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3.アパトの村

ウルと別れてから暫く歩いた俺は、直ぐに街道へと出た。

丘の上から村へと続く道があるのは認識していたので、そこに着くまでは全く迷いはしなかった。

この街道を進めばまっすぐ村に着く。

俺はわずかな期待と積み上げられた不安を抱き、足を前へと踏み出した。


それにしても、この世界は長閑と言うほかないな。加えてとてつもなく雄大だ。

背後の森は俺の視界に収まりきらないほど緑が遠くまで伸びている。その端からは山脈が連綿と続いており、ここから見える景色は片側が山でもう片側が平地。

村はちょうど平地に位置している。


地球のようにゴミゴミした建物はどこにも見当たらない。

まあ俺の住んでいたのは都会だったので、田舎の方に行けばこういった光景が広がっているんだろう。

北海道では牛がいたり、オーストラリアにはカンガルーが出没するしな。


俺はそんなくだらないことを考えながら、のんびり歩いていた。

ふと口恋しくなり、ポケットに手を突っ込んだ。

ガサガサとその中を探ると、昨日吸いきったタバコの箱が出てくる。

くそっと悪態をつきながらまだ残っていないかと箱を開くと、そこにはぎっしりと中身の詰まったタバコがあった。

それは目を疑う光景だったが、今は喫煙の欲求が上回る。

タバコを一本取り出し咥えると、もう片方のポケットからライターを取り出し火を点けた。

はぁーと白い煙を吐きながら俺はプラプラと街道を歩く。


現代社会では歩きタバコなんてご法度だが、ここには人自体ほとんどいないから問題ない。まあこれが染み付いたらもし地球に戻った時に苦労しそうだから、歩きタバコは今回限りにしておこう。

今日は特別だ。困難を脱し、村へ着く前の景気付けと言うことで、心の中で自分を許した。


それにしても昨日は確かに1本きりだったはずのタバコが、なぜ今日になってぎっしりと中身が補充されていたのか。

まさかこれは魔法のタバコか。

俺はアホなことを考えながら、もう一度タバコの箱を見た。


やはり俺が地球で吸っていたタバコのようだ。たまたま入っていたのは正直ありがたいことなのだが、中身が増えた理由は謎のままだ。

つまり、これは何かしらの能力によって増えたと考えられる。


となると、このズボンのポケットが理由だろうか。ポケットの中にはタバコが1本。も一つ叩くとタバコが2本。

そういった能力が秘められたズボンであれば、今回のことの説明もつく。

ポケットに入れとくだけで勝手に補充がなされるマジックアイテムか。これは地味に便利なのではないだろうか。

この世界にあるかわからないが、ポーションなんかの空き瓶をポケットに入れておけば、翌日には中身が満タンに……。

それを売れば一気に大儲けできるのでは?


