1.どうやら俺は異世界に飛ばされたらしい
目を覚ますと、俺は見知らぬ部屋にいた。純白の天井が正確な部屋の高さを分かりにくくしている。
俺はぼんやりとした視界で周囲を見回した。やはり自分の見慣れない部屋だった。
起き上がろうと体を動かすと、背中に柔らかい感触があった。身体を小刻みにゆすって背中に体重をかけると、どうやらベッドの上で寝ていたことが分かった。
しかし布団がかかっているわけではない。簡素なマットだけだ。
俺は上体を起こした。
「痛ぅ……」
随分と頭が痛む。一体何があったのか思い出せない。
そのまま暫くの間中空をボーっと見つめ、俺は意識が覚醒するのを待った。
徐々にはっきりとしてきた意識と、それと共に頭痛もはっきりと感じ取れるようになってくる。
どうやら朦朧とした意識が痛みも曖昧にしていたようだ。
俺は痛む頭を押さえながら、もう一度何があったのか思い出すことにした。
確か昨日は、行きつけのバーで一人で飲んでいたはずだ。
顔なじみのマスターや、独り酒を呷る店の中だけの知り合い。そういった面々と二言三言、言葉を交わしながら、仕事の愚痴や家での苦労をぶつけ合った。
こういう場だからこそ気にせずできる話もある。店の知り合いは赤の他人でありながら、気の置けない間柄でもあるのだ。
俺も昨日は随分と酔っていた。他の客を見送って、マスターとも話さず一人ウィスキーをロックで飲んでいた。
グラスを傾けカラカラと氷を回しながら、ため息を吐いたのを覚えている。
その日は丁度、会社で嫌な上司から理不尽な説教を受けたばかりだった。
元々上司のミスで大事になった問題を、あろうことか、ヤツは俺に全ての責任を擦り付けてきやがったのだ。
その仕事は俺が初めて任されたプロジェクトで、途中までは問題なく進んでいた。しかし先方から入った重大な変更を、ヤツは誰にも連携せずに抱え込んだのだ。
そして間際になってその事が発覚、インパクトの大きさに修正もきかず、結局そのプロジェクトはリリースを目前にして先方からの叱責で中止となってしまった。
当然会社に与えたダメージも大きく、プロジェクトリーダーを務めていた俺は遠地への左遷が言い渡された。まあ左遷とは名ばかりの、事実上の解雇に近い形だ。
その命令を出したのは当然ヤツだ。ヤツは俺を遠ざけることで、負わせた責任が露わになることを避けたかったのだ。
そうして俺は、ストレス満載の中やけ酒を呷っていたわけだ。
客の居なくなった店内はがらんとしていた。俺はグラスを傾けながら、ひたすらちびちびと酒を口に運んでいた。
ふと、視界の端に一人の女が映った。
今まで気づかなかったが、カウンターの一番端に女が座っていた。
年齢は俺より少し若い、20代半ばくらいだろうか。
容姿は整っているが、暗い表情がそれを台無しにしていた。いや、逆に陰のある感じが女の色気を増しているような気もした。
散々な目に遭ってどうでもよくなっていた俺は、その女に声をかけ、一緒に飲み始めた。よっていたので気が大きくなっていたのもあるだろう。
初めは訝っていた女も次第に悩みを打ち明け、俺たちは自然と意気投合していた。
そうしてお互いに酔っぱらった足で、休憩をしようということでホテルへと向かった。
……という所までは思い出せた。
てことは、ここはそのホテルの部屋、ということか。
だとしたら俺はすっかり寝入ってしまったようだ。ホテルに入ったところも含めて何も思い出せない。
思い出そうとしても頭痛がブレーキになって思考を鈍らす。
もう一度よく周囲を見回した。
部屋の内装は何処を見ても白一色。
テーブルも何もない、簡素な造りをしている。
部屋は正方形で扉が1つついているだけだ。そして奇妙なことに、部屋の隅には更衣用のロッカーが、その隣には宝箱が置かれていた。
ゲームなんかでよく見る宝箱そのものだ。
どうやらここはホテルではないようだ。
ホテルであるならシャワーの一つもついているだろう。しかしこの部屋にはそれがない。
ただロッカーと、謎の宝箱があるだけだ。
俺は痛む頭を抱えながら、訳の分からない現状にさらに頭を抱えたくなった。
そして重大な事実に思い至った。
昨夜の記憶がないということは、あの女とあんなことやこんなことをした記憶も全くないということに!
