7.〈星室庁〉の男
「なんで、て思っているのかい?」
歩きながら、ガーランドは言った。
明日の天気でも尋ねるような口調だった。
「それもあるけど……いままで何やってたのさ、ガーランドさん」
ルートが不機嫌に言う。
するとガーランドは苦笑した。
「いやあ、まあ、いろいろあったのさ。話すととても長くなる。けれどもそれは本題じゃないから、いまは置いておきたい」
「じゃあ何を話すっていうんですか……」
「端的にいうと、これから君たちがどうするのか、だな。いま君たちの置かれている状況はかなりまずいことになっているからね」
あまりに唐突すぎて、返答に窮した。
「どういうことだよ」
かろうじてアデリナが訊き返す。
しかしガーランドは、
「口で説明してもわからないと思うから、とりあえずは来てくれ。百聞は一見にしかず、だよ」
とだけ言って、先に歩いてしまった。
森を出て、タケダカソウの原っぱを横切ると、ようやく彼は手で示した。
「ご覧。あそこにある──いや、なくなったものを、ね」
その先を、ふたりは見る。
本来ならば、メリッサ村の赤い屋根が、山あいに見えてくるはずだった。しかしふたりは、それを視認できなかった。ただ紅葉が始まりつつある山々が広がっているばかりなのだ。
「村が……ない」
ルートの言葉に、ガーランドは頷いた。
どうして、と言いかけたアデリナに、彼は淡々と応えた。
「消えたと思ってるのかもしれないが、それはちょっとちがう。もともと存在していなかったんだ。メリッサ村は、もう百年近く前に廃れてしまったのだからね」
これにはふたりは戸惑った。
戸惑って、それから、なぜか怒りを感じた。
「ウソだ」とルートは言った。その腕はわなわなと震えていた。「だっておかしいじゃないか。最初からないんだったら、ボクたちも夢と同じだっていうの?」
「落ち着いてくれ。私もまだすべてを了解しているわけじゃないんだ。私は外から来たから、記録上、この村はもう土地台帳として存在いない、という事実しか言えないんだ。けれども、だからこそ調査が必要だった。私は〈星室庁〉の人間なのでね」
〈星室庁〉、と聞いてふたりはギョッとした。その名前こそは、聖王国の支配を決定的なものにする機関のことであり、同時に多くの隠密を抱える組織でもあったからだ。
すなわち、ガーランドは自らを密偵であると明かしたことになる。
「なら……どうして」
かろうじてルートが問うた。
その質問を待っていたのか、ガーランドはつづける。
「魔術の反応が見つかったんだ。あの山あい一帯を範囲とした、巨大な魔術の放つ気がね。だけど、それがどんなものだったのかわかったのはついさっきのことだよ」
歩こうか、と促した。
「会わせたい人がいるんだ。というよりも、その人に会わなければ真実は明らかにならない、と言おうか。私はその人から、君たちを連れてくるように言われた。君たちも、私も、ほんとうのことを知りたいという点で利害は一致してきると思うが、どうだい?」
ふたりは頷いた。
その道中で、ガーランドは語りつづける。黙ったまま進むよりは、彼自身が知っていることを話した方がいいだろう、とまるで自分に言い聞かせるように切り出して、だ。
「……最初はね、《魔女》の隠れ里だと思ったのさ。地図からなかったことにして、なにか聖王国に対して不穏な動きを隠そうとしていたんじゃないか、とかね。〈イドラの魔女〉については聞いたことがあるんじゃないかな」
「ああ。聖王国に刃向かう凶悪な《魔女》の結社だ、ということはアタシでも知ってる」
答えながら、アデリナは、この知識がいつどこで聞いたものなのか、確証を持てないでいた。
「そう。その〈イドラの魔女〉が、またなにか企んでいると思っていた。というのも、ラストフがいたからだ。彼は十四年前に女王陛下を裏切って、《魔女》の側に堕ちた聖刻騎士だったのだからね」
ふたりは息を呑んだ。
「父さんが……聖刻騎士?」とアデリナ。
「初めて知った……」とルート。