俺は悪い笑みを浮かべながら街道を進んだ。


1本目のタバコがだいぶ短くなってきた頃、背後からカラカラと音が聞こえてきた。それが徐々に大きくなる。

俺は背後を振り返り、その姿を確認した。


そこには……猫がいた。


俺は間抜けに口を開けて唖然とする。

思わず咥えていたタバコを地面に落とした。


音の正体は馬車だった。2頭の馬、と言うよりはロバに近い大きさだが、それが幌を纏った荷車を引いている。そしてそのロバを操っているのが小柄な猫だった。

顔は非常に整っており、猫の中ではイケメンだろう。種類は見たところロシアンブルーだ。グレーの毛並みが実に柔らかそうである。

肉球の見えるその手で器用に手綱を握り、馬車を操縦していた。極め付けは猫なのにちゃんと服を着ている。さすらいの旅人みたいな格好で、なぜだか妙に似合っていた。


猫は手綱を繰り馬車を俺の隣に停車させる。


「おや。こんなところで人に会うとは珍しい。旅人さんかな?」


猫は軽快な口調でそう聞いてきた。

ぱっちり開かれた目が数度瞬かれる。


ウルとの出会いも衝撃的だったが、人間に出会えると思っていただけに先に猫に出会ったのは中々の不意打ちだった。

俺はすぐに言葉を口にできず、猫の姿を上から下まで確認した。


「んん? 言葉がわからないのかな?」


猫は小首を傾げた。動画サイトなんかにあげればヒット間違いなしの愛らしさだ。

猫はどうやら俺が言葉を発しないのを見て、俺が言葉を理解していないと思ったらしい。しかしちゃんと言葉は理解できていた。それがまだ僥倖ではあった訳だが。


取り敢えずいつまでも黙ってないで返事くらいは返しておいた方が良さそうだ。


「すまない。ちゃんと言葉は分かってるよ」

「そうか。それは良かったよ。で、旅人さんはアパトの村へ向かってるのかな?」

「アパトの村?」

「この先にある村のことだよ」


少し考えればこの先の村を指していることは明白だったが、その時は考えるような余裕が俺にはなかった。

その質問を返したのは半ば条件反射みたいなものだった。


「うーん。キミは旅人さんじゃないのかな? まあこんなところで話すより、ひとまず村へ行くといいよ。送って行くけど、乗ってくかい?」


猫は後ろの荷台を指差すと俺に目配せをした。村まで乗せて行ってくれると言うことか。

俺は乗せてもらおうかと一瞬考えたが、そこで思考にストップがかかった。

見ず知らずの相手の甘言に乗って良いものか。


俺はまだこの世界のことをあまりに知らなさすぎる。ここで誘いにのって拉致され売り飛ばされないとも限らない。

こういった場合は慎重に行動すべきだ。


幸い村までの距離はもう目と鼻の先。俺はもう暫く歩くことを決断した。


「折角のお誘いだが、あと少しなんでゆっくり歩くよ。もう少し景色も見てみたいし」

「そうか。なら頑張ってよ。僕は一応商人やってるから、きっと村に入れば見かけることになるさ。キミ、なんだか困ってるみたいだから、声をかけてくれたら相談に乗るよ」


そう言って猫は再び馬車を走らせた。

みるみるうちに遠くなって行く馬車を見送って、俺は再び歩き始めた。


景色を楽しみながら1時間ほどで俺は村へと到着した。

さっきの猫は商人だと言っていたが、その商人と言葉が通じたと言うことは、村人とも言葉を交わせる可能性が高い。

森にいたときに感じていた言葉の不安が、今は少し和らいでいた。


村に足を踏み入れると子供達がワイワイと井戸の周りを駆け回っていた。耳や尻尾をつけた子もいれば、何もない普通の人間の子もいる。

その様子を側から見ている大人達も耳や尻尾を持つもの、持たないものが混在していた。


どうやらこの村には多種族が生活しているらしい。差し詰め人と亜人と言ったところか。

物語であればこう言う種族の壁を超えて手を取り合う光景はさぞ素晴らしく描かれるものだ。この世界でこれが普通なのかはわからないが、それでも子供達が無邪気に遊ぶ姿は心にくるものがあった。