なんてことだろうか。折角の機会だったというのに、女の肌の柔らかさや吐息の甘さ、行為の絶頂感。何一つ覚えていないのだ。
できることならホテルに行く前に戻りたいと思うも、それは後の祭り。今更考えても仕方のないことだ。
頭は痛いし眠気も晴れていないので、とりあえず俺は、2度目の惰眠を貪ることにした。
「ちょっと待て――――――――!! 何寝ようとしとんねん!」
何処かから声が聞こえてきた。
いや、気のせいか。
「気のせいちゃうわー! 自分ちゃんと聞こえとるやろが!」
「ん? 何なんだ一体?」
俺は部屋に響く声の主を探した。
しかしどこにもそれらしき人物がいない。
やはり気のせいか。
「せやから気のせいちゃうわ! ちゃんと声だしてますぅー」
「声出してるって、どこにも姿が見えないんだが」
やはり部屋の中には誰もいない。
隠れられそうな場所と言えばロッカーか宝箱の中くらいのものだが、その中に入っているにしては声は随分とクリアだった。
つまりこの部屋以外の場所から声を発しているということか。
「なんや。自分随分と察しがええやないか」
「……俺の考えてることがわかるのか?」
「当たり前だのクラッカー。うちは神様やからな」
「神様?」
これはまた随分と、予想の斜め上を行く回答だった。
しかもギャグが古い。
神様とか名乗る幼女のような声は、自信満々に言葉を続けた。
「自分えらい混乱してるみたいやな。そりゃそうか。突然こんな見知らぬ部屋に放り込まれて、何が起こってるかも分からへんからな。しゃーない。うちが色々と教えたるわ」
「いや、遠慮しておこう」
そうして俺は2度目の惰眠に――
「だから寝るなやど阿呆! ちゃんと話聞いて。せやないと話進まへんから!」
神様にも色々と事情というものがあるようだ。
仕方ない。少しくらいは付き合ってやるか。
「分かったよ。聞いてやるからさっさと話せ」
「ほんま? おおきにな!」
随分と単純なやつだ。関西の人間はノリがいいというが、これは扱いやすそうだ。
「自分、考えてることダダ漏れやから。神様お見通しやから……」
「おっと失礼。気にせず続けてくれ」
「……。まあええわ。えっとな。簡単に言うと、自分、異世界に飛ばされてん」
「……」
俺は眉間にしわを寄せてこめかみに指を突き立てた。
話が飛躍しすぎてついていけない。
全くこれだから今どきの幼女は困る。さっさと寝て起きて、夢から覚めよう。
俺は再びベッドに横になった。
「嘘ちゃうわ! これほんま。ほんまにほんまやから信じて!」
姿は見えないが泣きながら懇願する姿が目に浮かぶ。
まあ声だけしか聞こえないので実際の性別や年齢は違うのだろう。なんたって神様なのだから。
両性具有であってもおかしくはないし、年齢も自由自在かもしれない。
あまり幼女の姿を想像するのはほどほどに止めておくことにした。
「まあこの状況、信じるしかないんだろうな」
「おお。自分随分適応力高いな。そうそう。はじめから素直にうちの話をきいとればよかったんや」
何だろう。声だけだが、こんなに人をイラつかせられる才能も稀有なもんだ。
とは言えここで反発しては話が進まないので、俺は大人の対応をとることにした。
「で、ここが異世界だとして、具体的には俺はどのタイミングで飛ばされたんだ?」
「タイミング?」
「つまり、俺が行為を行ったのか行ってないのか、だ」
「……」
俺の言葉に神は呆れているらしい。どうやら幼女には大人すぎる話題だったようだ。
まあ呆れられるようなことを言ったという自覚はあるので、とりあえずこの話は置いておく。
「冗談はさておき、どうして俺が異世界に飛ばされなきゃならないんだ? 全く心当たりがないんだが」
「そりゃ当然や。だって、たまたまタイミングよくいたあんたがたまたま召喚されただけやからな。ま、宝くじの一等賞に当たったみたいなもんやから喜びーや」
「わーぃ(棒)」
俺は嬉しさのあまり喜びの言葉を口にする。
つまりは何か。俺は宝くじとは名ばかりに、大凶のくじを引かされたということか。
そんな理不尽がまかり通っていいのか。全く、上司の事と言い、異世界に召喚されたことといい。どうやらこの世は理不尽なことで溢れ返っているようだ。
まあもう世界が違ってるわけだが。
「まあそない気にしーなや。ちゃんと異世界で生きていけるだけのプレゼントは用意しとるから、それ受け取って元気に旅立ち―や」
「プレゼント?」
「そうや。そこのロッカーと宝箱。その中に冒険に役立つ道具が入ってるから」
俺は部屋の隅に置かれているロッカーと宝箱に目を移した。
なるほど。この中にアイテムがあって、冒険者にそれが支給されるわけか。で、それを使って魔王を倒せと?