「なんだ、そんなことも知らなかったのかい……じゃあ彼が死んだはずだということも知らない、ということだね」
意外そうに眉を上げたガーランド氏だったが、ふたりの驚愕に満ちた表情を見て、むしろ気の毒な気持ちになった。
なだめるような口調で、彼はつづける。
「ところがじっさいには生きていた。私は生きて動く彼を見たから、間違いない。だから私はますます背後にある《魔女》の存在を確信して、これを調べようとしたんだが……」
「ちがうよ、ガーランドさん。ラストフは──お父さんは、ほんとうに死んだんだ」
「……なんだって?」
今度はガーランド氏が驚く番だった。
「ボクたち、昨晩からずっとお父さんと暮らした記憶や、持ち物を探そうと家中を探し回ったんだ。けれども、布切れひとつ見つからなかった。強いて言うなら、モール金貨五枚と、魔法の文字が刻まれていたこの本だけなんだよ……大の男が持っているべきものとしては、あまりにも何もなさすぎませんか?」
問いかける青藍石の視線に、ガーランド氏はグッとたじろいだ。
「しかし……じゃあ、だったらどうやって……私も目を開けたまま夢でも見ていたとでもいうのかい?」
「あるいは、そうかもしれません。ボクたちは全員、ずっと誰かの……夢の中を生きていたんじゃないでしょうか?」
ルートの推理を聞きながら、アデリナはふと、懐かしい感触を覚えていた。
アタシたちはずっと誰かの夢の中を生きている……その洞察は、限りなく的確である気がしたが、この直感がどういう根拠を持って現れたのか、自分でも掴めなかったのだ。
長いあいだ、夢を見ている気がした。
それはとても儚く、美しい夢。
まるで胡蝶のように、花びらのように。
あるいは影のように揺らめいて、少女の心を惑わせる。
ひゅう、と風が吹いた。
夢から醒めそうな、冷たい風だった。
ふと見れば、かつて村の家々が並んでいたはずの景色にたどり着いていた。曲がりくねった山道や、がらんとした空き地、段々畑の名残のような段差などが、しかし何ひとつひと気を感じさせない自然に呑まれていた。
しかし……
たったひとつだけ、人間の生きた痕跡を明白に表す存在があった。
それは母屋だった。
お世辞にも綺麗とは言い難く、手入れもあまりされなくなって久しいが、そこは紛れもなく人間が住むために工夫された一軒家だ。
「淑女をずいぶん待たせるじゃないか、若造」
嗄れた声が、彼らを出迎えた。
見れば、杖をついた老婆が、不機嫌そうにシワを寄せて扉の傍に立っていた。服装は粗末で、背は曲がり、白髪だけしか残っていないものの、その佇まいにはどこか気品が感じられた。
「遅くなりました。申し訳ない」
ガーランドが謝ると、老婆は鼻をフンと鳴らした。
「そんな調子では、お前さん結婚なんて夢のまた夢じゃぞ。男ならもっとせかせか行動できるようになれと騎士学校で教わらんかったか」
「あいにく、魔女のなだめ方は教わりませんでしてね。それと、私には許嫁がおります」
「あーいやだいやだ。わたしにはその許嫁どのが不憫に見えてならん」
しかしふたりは、こうしたやりとりよりも気になることがあった。
「……ユリア、さん?」
「病気だって聞いてたけど」
「おお、リナにルゥ、大きくなったのぅ……って、バカ言うんじゃないわい。わたしは元気じゃよ」
「え、でも、だってガーランドさんの治療を受けていたんじゃないの?」
ルートの指摘に、ユリアは顔をしかめる。どう説明したものか、少々考えているようだった。
「……表向きはそうなっておったな。確かにわたしは家から出ることが叶わなくてな。そこの若造にいろいろ面倒を看てもらっておったわ。しかし、それは病気のためじゃのうて、お前さんたちを護る術を維持するためだったんじゃよ」
「えっ、それじゃあ、ユリアさんって」
「聡いな、ルゥ。そうじゃよ。わたしが、お前さんたちに魔術を掛けていた魔女さ」
ふたりは茫然とした。
アデリナに至っては、口をぽかんと開けていた。それを見たユリアは、悲しみを滲ませた微笑みを浮かべて、つづけた。
「さて、役者は揃った。さっさと本題に入ろうかね……」