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第2版  作者: 八雲 辰毘古
旅立ち篇
5/57

5.〈不入の森〉

 その森が、いつからそう呼ばれていたのかは誰も知らない。

 けれども、ふたりが物心ついたときからその森は〈不入(いらず)の森〉であったし、どうしてそうなのかさえ、もう誰もわかっていなかったのだ。


 メリッサ村のはずれに位置するこの森は、南中した日差しでさえ閉ざしてしまうほどに鬱蒼(うっそう)としている。そこは昼夜を問わない暗闇の世界であり、ひとの訪れてよい場所ではなかった。


 しかし、いまそこに入る人間がふたり。どちらもまだ少年少女と言ってよい年齢で、片方は歩きなれた様子で、もう片方はほうほうのていで進んでいた。


 ──前にもこんなことがあった。


 苔むした足場を滑らないようにしながら、リナは直感していた。

 それはいまよりもずっと小さい頃、『おかあさんをさがしにいこう』とルゥが言い出したのがきっかけだった。


『この森の中に、冥府(よみ)の入り口がきっと見つけられるはずなんだ』


 熱に浮かされたような口調でルゥはそう言っていた。そんなことないよ、とリナは否定したかったが、彼の人形のように夢うつつの様子では届かないだろうとも思った。

 だから、黙ってついてゆくことにした。


 いま目の当たりにしている光景は、その記憶のつづきだ。

 秋が近づいてもなお枯れることなき葉を生い茂らせ、日を(さえぎ)りながら、しかしそよとも揺れることもない。窒息(ちっそく)するような心地と眠気を(もよお)すこの森は、原初から人間を──虫一匹の生命をすら寄せ付けない、魔界の亜種でもあった。

 唯一この森を行き来するのは、魂を運ぶとされる鳥たちだけ……

 中でも罪憑(つみつ)きの象徴として(おそ)れられる黒き鳥──カラスが群がっているために、この森は冥府(よみ)とつながっているのではとうわさされていた。


 ──でも、誰がそんなうわさをしてたの?


 ふとそこまで回想して、リナははたと思い至った。

 この記憶はどこから来るのだろう。

 自分のものではない、誰かの知識が彼女自身気づかないうちに充ちているのを感じた。それはふわりふわりと形を持たないはずなのに、彼女の見ている世界をぐるりと塗り替えていた。

 暗闇に(よど)んだ小径(こみち)は、あの頃と何ひとつ変わらない。しかしその不変の様相が、むしろ蘇った思い出の中のそれと重なって、異なる道を示していた。あの頃通った道とは、ちがう道のりを……


 しかし、彼女はその道を知っていた。

 否、憶えていたのだった。


「ルゥ……」


 ようやくたどり着いたところで、ルゥの背中が待っていた。

 木々が織りなす巨大な大広間は、黒々と茂りながらも、カガヤキゴケがどこか(ほの)白く光を帯びて美しくも神秘的な空気を漂わせていた。

 その内奥にこじんまりと座した(やしろ)がある。

 天堂に()す〈七曜の神々〉とは異なり、地に群がる異教の霊威を祀った祭壇(さいだん)であった。


「こんなものがあったなんて……」


 リナは思わず口にした。

 けれどもどこかでわかってもいた。


 そうだ、アタシたちは護られていたんだ。この森のように、時を止められて、ずっと、ずっと。


「ああ、やっぱり」


 と、ふいにルゥが言い出した。

 リナが覗きこむと、鳥の頭蓋が散らばる社の中央に銀のペンタクルが掛かっているのが見いだせた。そのペンタクルは麻紐で首から提げられるようになっており、じいっと目を凝らすと、五芒星の紋様が刻まれている。