その疑問を読み取ったのか、神の声が反論を口にする。
「ちゃうちゃう。別に魔王倒せなんて言っとらんわ。あんたに頼みたいんは一つや」
神は深呼吸するように一拍間を開けた。
俺は真剣に耳をほじりながらその言葉を待った。
「神を殺せ!」
「断る!」
「早いっ! ちょっと、断るの早いから!」
あまりにぞんざいな俺の返事に神は非難の声を上げた。その後も色々と言っていた気がするが、全く聞いていなかったので覚えていない。
俺は神の言葉を無理やり打ち切った。
「じゃあ早く殺してやるから姿を現せ」
「ちゃうわ! うちちゃうわ! 何考えとんねん、怖っ!」
「じゃあやっぱり断る」
「何で? 何で断るの!? じゃあって、うちが死んだら良かったん?」
何だか神が涙目になっている光景が目に浮かぶようだ。
さすがに言いすぎただろうか。
「ならお前じゃないなら誰なんだよ」
「そ、そりゃあ悪い神様に決まっとる。神様ゆーても一杯いるからな。あ、うちはいい神様やで?」
神はちょっとだけ元気を取り戻したように言った。
最後の言葉は慌てて付け加えたようなので、どうやら俺が訝し気な表情を浮かべたから弁解のつもりだったのだろう。そんな弁解をしたところで、この神への欺瞞は揺らぐことはないのだが。
しかしラスボスは神様か。それって、魔王と戦うよりよっぽど大変なんじゃないか。
「とりあえず、そのロッカーに服入ってるから着替え。宝箱には武器が入ってるから」
俺は渋々神の声に従いベッドから起き上がると、ロッカーへと向かった。
扉に手をかけたとき、ふと疑問が口をついた。
「異世界への転生って最近流行ってる気がするんだが、俺の他にもここに飛ばされてきたやつはいるのか?」
「ん? 他の人間か。勿論おるで」
思った通り、他にも参加者はいるようだ。参加者って表現があってるかはわからないが。
「もう一つ質問なんだが。これって、クリアすれば元の世界に帰れるのか?」
「クリアってなんや? まあええわ。一応その悪い神様倒せたらうちが元の世界に戻したる。この世界に永住希望って言うなら別に構わへんけどな」
「そうか。つまり、俺以外のヤツがその神様を倒しても帰れるってわけだな」
「まーそうなるなぁ。でも、できるだけ自分で達成するよう頑張りな。他の異世界人と協力すれば早いこと元の世界に帰れるかもしれへんからな」
自分でできるようって、何もしない神様に言われても何の説得力もなかった。
まあとりあえず死なないようほどほどに頑張ることにしよう。そんな事よりこの世界での生活をエンジョイする方が重要だ。異世界ハーレムとか作れるかもしれないし。
「自分何考えとんねん……」
「人の思考を勝手に読まないでもらいたいな。それくらい大目に見ろ」
「……はぁ。まあええわ。そううまいこといけばええな。さ、さっさと着替え」
俺は促されるままロッカーを開いた。
中に入っている衣服を手に取り、それを広げてみる。
んー。これはまたなんとも冒険者らしい服装というか……。
上着は麻でできた簡易な服だ。はっきり言って防御力ゼロのペラペラな1枚。強いて良い点を挙げるならば、肌触りと風通しがいいことくらいだろうか。
ズボンは茶色の綿パンツ。肌触りは申し分ない。コットン100とは有り難い配慮だ。
「こんな装備で大丈夫か? て、これは俺のセリフではない気がするんだが……」
「まあそればっかりはうちにも決められへんからな」
「どういうことだ?」
「そのロッカーと宝箱の装備は、完全にあんたの資質に合わせて自動で選ばれるんや。うちが決めたもんやない。決めようと思っても決められへんからな」
「ここに来た他のヤツの中にはもっとすごい装備が与えられたりしたのか?」
「んー。そうやなぁ。オリハルコンとか、ゴールドクロスとか。かっちょえーやつ受け取ったのもいたで」
おいおいそりゃ何処の聖闘士だ。そんなの強くてニューゲームじゃないのか。
それに比べて俺への扱いがひどすぎる気がするんだが。
「ちなみにこの装備は、今までのやつらと比べるとどれくらいいい方なんだ?」
「そんなんダントツで最下位やな」
「……」
神は一段と元気よく答えた。何だか頭が痛くなってきた。
最弱装備から始まる異世界生活。これは随分とハードな展開だ。あまり縛りプレイは得意じゃないんだがな。縛るプレイにはちょっと興味があるが。
まあ防具が心もとない分、武器が豪華なことを期待しよう。
俺は隣に置かれている宝箱をそっと開けた。
すると箱の中から煙が立ち上る。その煙が晴れたとき、箱の中にあったのは……。
「……」
「……」
何もなかった。箱の中には埃一つない。災厄はいいからせめて希望くらいは残しておいてもらいたかったのだが。
「空っぽやな」
「……空っぽだな」
「……」
何か言えよ。使えねーなこの神様は。
「心の中で責めるのやめて! 何か気持ちが痛いわ!」
「ならどうにかしろこのクソ紙が」
「せめてクソ神にして? クソ紙ってなんか別の意味になるからぁ!」
神の声は泣きそうな声を上げていた。泣きたいのはこっちの方だというのに。
それにしても、武器も何もないでどうしろというのだ。俺にこの部屋で引きこもれというのか?
