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第2版  作者: 八雲 辰毘古
イドラの魔女篇
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3-13.記憶のいばら(3)

 ニース・フェストルドは、ビラン・オルディナと召使いのオルグを連れて、セイシェル邸の外に出ていた。


 屋敷にはすでに黒々とした業魔があふれていて、魔術の心得がある人間以外には手出しができない有り様だった。窓という窓から泥のような魔がこぼれおち、庭先のはだかの木々やしげみを(けが)している。さいわいにして植物の魔物化は免れているものの、いつここが魔窟になってもおかしくはないほどの瘴気(しょうき)が漂いはじめていた。


 しかし、オルグは悲鳴を上げて、逃げることを拒んだ。彼は、まだ邸宅内に取り残された女主人カテリナを助け出さねばならない、と強く粘っていたのだ。


「あーん、もう、いい加減にして。あの業魔の中に戻るなんて自殺行為よ!」


 そう、力づくで召使いを連れ出そうとしていたときである。


 屋敷の二階部分から壮絶な破壊音が響き渡ると、瓦礫(がれき)粉塵(ふんじん)から、ふたつの影が飛び出した。

 片方は黒々とした業魔を全身にまとい、泥人形がかたどられるかのようにうごめいている。

 もう一方は、細剣(レイピア)を握った少女──編み込んだ金髪に、細くて筋肉質の全身図が浮かび上がる。


「シュヴィリエール! あと、魔獣?!」


 彼女はあっけに取られて、手を放してしまう。

 ビランと召使いはそのせいで地面に倒れてしまうが、ニースの見ているほうを見て、ふたたび目を(みは)った。屋敷から飛び出したふたつの影は、たがいの全精力を賭けて戦いあっているのだ。

 目まぐるしい勢いでシュヴィリエールが細剣(レイピア)を振るい、漆黒の塊をそぎ落とす。

 だが、一向に内側の存在は正体を現そうとはしない。


「あれは……誰なの?」

「アデリナだよ」


 振り向くと、レアンドルがいた。

 肩に手を当てて、満身創痍(そうい)の有り様だった。

 その傍らには、意識を失ったカテリナがいた。レアンドルの肩を借りているのだった。


「どういうことなの」

「言葉通りだ」


 レアンドルがあごで指し示すと、業魔の塊から、アデリナが現れた。

 そのひとみは紅く、全身に尋常ならぬ気配を宿している。

 そこへシュヴィリエールの電光石火のごとき一閃が、すかさず入った。

 しかしアデリナはかろうじてこれを避け、シュヴィリエールの手元に手を掛けた。

 細剣(レイピア)が、弾き飛んだ。もんどりうったシュヴィリエールは素早く受け身を取り、ふたたびアデリナと正対する。

 向き合った青いひとみの片方に、六芒星の印が浮かんでた。


「どうして……」とニース。

「《魔女》だったんだよ、あいつは」レアンドルは冷ややかに答えた。

「ウソ! だってあの子は……」

「その目で見ろ。これが真実だ」


 ニースは絶望的なまなざしでアデリナを見た。血の気が引いてゆくのを感じる。いままでいっしょに笑って愚痴っていた相手が、《魔女》だった……その事実を前にしたとき、彼女は「どうして」と思った。どうして教えてくれなかったのか、どうして騎士学校に入ったのか、どうしてこんなことになってしまっているのか……

 あのとき、騎士学校の訓練所で剣技や格闘技を学んだときの、にかっとした笑顔や、汗まみれで取っ組み合いをしたときの邪気のない真摯(しんし)なひとみや、王都の交易広場で行商人から買ったリンゴや、魔術訓練で頭を抱えた日々でさえも、みんなウソになってしまったような気がした。ほんとうはそうではないはずなのに、いままで積み上げてきた日々が、この現実の前に一瞬で崩れ去ったのだと思ってしまった。


「うそ……」ニースは力なく繰り返した。


 そうこうしている間に、戦いは進行していた。

 外套のように身にまとった業魔の塊を、アデリナは操る。まるで巨人のこぶしのように、シュヴィリエールのほうへと振り落とされる。

 シュヴィリエールはこれを避けると、すかさずアデリナとの間合いを詰めた。


 ところが、アデリナが六芒星の目を見開いた途端、シュヴィリエールは全身から力が抜けていくのを感じた。この力の由来は知っている。しかし、開かれた空間であるこの庭園内では決して強力にはなりえないはずだった。

 悲鳴を上げるニース。

 レアンドルは素早くビランと目配せした。

 ひざから崩れ落ちた彼女は、問いただすようにアデリナを見上げる。心なしか、恐怖に身が(ふる)えている。まるで初めて遭遇した脅威を目の当たりにするような気分が、全身を(ほとばし)った。


「なんで〈神殿〉の構築なしで強力な魔術が使えるかって? ちがうよ。()()()()()()()()()、シュヴィ」


 それでも立ち上がろうとするシュヴィリエール。

 アデリナはあえてそのあごを指先で支えた。


「魔法とは、その名の通り、業魔の法を指す。業魔がどういうものなのかは二か月前にあんたが教えてくれた通りだ……人間のこころ──執念や感情のわだかまり。じゃあ、それを統べる魔の術はどこから来るんだ?」