すると俺の姿に気づいた村の大人が厳しい視線を俺に向けた。それに呼応するように他の大人達の視線も俺に集中する。

何事かと、子供達も立ち止まって不思議そうな表情で俺を見ていた。


どうやら俺はひどく歓迎されていないらしい。

大人達から発せられる警戒の念がそれを感じさせた。

これならまだ森にいたほうがマシだったかもしれない。下手をすればこのまま拘束されそうな勢いだ。


徐々に周囲の家々からも人や亜人が姿を現わす。あっという間に俺を囲むように人垣が出来上がった。

このままではマズイと感じていたが、時すでに遅し。逃げようにも退路は全くなくなっていた。


俺は周囲を見回して、その迫力に一歩も動けなくなった。特に亜人さん達の迫力がすごい。

人型の犬や猫が鋭い双眸でこちらを睨みつける。剥き出しの牙は噛まれれば色々持っていかれそうだ。


するとその人垣をかき分けて一匹の猫が俺の前に姿を現わす。

大多数の人間に対して両手を広げ俺を庇うような姿勢を見せた。


「みなさん。大丈夫ですよ。この人は安全ですから!」


それは先ほど会ったロシアンブルーだった。

そのロシアンの一声で、村人はひそひそと何か言葉を交わしたが、やがて疑念を抱いた表情ではあったが人垣が散り散りになっていく。

大人達は子供達に声をかけると一緒に家の中へと入って行った。

人が完全にいなくなったのを確認して、ロシアンがやっと安堵のため息をついた。


「無事かな?」

「あ、ああ。助かったよ」

「それは良かった。自己紹介がまだだったね。僕はニル・マリスと言うんだよ。よろしく」

「俺はかざ……ハヤトだ。よろしく」


互いに手のひらを出し合い力強く握った。

うむ。なんと柔らかくて気持ちいい感触だろうか。特大の肉球は正に癒しの爆弾と言える。


しばらく俺がその感触を楽しんでいると、ニルは困ったような表情を浮かべていた。

慌てて手を離す。


「亜人は珍しいかな?」


何やら勘違いされたようだ。俺は単に肉球が気持ち良くて触っていただけなのだが。

まあ実際亜人なんて初めて出会うし、珍しいと思う気持ちもある。何より亜人と言う呼び名が一般的であることの方が予想通りすぎて驚きだ。

誤解を解く必要もないかと思うので、取り敢えず謝罪だけしておく。


「いや、すまない。亜人に会うのは初めてでね」

「そうか。なら仕方ないよね。取り敢えず、キミをこの村の村長さんのとこに連れていくよ。その方が話が早いから」

「すまない。頼む」


ニルは俺の返答に笑顔で頷くとさっさと歩き出してしまった。

俺は慌ててその後ろに付いていく。


俺は村長の家へ向かう道中、村人達の奇異の視線に晒される羽目になった。

その視線について、ニルは前を向いたまま答える。


「なんかギスギスしててゴメンね。普段はこんな感じじゃないんだけど」

「何かあったのか?」

「んー。それを語るのは僕より村長の方が適任なんだよ。だから家に着いてから話を聞くといいよ」

「……」


一抹の不安を抱きながら暫く歩くと、やがて村長の家が見えてきた。

村長の家は周囲の家屋に比べてやや豪華な佇まいだ。まあそれも権力を象徴するためには必要なことだろう。威厳がなければ村人をまとめることなど出来ないからな。


家の前に着くと、ニルは俺をその場において、先に中へと入っていった。

何やら話しているようで、微かに声が聞こえてくる。暫くしてニルが家の中から姿を現し、俺を家の中に招き入れる。

俺は扉をくぐって家の中へと入った。


家に入ると村長が出てくるかと思いきや、犬耳の若い女性が出迎えてくれた。

ニルと違って体は人間と変わりがない。プードルのような垂れ耳が魅力的な、栗毛の可愛らしい女性だった。

