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第2版  作者: 八雲 辰毘古
旅立ち篇
9/57

9.ヴェラステラ──〈氷月の乙女〉

 夕暮れは藍色(あいいろ)の闇へと変わり、月影は山なりに高くそびえて、彼らの跡を追っていた。

 村を離れ、都市へとつづく方角に切り替えると、薄暗い木立ちが並んでいる。


「もう数十年前に廃れた人里だから、しばらく道なき道を歩くことになる。気をつけて」


 こう言って、ガーランドが歩き出す。

 ふたりはただ黙って従った。

 振り返ることなんてしなかった。

 ユリアにも失礼だと思ったし、それよりも早く道を行くほうが、彼女の意志にも叶うと信じたからだった。


 これを過ぎると、ようやく途切れかかった道が見つかる。ガーランド自身がメリッサ村にたどりつくために用いたという、ギルドが保有する街道だ。

 しかしこの一帯は往来が途絶えたために、その大半は土埃(つちぼこり)に埋もれていた。残骸となった縁石もそのままになっているものの、これのおかげで、彼らは街道に入ったことを自覚できた。


 そこから先は歩くのが楽だった。

 足元を気にする必要がなくなったのだ。


「……なあ、ガーランドさん」


 そこでアデリナが口を開く。

 なんだい、と尋ねるガーランドは、しかし振り返らなかった。


「あんたがメリッサ村に来た時も、あんな道なき道を歩いて来たんだよな?」

「そうだよ。なにせああいうところだから、行くのに苦労したなぁ」

「なんでそんな道なき道をたどってまで、メリッサの地に用があったんだ?」


 ガーランドはすぐには答えなかった。

 しかしごまかしが効かないとわかると、ため息を吐いて、ちらとふたりの方を見やる。


「私が〈星室庁〉の密偵なのは、わかっているよね。ならば、聖王国が〈イドラの魔女〉をどのように考えて、どうしたいかも知っているはずだ」

「ああ、だからこそ聞いてんだ。あんた、あそこで何しようとしていたんだ?」

「やれやれ、可愛げがないな。そんな単刀直入じゃあ、王都のひとびとがガサツだと思うだろうね」

「よ、よけーなお世話だっ」

「まあいい。隠しごとはナシにしよう。これは王都では何も秘密ではないからね」


 と、ガーランドは立ち止まると、


「われわれ聖王国は、〈イドラの魔女〉の本拠地を見つけ出して、これを撃滅しようと画策している──いわば〈第二次魔女戦争〉を起こす支度をね」

「魔女……戦争?」

「王国が興ってから現在に至るまで、おおよそ二百年余り。その初期に行われた〈大統一戦争〉に並んで、悪夢として歴史に残る大戦(おおいく)さ──それが《魔女》との戦い、通称:魔女戦争と呼ばれている。その再来だよ。女王陛下は本気なのだ」


 そう告げるガーランドの目は、真摯(しんし)さそのものであった。


「ねえ、待ってよ。魔女戦争って、あれを起こした場所がどうなったのか、知ってて言っているの?」


 非難がましく言ったのは、ルートだ。


「ボク……本で読んだことあるよ。メリッサからはるか南側に広がる平野……いまでは〈古戦場ヶ原〉と呼ばれているあの一帯は、死者の怨念に満ちあふれ、草木すら生えない呪われた大地になってしまったって。あんな場所を増やしてしまうんですか?」

「しかし、そうでもしなければわれわれは〈イドラの魔女〉に敗北することになるだろう。あの一帯だけじゃない。辺境の人里は彼女たちに襲われ、魔獣の住処に塗り替えられている。その悪業は、〈叙事詩〉の中で語られる〈魔王〉にも等しい!」

「だからと言って、そんなことがいいわけがないよ……!」


 ルートは怒っていた。

 ガーランドは眉をしかめた。


「正論だな。しかし、どうしようもない。戦わなければ、われわれの被害が増えるだけだ。それは〈星室庁〉の立場からも、女王陛下の一臣民の立場からも望ましくない」

「そうやって、ほんとうに被害を受けるものをなかったことにするんだね……」


 ルートのひとみは青く燃えていた。

 その視線を突き立てられたガーランドだったが、やがて肩をすくめると、


「その考え方は忘れるなよ。私のような人間には、なかったことにでもしないとまともじゃいられないのさ」

「へえ、じゃあアナタ、わたしたち〈イドラの魔女〉の苦しみもなかったことにするつもりなの?」


 突然割って入った声に、場が凍った。

 ガーランドが振り向くと、街道沿いの里標塚(マイルストーン)に腰掛けた、小さな人影が見受けられた。そこは青白い月の光を受けた木陰になっており、さながら人影が濃紺(のうこん)の闇をガウンとしてまとっているかのようであった。