三食昼寝付きでゲームくらい用意してもえたら考えなくもないが。
「まさか何もないとは思わんかったわ。これはうちも初めてのケースやからな。ひょっとしたら何か特別な力が備わったかもしれへんで」
神の声は何故か得意げな様子だった。
俺はもう一度箱の中を見た。
やっぱり、中に何もありませんよ。このクソ紙様。
「ちなみに質問なんだが。こういう異世界に飛ばされる物語だと、スキルとか、そういう身に備わった力があったりするもんだが、さっき言った特別な力ってことはこの世界でもそういうのはあるのか?」
「勿論あるで。個々に備わった固有の力がな。人を虜にする能力やったり透明化する能力やったり。便利なもんも一杯あるわ」
「透明化する能力。それは何とも魅力的だな」
「……安心せー。あんたにそんな能力は備わっとらんから」
どうやら考えを見透かされてしまったようだ。
しかし透明化でないとすれば、俺に備わった能力は一体何なのだろうか。
まさか宝箱と一緒で何もない……なんてことは、流石にないよな。
「当然何も能力がない者も中にはおるから、あんたが無能な可能性も全くないとは言えへん」
このクソゲーがっ!
防具はないも同然。武器もない、スキルもない。そんな状態でどうやってこの先生活していけというのだ。
無一文で世間の荒波に放り出されて、つまり俺にホームレスになれと?
これならまだ前の世界で左遷されてた方がよっぽどましだった。
こうなったら本当に三食昼寝付きでゲームを用意してもらわねば割に合わない。神が倒されるまでこの部屋に引きこもることにしよう。
「そんなん許すわけないやろ。ほら。さっさとその扉から出ーや」
「ちょっと待て。異世界で生きていけるだけのものを何ももらってない気がするんだが? その前に俺のスキルを教えろ。まさかほんとにスキルがないなんてことはないだろうな」
「そうやな。教えてやりたいとこやけど、残念ながらうちにあんたの能力を鑑定する力はないんや。堪忍な」
「!」
神の声がそう告げると、俺の体は見えない力に押されるかのように扉へと引き寄せられた。
足に力を入れて踏ん張ろうとするが、俺を引き寄せる力はそれ以上だった。踏ん張りも意味なく、俺は扉に叩きつけられる。
ふっと、体にかかる力がなくなった。
助かった、と思ったのも束の間、俺の身体は扉の外へと放り出されていた。
そこは白い空間だった。
先ほどの部屋も白一色に染まっていたが、ここはそれ以上に何もない。壁も、天井も、家具も何もかも。極めつけは、床すらなかった。
自然、俺の体は重力に引かれて下へと落ちて行く。
そして落ちていく中で、呑気な神の声音が耳に届く。
「まずは町を目指し。そしたら、あんたが気になっとる能力も教えて貰えるわ。精々頑張ってなー」
「この、クソゲーがぁっ!」
俺は吐き捨てるようにそう叫びながら、白い海へと飲み込まれていった。
と言うわけで、異世界ものを書いて見ました。
一応定期的に投稿できたらと思うんですが、なにぶん書くスピードが遅いので。。。
まあゆっくり投稿して行けたらと思いますので、ゆっくりお付き合い頂けたらありがたいです。