女性が奥の部屋へと俺達を誘導してくれる。


女性のお尻の辺りにはふさふさの尻尾が飛び出していた。足首まであるふわりとしたスカートを身につけているため、どうやらスカートに尻尾用の穴が空いているようだ。

俺は無性に尻尾を触りたい衝動に駆られたが、ここで触って騒ぎになるのはお約束なのでぐっと堪える。


奥にある部屋に通されると、そこにいたのは二人の人物だった。

一人は亜人の老翁で、白髪とたっぷりと蓄えられた白い髭が印象的だった。こちらも犬の亜人らしく、よりプードルっぽい。恐らく案内役の女性の身内なのだろう。

もう一人は壮年の女性で、こちらは栗毛とクリンとした目が特徴的だ。

顔の印象も先ほどの女性と似ていることから、ひょっとすると彼女の母親なのかもしれない。と言うことは女性は亜人と人間のハーフなのだろうか。

人間と亜人で交配出来るのかは知らないが。


二人の前までくると、老翁が俺たちに座るよう促した。ニルはそれに従いその場に座り、俺は同じように後に続いた。


老翁は俺からじっと視線を外さなかった。

一頻り俺をねめ回すと、やがて重い口を開いた。


「お主がハヤトだな。ニルから少しだけ話を聞いた。幾つかわしの質問に答えてくれぬか?」

「あ、はい。構いません」

「うむ。まず、お主が何者か教えて欲しい」


何者か、か。中々答え辛い質問だ。

特に異世界から飛ばされてきた俺にとっては、これが軽々しく言っていい話なのか判断できない。


実はウルにこの話をした時、そう言った注意をされたのだ。

当然ながら異世界人は珍しいそうなので、人身売買で高値がつくことも多いと。

だからこの場でそのことを口にするリスクを考えると、本当のことを語るのは憚られた。


「……何者か、ですか。一応旅人って言葉が当てはまると思います。まあ当てがある旅じゃないですけどね」

「旅人、か。では、お主は以前どこにいたのだ?」


これはまた難しい。

この地にきたばかりの俺にとって、他の場所の情報は持ち合わせていない。今の状況下で下手なことを言えば、どう言う疑念を抱かれるかわからない。


俺が言葉に詰まっていると、隣にいたニルが口を開いた。


「村長。ハヤトはただの旅人ですよ。この村のことも知らなかったですし、事件には何も関わりがないはずです。それに、亜人に会ったのは今日が初めてだと言っていました」

「その言葉に根拠はあるのかね? 彼が嘘をついている可能性だってあるだろう」

「僕の鼻がそう告げています」


ニルは真剣な瞳で村長を見ていた。暫くの間、その部屋を静寂が支配した。

先に折れたのは村長だった。


「ふぅ。分かった。ニル殿は信用のおける人物じゃ。そのニル殿が太鼓判を押すのだから、問題ないだろう」

「村長! ありがとうございます!」


ニルは村長に向かって深く頭を下げた。ニルに倣って俺も同じように頭を下げる。

顔を上げると、村長はにこやかな笑顔を浮かべていた。隣の女性も穏やかな表情だ。

先ほどの剣呑とした雰囲気は全くなくなっていた。この村の人たちは人がいいのかもしれない。俺にとってはありがたいことだ。


「さて。疑いも晴れたことだ。ハヤト殿。この村でゆっくりしていくといい」

「ありがとうございます」

「この村には宿がないから、この家に泊まるといい。客人として歓迎する。村の案内なら娘のルーナにさせよう。ルーナ、ハヤト殿の案内を頼む」

「はい。お父様」


そう言って隣の方に座っていた垂れ耳の若い女性が立ち上がり、俺の隣へとやって来る。


……ちょっと待て。

村長の娘って、隣に座っていた女性ではないのか?

こっちが娘ってことは……まさか隣の人が奥さん?

この年齢でこれだけ若い娘って、爺さんどんだけハッスルしてるんだよ!