「そうか……きみは……自分の《記憶》を……」

「そう。アタシはそれで記憶を失ったんだよ。《魔女》はその血を以て《記憶》を受け継ぎ、取り上げ、ちからとして自在に表現できる──こんな風になッ」


 と、言って、彼女は背後に迫ったビランを業魔で捉えた。

 まるで自分の影を具現化したがごときその闇は、縄のようにビランの腕を捕縛(ほばく)した。そのまま力づくで地面に伏せられる。

 アデリナの死角に立っていたレアンドルは、それを見て動きを止めた。彼女はそれを見て、ため息を吐いた。


「自分がやられて嫌な気分だったから、絶対しないようにしていたんだけど……」と、アデリナは苦笑交じりに、「ここまでみんなに引き留められると、《魔女》が他人の《記憶》を消す理由もわかる気がする。母さんやルゥのこと、怒れないじゃないか……」


 ふと、アデリナは、慄えているニースのほうを見た。

 泣きそうな、怖がっているのかわからない表情だった。

 そういえば怖がっているニースは見たことがなかったな、とアデリナは思い返す。シュヴィリエールの怖いもの嫌いをさんざん茶化すくせに、友人が《魔女》だと知ったときの狼狽(うろた)えぶりは、シュヴィリエール以上にひどい有り様だった。


「ねえニース、あんたはどう思う? これ以上つらい思いや憎しみを抱えるぐらいなら、いっそ《記憶》を──過去を()()()()()()にしたほうがいいと思うか?」

「え? あの、そんな……」


 ニースはたじろいだ。めくるめく過去が、いまだに彼女を束縛する。思い出はまるでいばらのようにまとわりつき、かつての友人知人たちのあいだに垣根を作っている。

 たしかに彼女たちは深く(さかのぼ)れば敵対関係にある。しかし、憎しみ合うに足るだけの直接的な因果はなく、むしろ楽しい思い出が両手いっぱいにあったはずだ。ニースがアデリナを一方的に攻撃できないのは、それだけ相手のことを人間としてよく知っているからに他ならない。

 これを力づくで薙ぎ払えてしまえたら、どんなに素敵なことだろう。忘れてしまえば、ラクになれると、《魔女》はささやいているのだ。

 そして、そうするための「魔法」も、ねがえば、ある。


「ダメだ!」


 しかし、シュヴィリエールは叫んだ。


「アデリィの言葉に惑わされるな!」


 彼女はかろうじて動く口を懸命に動かして、言った。


「アデリィ……わたしは認めないぞ! たしかにわたしの父クナリエールはきみの父ラストフに殺された。そして、それゆえにきみはこの国にはいられない身の上であることも承知している。

 だが、()()()()()はどうだっていいんだ。わたしは、きみがひょっとすると《魔女》の血縁かもしれないと知っていて、ここまで連れてきたんだ。〈魔女の騎士団〉のこともある。最初は多少の見栄もあった。

 しかしそんなことで消え失せるような、安っぽいあさはかな友情だったのか? わたしたちが過ごした時間は、すべてそんなことで()()()()()()にできるような、くだらないものだったと、本気できみは思っているのか?」


 そのときアデリナは、無意識に反応していた。

 だが彼女は紅くなった、六芒星のひとみを向けて、答えた。


「アタシにはやらなきゃいけないことがあるんだ!」


 しかし、その声はどこか悲痛な響きがあった。

 その戸惑いを、シュヴィリエールは見逃さない。


「なら言ってみろ。わたしたちを信じてくれ」


 アデリナはうつむいた。

 ぐっとこぶしを握りなおす。


「ダメだ」とアデリナは自分に言い聞かせるように、「アタシはルゥを──弟を止めなきゃいけない。この国の騎士としてではなく、ただ、リナとして、あいつの前に立たなければいけない。だってこの世でひとりしかいない肉親なんだぞ? 殴ってやれるのはアタシしかいないじゃないか……」


「どういう……」と言いかけて、シュヴィリエールはハッとした。アデリナと初めて出会った日。彼女のことを「リナ」と呼んだ《魔女》がいた。ルートと名乗ったその《魔女》は、最後の最後までアデリナの安否を気遣っていたはずなのだ。


「そうか……あいつは、男だったのか……」


 口にしてから、自分がいかに間抜けなことを言ったのか気が付いたようだが、遅かった。

 アデリナは諦めきったように笑った。


「ややこしいだろ? アタシが腑抜(ふぬ)けているあいだに、あいつがずいぶん迷惑かけちまったらしいな」

「いや……いいんだ。もうすぎたことだから」

「ちがいない。だけど、そういうことだ」


 シュヴィリエールはうなだれた。だが、それ以上言うべき言葉も、握るべきこぶしもなかった。

 そしてアデリナは立ち去ろうとした。

 ところが……


「待てよ」


 そこにレアンドルが呼ばわった。

 その手には細剣(レイピア)が握られている。


「きみたちはそれでいいのかもしれない。だが、おれたちにとっては良くない。その理由ぐらい、言わせなくてもわかるよな?」


 アデリナは無言だった。だが理解はしていた。


「貴族ってのはややこしいんだな」

「そうだな、そこだけは同意だよ」


 細剣を構える──〈山〉の構え。

 かつぐような構え方は、たとえ業魔の塊で防いだとしても、アデリナごと両断するという意志の表れだ。


 じりり、と足がゆっくりと間合いを詰める。

 はちきれそうな緊張の糸が、ぴんと張られた。


 だが、そのときだった。


「もうやめてよ!」


 叫んだのはニースだった。しかし様子がおかしい。

 そのからだの周囲には、まき散らされた業魔が寄せ集まっている。それはさながら彼女の感情を具現化したように、盛り上がり、ひとつの形状をなしてゆく。だんだんと、ひとと同じかたちに。


 みながあっけに取られた。

 ニースはそれに気づき、背後の業魔を見た。


 業魔の塊が、にやりと笑った気がした。

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