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第2版  作者: 八雲 辰毘古
イドラの魔女篇
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3ー10.呪われたひとびと

 カテリナ・セイシェルは憂鬱(ゆううつ)な気持ちをこらえながら、居間に壁に掛けられた絵画を見つめた。果てしない草原に生える、柳の木──いま亡き婚約者が趣味で描いてくれたものだった。

 その題材は、彼女の知らない景観だ。婚約者が初めて魔術を獲得したというその場所は、彼の原風景として強く記憶されていたのだと思う。


『今度、連れて行ってあげよう。私の故郷の、柳の木を』


 そう言った男──ガーランド・サイロスは、もういない。任務の最中に魔人と戦い、死んだと言われている。その任務というのがどういうものかは全く知らされないままだったのだが、聖王国の重要な役目を果たしたということにして、腹の(うち)に仕舞っておくことにしたのだ。

 思えば、あまり話をするような間柄ではなかった。たまに顔を見せて、上品な会話だけをして、また会おうと約するだけの関係──そこに優しさを見いだすことはあっても、愛や切なさを得ることはとくになかった。けれども、優しかったのはよく憶えている。それが天然のものなのか、親同士が決めていた契りをなめらかにするための政略なのかはついぞわからないままだったが。


 ──わからないわね。結局死者は、想い出の中でしか語らないんだから。


 彼女はそう思って、屋敷の二階に足を向けた。階段に一歩ずつ踏み出すたびに、ぎしぎしと音が鳴る。そろそろ手入れをしなければはしたないと感じるのだが、家計事情がそうさせてはくれない。召使いも古参の、この家に愛着を持つオルグだけになってしまった。これでは商人の家のほうがずっと()()だろう。

 やがて階上にたどりつくと、飾りも素っ気もない廊下を歩き、ドアの前に立つ。そこにいるはずの少女のことを思い、カテリナはノックをする。生返事らしい応答を見て、彼女はそのまま入った。


「元気? アデリィ」


 話しかけた相手は、腰掛けた椅子から、蜂蜜(はちみつ)色の髪を揺らして振り向いた。その挙動は、人形のように反射的だった。まるで心はここにはなく、ただからだだけが、けものが勘付くように動いている。

 ガラス玉のような冷たい青いひとみが、カテリナを映し出す。そして、ようやく瞳孔(どうこう)収斂(しゅうれん)した。


「あ、うん」とアデリナは、慎重に言葉を選んだ。「ちょっと、集中していて」そして向かい合っていた机の上を整理し始めた。

「何をしていたの? わたしにも見せて」


 カテリナはあえて朗らかに応えて、アデリナが腕で覆い隠そうとしているものへと近づいた。しかし、彼女はそれだけはダメだと言うように、身をこわばらせた。

 机が軽く揺れる。羊皮紙の束や、瓶の中のインクが、彼女の動揺を示すように震えた。またその揺れに合わせて、ガチョウの羽ペンが転げ落ちた。気まずい沈黙に、ペンの落ちる音が響いてしまう。カテリナは微笑んだ。


「ごめんなさい。見られて嬉しいものじゃ、なかったようね」カテリナは、そのまま言葉を濁して出て行こうとした。しかしアデリナは首を振った。

「いや、そうじゃないんだ。その……自分でも、よくわからなくて」

「どういうことなの?」


 アデリナは無言で羊皮紙の束を突き出した。それを取って読むと、茨がのたくったような言葉が(ほとばし)っている。カテリナの教養では、この文字は読めなかった。


「これ、なに?」

「わからない。でも、こないだからずっと離れないんだ。来る日も来る日も、夢に出てきて」

「この文字みたいなものが?」

「いいや、ちがう。何が出たのか、忘れないように書こうとしてんだけど、どうしてもこういう風にしか書けないんだ……」


 アデリナは頭を抱えて、うなだれた。

 それを見たカテリナは、首をかしげる。


 在学中に《魔女》と決闘し、その術に嵌められた──と、聞いている。

 しかしそれ以前から、アデリナという少女には不可解な事情が山ほどあった。


 ひとつ、彼女自身が身寄りのない、どこの出身とも知れぬ存在であること。

 ひとつ、彼女は記憶喪失で、自己について語るべきものを持っていないこと。

 ひとつ、にもかかわらず、元・聖刻騎士のマースハイム・ゴドウィンや、英雄家アスケイロン家の後援を受けていること……


『ごめん。いまは教えられない。でもいつかちゃんと話すから』


 ガーランドの友人だというシャラ・エヴァンズは、要件だけしか教えてくれなかった。気さくでさっぱりした雰囲気を感じる女性で、その捌けた様子にカテリナ自身もあっけに取られるばかり。結局頷いてしまったが、いま思うに、相当ワケありなのだと感じられる。

 それでもカテリナは、この少女を不気味だとは思わなかった。むしろがむしゃらな必死さが伝わって、可愛く見える。きっとそういうところが気に入られたんだと、いままでは思っていた。