俺は心の中でそう突っ込まずにはいられなかった。


隣に座った女性は俺に恭しく頭を下げる。


「ルーナと申します。この村での滞在中、私がお世話を務めさせていただきます」

「よ、よろしく」


俺はルーナの可憐さに一瞬見惚れてしまった。


改めて正面から見ると、大きめの瞳に肩口までのボブヘアー。整った容貌。控えめに言っても美少女だ。

犬耳が時折ピョコピョコと跳ねるのが愛らしい。

もし俺がケモナーだったら跪いて拝んだだろう。


「それではお部屋にご案内いたしますね」


ルーナは立ち上がって部屋の入り口まで行くと、その側でで俺を待った。


「では僕も失礼します」

「俺も。失礼します」


ニルに続くように立ち上がり、俺は村長に挨拶を返した。そしてルーナの後について、ニルとともに部屋へと向かった。


ルーナはランプを手に周囲を照らしながら先へと進んで行く。薄暗い廊下で、俺は周囲に目を凝らして歩いた。

俺たちはすぐに突き当たりへと達した。

突き当たりには扉が一枚。その左右にも一つずつ、向かい合わせに扉があった。


「こちらがハヤト様のお部屋になります」


向かい合わせの一方の扉の前で、ルーナはそう告げた。

部屋の壁にもランプが掛かっており、そのつまみを捻ると灯りがついた。


「それじゃあ僕はこっちだから。今日は疲れたから、先に休ませてもらうよ」


そう言ってニルはルーナの立ったのと反対側の部屋に入って行く。遠慮がない所を見るとよほど村長と懇意なのだろう。

先ほどもニルは信用に足る人物だと言われていたし。


それにしてもまだ日も高いうちから休むとは、やはり猫だから夜行性なのだろうか。


ルーナは壁のランプを取り外すと俺へと渡す。そして用意された部屋の扉を開けた。

室内に案内されると、中は結構薄暗い。

ルーナは俺に先ほど渡したランプを要求すると、それを受け取り部屋の天井からのびた鉤に吊るした。ランプを捻るとその光量が先ほどよりも強く、部屋一面を明るく照らした。


居室内は綺麗に整頓されていた。恐らく来客用なのだろう。ベッドが一台とテーブルと椅子。それだけの質素な設備だ。


「この村に滞在中はこの部屋をお使いください。食事はお部屋の方にお持ちいたします。他にわからないことがあればなんなりと聞いてください」


ルーナはニコリと笑顔を向ける。

うん。やはり可愛いな。眼福眼福。

すると俺は重要なことを思い出した。


「ありがとう。いくつか質問なんですけど、いいですか?」

「はい。構いませんよ」

「トイレとかって、どこにあるんですか?」

「トイレ……とは、何でしょうか?」


ルーナは俺の質問に困惑顔だった。

初めは何を悩んでいるのかと思ったが、すぐにこの世界にトイレという言葉がないことに気づく。言葉が通じると安心していたが、文化様式の違いから呼び名などは違うようだ。

俺は言葉を選んで言い換える。


「えっと。用を足したいときはどうすればいいでしょう?」

「そう言うことですか。それでしたら奥の扉の部屋が手洗い場になっています。ご自由にお使いください」

「そうですか。ありがとうございます」

「ハヤト様はお客様です。ですからそんなに畏まった喋り方をする必要はありませんよ。もう少し気楽に話していただけた方が、こちらも緊張せずにすみますから」

「そうですか? なら、お言葉に甘えさせてもらいますよ。えっと、もし用事があるときはルーナさんに声をかければいいんだね?」

「ルーナで構いません。私の部屋は先ほど村長がいた部屋の真向かいですので、用がある際はお声がけください。必要なものがあれば用意いたしますので」

「ありがとう、ルーナ。何かあれば声をかけさせてもらうよ」

「それでは失礼いたします」


ルーナは笑顔を残して部屋から出ていった。

それにしても異世界に来て早々あんな美少女に会えるとは思ってもみなかった。まあ特に何かあるわけでもないが。

そんなことより今の俺にとっては今後の身の振り方を考える方が重要だ。

俺はひとまずベッドに腰をかけた。


岩肌で一夜を過ごしたためか、1日ぶりのベッドに俺の意識が沈みかける。

予想以上に疲れが残っていたようだ。


気を取り直して思考を巡らすことにする。


あの関西弁の神は、俺に神を倒せといった。つまりあいつとは別の神がいて、そいつを倒すために他の異世界からの召喚者が今も旅をしている。

2人の神の間で何があったのかは知らないが、少なくともその神を誰かが倒すまではこの世界で生きていかなくてはならないわけだ。

そのためには俺には力も金も、情報も不足している。


力に関しては、第一に装備が心もとない。

あのチリ紙様から貰った装備ははっきり言って紙装甲だ。通気性は良くてもせめてモンスターの攻撃は防いで欲しかった。

それに武器が一つもないのだ。これでは自衛することも出来ずにやられてしまう。


今のところ何とか使えそうなものはこのズボンくらいだろうか。

ものが補充されるポケットを持つズボン。あまりに稀有すぎて安っぽい使い方しか思いつかないが、今後いろいろなことに使えそうだ。

一先ずポケットからタバコを取り出して一服。