「こんばんは、みなさん。おおむね、初めましてが正しいかしらね」


 影は街道に立つと、ゆっくり革靴の足音を立てながら、彼らの道をふさいだ。その途中で、月明かりが影の正体をつぶさに明らかにする……雪のように白い肌、(あけぼの)のような紅の髪、華奢(きゃしゃ)な肢体をすんなりと包む男物の衣服。

‪ ‬そして何よりも、顔の左半分を覆う赤の刻印。

 これを見て、ガーランドの目の色が変わった。


「〈氷月(ひづき)の乙女〉……!」

「ご名答、〈星室庁〉のお役人さん。けれども、わたしにはそんなお堅い二つ名じゃなくて、ヴェラステラというとてもステキな名前があるのだけれど……」


 ふふ、と笑いながら、ヴェラステラは片手に(たずさ)えていた(かさ)を開いた。それは月光を受けて白く光り、彼女自身をひとつの絵画のような(たたず)まいに仕立て上げていた。

 その彼女は、傘の柄を手のひらで(もてあそ)びながら一行の顔ぶれをひとつひとつ検分している。

 すでに一行は荷物を降ろしていた。

 ガーランドは緊張した構えを取る。しかしすぐには動くことはせず、互いのあいだに見えない策謀(さくぼう)の糸を張り巡らせていた。


 その距離、おおよそ十歩の間合いである。

 すぐに決着を付けられるものではない。


 これは傍観(ぼうかん)しているアデリナにもわかることだった。稽古(けいこ)場で鍛えた感覚は、しかし手元に得物(えもの)がないことを嘆いていた。

 その焦燥(しょうそう)を見透かしたのか、《魔女》は(なま)めかしく微笑んだ。そのままなぶるような視線をルートに向けて、


「あら坊や。着せ替え人形のようにキレイな見た目をしているじゃない。いいわねぇ、お持ち帰りしたいなぁ〜」

「なっ!」

「キャハハ、照れちゃってぇ、かわいい〜」


 邪気いっぱいに笑うその表情は、多くの人間を堕落(だらく)に誘い込む悪魔的な魅力にあふれていた。

 そしてその余裕ぶった様子が、アデリナには気に食わなかった。


「図に乗ってンじゃねーぞ、クソ女」

「あら、ひどい物言いね。でもわたしは心が広いから許してあげる。それに、あなたも口の悪さがなければ、けっこうべっぴんさんよ?」

「そりゃどーも」

「あ、でもダメね。胸がないもの」


 かちん、と音が聞こえた気がした。

 握りこぶしで飛び出しかけたアデリナを、ルートが後ろから抑える。


「まあまあ、いいのよ。世の中広いから、そーゆーのも好きなオトコもいるわよきっと」

「テメエ言わせておけばッ!」

「待って! リナ! 無茶だって!」

「黙れルゥ、ここは、引き退(さが)っちゃいけない問題なんだよッ!」


 と、そのときヴェラステラは勝ち誇った笑みを浮かべた。

 それを察知したガーランド、すぐさまふたりを抑えて、懐から短剣を抜き払った。


「あらダメよ。せっかくのお楽しみを、そんなチャチなもので終わらせないでよ、()()()()()()()


 ガーランドは目を見開いた。名前を掌握されている! と驚く間もなく、彼は足を何ものかに引っ張られる感触を得ていた。

 その見えざる手の存在を探知すると、ガーランドはすかさず手に持っていた短剣でこれを斬り裂いた。

 声にならない悲鳴があがる。

 手ごたえがあったのだ。

 しかし、その瞬間にはすでにヴェラステラは次の行動に出ていた。ひらひらと振り上げられた手の動きに合わせて、風が吹き始める。巻き上げるそれは、左巻きの螺旋(らせん)を描いているようだった。


 ぞわり、と嫌な気を予感したルート。

 立ち上がりかけたガーランドに向かって、体当たりの要領でこれを押し出す。すると、彼らの立っていた場所目掛けて、槍のような氷柱(つらら)が一本突き立っているのが見えた。


「やるわね、(かわ)すなんてサ」


 じゃあこれはどう? とヴェラステラが次に見せたのは、手のひらから撃ち出された、鋭利な氷の(つぶて)だった。

 それもひとつではない。

 無数の刃となって飛んできた。

 ガーランド氏はそれを見て取り、ふたりの前に立ちはだかる。素早く呪文を唱えると、見えない大気の障壁を築き上げた。


 そこに無数に撃ち込まれる氷の刃。

 さながら横殴りの(ひょう)の嵐のように、刃はガーランドの身体を()ぎっていった。そのひとつひとつが着実に体力を奪ってゆく。


「動くんじゃないぞふたりとも。護る範囲を広げたくないからね……!」


 強がってみせるものの、ふたりの目から見てもガーランドは疲弊(ひへい)しきっていた。ひたいからは玉のような汗が吹き出し、噛み殺してはいるが、苦痛のうめき声すら()れ出ていた。

