申し訳ないとは思うが、死んだことに対する無念さや悔しさはなかった。
一生懸命に生きるとこをしてこなかった自分の、現状に対する思いは所詮こんなものだろう。
それにしても、と辺りを伺う。
ただ真っ白い空間があるだけだが、死んだあとがあったことは驚きだ。
もともと、極楽浄土など信じていなかったが、もし天国や地獄といったものがあるならここから査定されて移動させられるのだろうか。
昔に見た、昔話の閻魔大王を思い出す。
しかし、誰かがいたり現れたりする気配はない。
振り返っても、地面を見ても真っ白な不思議な空間だった。
壁がすぐ近くにあるような気もするし、どこまでも果てがない空間のようにも感じる。
試しに一歩進んでみる。
不思議な感覚に捉われる。
足の裏で一歩先を踏みしめた感覚がないのだ。
何とも言い難い奇妙な感覚だった。
進んだのかもあやしく、自分が立っているのか、浮いているのかもよくわからない。
もしや死ぬというのはこういうものなのだろうか。
なにかのマンガで死んだら「無」だと言っていたものがあったが、これがその「無」ということなのだろうか。
ページの表現でも真っ黒のページが挟まれているだけであり、その表現から意識も何もない闇を想像したものだが、この白い空間も「無」といえる空間だろう。
一生この空間に囚われるのかと不安になってきた。
途方に暮れて佇んでいると声が聞こえた気がした。
僕は必死になって周りを見回した。
しかし誰もおらず、一点の曇りもない白い空間が広がっている。
気のせいか?
しかし、今度ははっきりと声が聞こえた。
「やあ、聞こえるかな。もう認識していると思うけど君は死んでしまったんだ。」
声は中性的で性別がわかりずらい。
出所を探すがどこから声がするのかわからない。
すぐ隣にいるようでもあり、すべての方向から声が聞こえてくるようでもある。
「あんたは神様なのか?」
僕はこの状況で話しかけてきた存在にそう質問する。
「ふむ。混乱や崩壊等はないようだね。そうだね、その質問は当たっているようでもあり、外れているようでもあるかな。とりあえず、君が次の生を受けるまでの橋渡しはこちらですることになっている。」
そう声は伝えてきた。
次の生・・・。
「また、生を受けて生きるということですか?」
日々食べて、寝て、仕事をして、生きる。
死というものを直前に経験した僕にとってそれは、すぐにはあまり喜ばしい言葉ではなかった。
「そうだね。それが生き物というものだよ。」
多くは説明する気がないのか、集約された言葉にはそういうものだと納得しろという意思を感じた。
「僕は何に生まれ変わるんですか?」
どうやっても生まれ変わらなければいけないのだろう。
そう思い、今後の疑問を空間にぶつける。
「それはこちらでは決めないんだ。決まった時に決まる。生を授かる準備ができた運命に、君の魂を接続する。それが橋渡しということさ。」
その声の主はそう答えた。
魂という概念が存在していることは驚きであったが、生まれ変わるということがどういうことか知れたのは面白いと思う。
それならば、生まれ変わったらカエルだったり、鳥だったりしてしまうのだろうか。
それにこの僕の今ある記憶はどうなるのだろうか。
「ちなみに、君の場合は同種により運命が削られているから次の世界はひとつ下の階層ということだけは決まっているよ。」
言っている意味がよくわからないため、詳しく説明をお願いする。
説明を聞き、何度かの問答を要約するとこういうことらしい。
同種の生き物に殺された生き物は、自分の運命を削られることになる。
この運命とは将来のことのようだ。
削られた将来は、次の生まれ変わりの時に優遇要因となるそうだ。
記憶を保持しての生まれ変わり。それが殺されたものの優遇される内容だ。
他種族による殺害は食物連鎖として処理されるそうで、運命を削るということにはならないそうだ。
世界は変化がないと停滞するらしい。
進化・進歩・突然変異・・・
それらを期待して生まれ変わりさせられるのが、同種により殺された種族とのことだった。
基準はわからないが、生きていた世界から繁栄の具合が一つ下の世界に生まれ変わるそうだ。
その世界で前世の世界での常識を伝えるだけで、突然変異の種は蒔かれる。
そうすることで、世界を循環させていくとのことだった。
「君が殺された前世より、楽しんでくれたらこちらの気も休まるよ。運命を操ることはできないからね。楽しむことを原動力に生きてみて。そうすれば、運命は君に味方をするから。」
そう声は締めくくった。
楽しむ・・・
それは前世ではあまり馴染みのないものだった。
楽には生きようとしたが、楽しむことは出来ていなかった。
生まれ変わって、変わることはできるだろうか。
「さて、君との時間もそろそろ終わりだ。君のための運命の糸が伸びてきた。良き生であらんことを。」
そう声がすると、自分が何かに引っ張られている感じがした。
そして、直後、暗転した。