 ただ、いまのアデリナは、そうした彼女の見てきた様子とは変わっていた。


「ねえ、アデリィ。あなた疲れてるのよ。ここに戻ってきてから、一所懸命に何かやってるのは分かるけど……さいきん、ちょっとヘンよ?」

「うるせえ! ()()()()()()にアタシのことがわかるのか……ッ!」


 言ってしまってから、ハッと気づく。

 気まずい沈黙が舞い降りた。

 アデリナは俯いた。

 何か言わなきゃいけない気がした。

 さもなくば──この子はどこかに行ってしまう。そんな直感が、脳裡に過ぎったとき。


「失礼します。カテリナ様、表に〝レアンドル〟と名乗る方がいらっしゃってますが……」


 召使いのオルグがやってきた。

 南方由来の浅黒い肌と、青いひとみが、困ったようにこちらを向いている。


「……いまはそれどころじゃないわ。残念だけど、日を改めてもらえるよう、説得して」

「わかりました」


 一礼して去る。すかさず散らかった部屋を横切り、窓から外を見る。

 そこには灰色の髪の少年が、悠々自適に門の前に立っていた。背後には馬車を止めており、さらに向こうには、冠を模したような王都の城壁が見える。郊外に立てたこの別邸は、セイシェル家がまだ豊かだった頃の名残であった。

 だが、カテリナはそれよりも、少年の乗り付けた馬車の紋章に目をつけた。鷹を表すそれは──


「クナート家……まさか兵部卿の……なんで?」


 落ちぶれた西方辺境伯には到底似つかわしくないその家柄に、カテリナは戸惑うばかりであった。



   *  *  *



「そうか。ならば致し方あるまい」


 浅黒肌の召使いの返答を受けて、レアンドル・クナートは一礼した。


「主人に伝えておけ。また来る、と。それまでには体調も回復しているよう、祈っておこう」


 そう言い残して、彼は馬車に乗った。

 中にはビラン・オルディナが座っていた。

 御者には引き返すように言った。彼はしぶしぶ頷くと、掛け声とともに王都への道を辿っていく。窓からは冠のような城壁と、それをぐるりと囲む教導会の聖域の森や、導きの塔、そしてアンカリルの大河に沿って田園風景が広がっている。


 ──期待外れだったか。


 ここ一週間、学舎のほうで試練があったために足は運べなかった。しかし彼なりには気に掛けていた。自分にはない天性を持つアデリナを、それなりに尊敬してのことだ。

 だが、周囲はどうやら勘違いをしているらしいのは、レアンドルも薄々気づいていた。好きにしろ、と彼は思う。


「……いいのか」

「仕方あるまい」

「いや、そうじゃなくて」

「なんだ?」

「あんまりやっていると、グリンダが怒る」


 レアンドルは、傍にいる大男を見た。

 その糸目は、感情が読めない。

 だが彼なりの配慮だとわかっていた。

 思わずため息を吐いた。


()かせておけ。この程度のことでいちいち怒るようなら、騎士の風上にも置けん。むろん、おれの妻にも相応しくない」

「そこまで言うのか」

「……なあ親友。この際だから言っておくが、おれは父が嫌いなのだ」


 ビランは息を呑んだ。

 だがレアンドルはしゃあしゃあと言う。


「騎士として生まれついた近衛家は、本来女王家および王府を守護するべきものであって、それをいじくりまわす(まつりごと)の輩ではない。だのに、あの男は〈星室庁〉に参与し、さながら神々のひと柱のように振る舞っている。おのれの役割を、自らの血統がなんのためにあるのかを忘れた愚物だよ」

「……だが、政治は別種の戦いだ。俺はその手の戦い方を知らないが、剣を振るうことではできないことを、政治はやってのける」

「その通り。だが、我が父君はそうではなくてね。わかりやすく言うなら、あの男は女王家ではなく、自分と家を守ることにしか興味がないのだ。本分を忘れた人間ほど、醜いものはあるまい」


 ビランは無言だった。

 レアンドルは苦笑してつづける。


「グリンダとの婚約も、要するにそういうことなんだよ。あいつは〝その気〟になっているみたいだが、おれとは合わんよ」

「……なら、カッサの気持ちも汲んでやれ」

「それは奴の問題だ。自分でどうにかできないようじゃ、あの女の尻に敷かれるだけのくだらん末路しか見てない」

「ちがいない、な」


 ビランは薄笑いを浮かべた。


 と、そのとき──


「止まれッ!」


 鋭い声とともに、馬車が止まる。

 見れば、シュヴィリエールがいた。

 その後ろからニースも走ってくる。

 レアンドルは目を瞬かせた。


「何用だ」とひと言。


 だがそれがシュヴィリエールの(しゃく)に触った。片眉が上がり、鋭い目つきでレアンドルをにらむ。


「貴公、自分の立場をわかっているのか」


 その声色で、レアンドルは全てを察した。


「……はて。ともに馬を並べ戦う相手を見舞うことに悪などあるのか」

「ふざけるな。貴公みずからの家柄、立場がどういうものか知っていてやっているのか。ならばなおさら悪質だぞ!」

「ふん、言いたい奴らには言わせておけばい。貴殿も貴殿で、気にしすぎだ」


 シュヴィリエールは答えない。


「──第一、おれはヤツとは会っていないぞ。体調が思わしくないとのことで、門前払いだ。《魔女》の呪いは聞いていたよりも悪質なものと見える」

「……どういうことだ」

「なら行って、聞いてみるといい。貴殿が門前払いされるかどうかは、しょうじきおれも興味がある」


 そこで、レアンドルは、御者に対しての命を再度翻した。呆れたのはきっと御者だけではなかっただろう。

 だが、シュヴィリエールは頷いた。

 確かめねばならないことがあったからだ。

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