 戸惑うふたりだったが、どうすることもできない。


 この状況を数秒で察するや、ヴェラステラはまた次の手を繰り出した。氷塊の射出先を、地面に向けたのだ。

 (えぐ)れる地面に、巻き上がる土煙り。

 視界がすっかり見えなくなる頃に、ガーランドは相手の意図を悟った。悲鳴を聞き、振り返ると、すでにヴェラステラがルートの首筋に、傘の柄から延びる仕込み刃を当てていたのである。


「つーかまえたっ」


 もがくルートを、冷ややかな笑みで黙らせる。その笑い方はとても楽しそうな、朗らかなものだったが、身体は緊張したまま、少年の余計な動きをひとつとして許さない。


「どうするつもりだ」


 ガーランドは先んじて声をかける。

 牽制(けんせい)の、つもりだった。


「どうするって? イヤだなぁ、分かり切ってるでしょ。離反者:エスタルーレの持ってった大切なモノを、取り返しに来ただけよ」

「それはなんだ。なぜ〈イドラの魔女〉はそう血まなこになって子供を付け狙う?」

「あーあーうっさいわねェ。どうして〈星室庁〉のお役人さんはこう、ガサツなことしか言えないのかしらねぇ」


 と、言うと、彼女は指をルートのこめかみに突き立てた。それは、しかし肉体の境界を侵して、ずぶずぶと頭の中に入っていった。

 肉体的な痛みはなかったが、ルートは、精神をまさぐられるような違和感に苦しめられた。


「この子の《記憶》に用があるのよ。エスタルーレから引き継いだの、ちゃあんと見てたんだからね。隠したってムダムダ……あれ?」


 なぶるように、責め立てるように、しかしどこか甘やかすような様子で展開した調べ物は、突如終わった。

 茫然として、ヴェラステラはつぶやく。


「ウソでしょ、《記憶》が見つからない」


 なんで……とつぶやくそのスキを突いて、ガーランドは飛び出した。

 仕込み刃を持つ手をつかみ、ひねりあげようと試みる。けれどもすんでのところでそれに気づかれ、()え無く身を(ひるがえ)された。そのまま彼女はガーランドの身体を組み敷いて、圧倒的優位を確立する。


 しかしその大掛かりな回避行動のために、ヴェラステラはルートを手放さなければならなかった。

 糸の切れた人形のように倒れかかるルートを、アデリナは素早く受け止めた。すぐさま揺すって回復させようとするものの、彼のひとみはどこか虚ろで、まだ現実に戻っていないようだった。


「はああ、ちょっとマジでないんですけど」


 怒りに充ち満ちた、ヴェラステラ。

 傘の柄をすらりと抜いて、細剣(レイピア)のように鋭利な刃をあらわにする。それをガーランドの首に降ろして見当をつけると、振りかぶって、


「ちょっと予想外のことが起きて困ってるんだけどサ……まあいいや。先にあんたを殺して、あとでじっくり調べりゃいいもんね!」


 その時だった。

 アデリナは、ルートのひとみに、不思議な紋様を見つけた。瞳孔(どうこう)虹彩(こうさい)のあわいに揺れていて、最初は判別がつかなかったものの、やがてくっきりと輪郭(りんかく)を帯びて浮かび上がった。

 それは、三角形だった。

 しかしアデリナは気づいていない。その紋様が、上下逆さまの状態で、自分のひとみにも現れていることを。


 ふたりは見つめ合っていた。

 さながら恋人たちのように。

 生涯をともにすると誓った間柄のように。


 強く絡み合うように交わされた視線は、やがて離れがたい(えにし)を可視化する。それは()りあわされ、紡がれた糸のようにしっかりとお互いをつなぎ、ふたりの紋様を転写し合った。

 白く(はげ)しい光が顕現(けんげん)する。

 周囲の土煙りを巻き込んで、昇る螺旋を描くがごとき気を感じる。それはあたかも、この世ならざるものを現世(うつしよ)に降ろしている、その途中の光景だった。


 強い風を感じ、《魔女》は手を止めた。

 ガーランドも、気を取られた。

 両者のまなこは吸い寄せられるかのように、ふたりのすがたに見入っていたのだ。


 突然、アデリナは落雷に打たれたように、ある直感が全身を駆け巡るのを知った。そして想うよりも早く、ルートの胸に向かって手を突き出した。

 心臓を貫く一閃。

 しかし手は突き抜けない。

 異次元につながっているのか。

 それとも……

 やがてゆっくりとした動きで、腕が引き抜かれた。その手には何かが握られている。黒い、否、金色の十字を模したそれは、月明かりに(きら)めく白刃を伴っていた。


 ウソ……とヴェラステラが蒼ざめた。


 抜き払ったのは、剣。

 月を貫くよう高くかかげる。

 そしてそのひとみに宿るは、六芒星──

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