そこで俺は自分の失敗に気づいた。


俺は異世界に来てから外でしかタバコを吸っていない。

今までは吸殻を直接地面に捨てていたが(それも良くはないが……)今は屋内にいる。

この世界にタバコ文化があるかはわからないが、部屋を見回す限り灰皿のようなものは見当たらない。

つまり、今の俺には吸殻を捨てる場所がないのだ。


まさか部屋の床に捨てるわけにもいかず、俺は吸殻の処置に困り果てた。そうこうしているうちにタバコはどんどん短くなる。

俺は他に何かないかポケットを探った。


「ん?」


ポケットの奥に柔らかい感触を見つける。

俺は手で感触を確かめながら、それをポケットから引き出した。


それは俺が出先で愛用していた革張りの携帯灰皿だった。

しかしおかしなことに気づく。そのポケットにはもともとライターが入っていたはずだ。

今さっきもライター以外何も入っていなかった。

俺は疑問に思いながらも、考えるのを置いて先に吸殻を処分する。


タバコを捨て終えて改めて考えた。

どうやらこのポケットの能力は、単純に物を補充する力というわけではないらしい。

考えてみればそうだ。あの白い部屋ではなかったはずのタバコやライターが、異世界に来てから改めてポケットに入っているはずもない。

そう。元々なかったのだ。

つまりこのポケットはなかったものを生み出した。そう考えると灰皿が出て来たのも頷ける。


このポケットはどうやら俺が欲したものを生み出す力があるようだ。これは驚くべき能力である。

問題は何を生み出すことができるか、だ。


単純にタバコとライターだけでも、おそらくこの世界にないものだ。俺の愛用していたものなのでなおさらだ。

だからこの世界に存在しない、地球の物品も生み出せる可能性が高い。

俺は欲しいものを考える。今自分にとって何が必要なのか。


そう言えば朝から何も食べていない。カップラーメンでも出せないだろうか。

そう念じてポケットに手を突っ込み、新しく生まれた感触を確かめてそれを引き抜いた。


ジャジャジャジャーーーーン!

カップラーメン~!!


俺の手には確かにカップラーメンが握られていた。お気に入りでいつも家に常備しているやつだ。

どうやら俺の考えは当たっていたらしい。このズボンは俺の欲しいものを生み出すことの出来る道具なのだ。


大して久しぶりでもないカップラーメンを見て、少しだけ涙が滲んだ。異世界に来て2度と味わうことができないと思っていた物が目の前にあるのだ。感動しないわけがない。

早速湯を入れて3分、と行きたいところだが、肝心の湯がない。


……。

さすがに湯を生み出すのはやめておく。火傷して取り出せないだろうしな。


さて。カップラーメンが生み出せたとなれば、次は何を生み出そうか。そう言えばルーナが食事を持って来てくれると言っていたので、食べ物以外にしておこう。


今の所取り出したのはタバコとライター、携帯灰皿にカップラーメンだ。他に使えそうなものとしては……。


そこで俺は閃いた。武器に困っているならこの力で出せばいいじゃないの。パンがないならケーキ、の要領だ。

俺の知る限りで最強に近い武器といえば、やはり戦闘機だろう。

しかしちょっと待て。戦闘機をポケットから取り出すなんて可能なのか。幾ら四次元のポケットの持ち主でもそれはできない気がする。

仮にできたとしてもここでは出せないし、まずは小さめの銃とかにしておこう。

小型の小銃をイメージしながら俺はポケットに手を突っ込んだ。そして中を探る。


「……」


残念ながらでないようだ。ひょっとしたら俺があまり詳しくないものについては出ないのかもしれない。

イメージと言ってもあまりに曖昧だったからだ。

そういえば昔エアガンで遊んでいた時期があったので、そっちを取り出せないかとイメージを膨らませる。

再び俺はポケットに手を突っ込んだ。


「……お?」


今度は手に固い感触があった。それを勢いよく引き抜く。

俺の手には昔使っていたエアガンが握られていた。取り出した瞬間重みが腕にかかる。


さて、この事からいくつか分かったことがある。

まず取り出せるもののサイズだ。

明らかにポケットに入らないサイズのエアガンが取り出せた。生み出せるものはポケットの容量に限られないと言うことだ。


そしてもう一つは重量。

ポケットから取り出して初めて重みを感じたことから、取り出すだけならその重量は問題にならない。

だとすれば、頑張れば車とか戦車とか取り出せるのではないだろうか。取り出した瞬間どうなるか分かったもんじゃないが。


何だかこの能力、思っていた以上に汎用的だ。

このポケットがあればこの世界を楽しむと言う俺の当初の目的も現実味を帯びて来る。


さて次は何を出そうか、とウキウキしながら考えたところで、体の異変に気付く。何か猛烈に眠い。自分の意思では瞼を開けていることが出来ないのだ。

そして半ば気絶するようにベッドの上に倒れこむと、眠気を必死に嚙み殺しながら、しかしそのまま意識を刈り取られて深い眠りへと落ちて行った。

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