 リナのひとみが大きく見開いた。


「《魔女》の証……!」


 しかしルゥは落ち着いたそぶりで、さらにリナの度肝を抜くことを言ってのけた。


「これはお母さんのだよ」

「えっ?」

「ボクは、これを見たことがある。ずうっと小さい頃、お母さんに抱っこされていたその腕から、これを見た」


 そしてルゥはペンタクルを手に取る。きめ細かい銀の表面を愛おしくなでながら、彼は安堵(あんど)の息を吐いた。


「やっとわかったんだ。ボクたちがなぜ大切な記憶を忘れて──いや、()()()()()()()()()()()を」

「封じ……られた?」


 首をかしげるリナにたいして、こっちへ来てごらんよ、とルゥは言う。その通りに近づいて、おそるおそるペンタクルを覗きこむと、彼女はふたたび目を見開いた。

 茨文字が刻み込まれていたからだった。


「なんで……これが」

「〝鍵〟だったんだ。この文字は、ボクたちを護っていた或るものから解き放つために必要な、真実への〝鍵〟だったんだ」

「……頼む、アタシにもわかりやすく言ってくれ」


 するとルゥは、悲しげに眉をひそめて、リナに向きなおった。その青藍石のひとみには(なみだ)(たた)えられている。


「これを仕掛けたのはお母さんなんだよ」

 リナは、青いひとみを見開いた。

「母さんが……? 母さんが《魔女》で、アタシたちから記憶をうばっ……じゃなくて封じた?!」

「そう。どうしてそうしたのかはわからない……だけど、ボクたちに魔術を掛けたのはお母さんだ──なぜならボクがそれを見て、憶えているから」


 どうしてなんだ、と言い掛けたリナの言葉を封じ、ルゥは話しつづける。


「ボクの記憶がまちがってなければ……まちがってなければだよ、でもほんとうにそうだとしたら、これでなにが起きているのかがわかるはずなんだ。ボクはそれを知りたい。リナはどう?」

「どうって……」


 ルゥは知らないんだ、とリナは気づいた。アタシたちがほんとうは護られていること、それが何からなのかはわからないが、とにかくそれを覗き見ようとすることが危険であるということを。

 けれどもその時ふと、彼女には思うことがあった。()()()()()()()()()()()()? リナの記憶の中では、以前〈不入の森〉を訪れたとき、誰がそれを止めてくれたのかがあやふやになっている。『おかあさんをさがしにいこう』と言ったルゥが、いまのような発見をしなかったわけがないのだ。それを止めてくれたのは、それがなされなかったのは、どうしてなのか?


「アタシは……ルゥのそばにいるよ。アタシも、どうして思い出を失くしちゃったのか、気になるもの。だけど、それを知ったらもう戻れないという気もする。ねえ、ルゥは、それでいいのか?」

「ボクは知りたいんだ。何もわからないまま、子供だからってなかったことにされるのは、イヤなんだよ」


 泣き出しそうな、声だった。

 だから、リナは力強くうなずいた。


「わかった。なら、止めない」

「……ありがとう」


 ルゥの頬から泪がこぼれた。それを指で抑えると、リナですらドギマギするほど綺麗な女の子のような仕草になっていた。

 早くしろよ、と焦りながら背を向けると、ルゥは照れ臭そうに、ペンタクルの文字を指先でなぞりはじめた。

 すると、ふところに仕舞っていた本が、温かくなるのを感じた。ルゥは、それを取り出すと、あらためて開いてみる。


「あれ? 文字が読める」

「え、は?」


 慌ててリナもそばに寄る。傍らから本のページを覗き込むと、彼女は目を丸くした。

 茨文字が読めるようになっていたのだ。

 しかもただ読めるだけではなく、ほんのりと光を帯びて、浮かび上がるように、あるいは、花の(かお)りからその名前を知れるかのように、読み取ることができたのだった。


 そこにはこう書いてあった。


『拝啓。わたしの愛する子供たち。

 もしこれが読めているならば、あなたたちの心はもう決まっているということね。ならばもう〈(アルカ)〉の役目は終わり。ほんとうはこうなって欲しくなかったけれど、あなたたちはわたしの子だから、言いつけなんて守りはしないとどこかでわかっていた。

 憶えてないと思うから自己紹介から入ることにするわ。わたしの名前はエスタルーレ。よくお父さん──ラストフは、エスタと呼んでくれた……』


 茨を解かれた記憶が、奔流のようにふたりの脳裡に入り込んで来る。凍結していた時間が、ふたたび巻き戻るように駆け巡る。


(身体が弱く、室内で文字を興味深く見つめるルゥ。そのひとみは澄んだ青藍石のようにきらきらと輝いている……そのひとみが扉を向いた。そこには泥まみれになってカエルを握ったリナがいた。くしゃくしゃになった蜂蜜色の髪が、土に汚れている……)


 懐かしい思い出。いつかどこかで失くしてしまう思い出。そのひとつひとつが丁寧(ていねい)に記され、連想され、解きほぐされてゆく。

 ふたりは忘れていた。さまざまなことを思い出しておきながら、肝心のあることをすっかり失念していた。


(アデリナ……ルート……)


 最後に優しく、耳でささやかれるように聞いたこの言葉こそが、彼らのほんとうの名前だったのだ。

 ふたりはお互いの名前を噛みしめるように繰り返した。すると、森の空気が逆巻きはじめ、服をも()ぎ取らんばかりに力強く吹きすさんだ。

 わっと言う間も無いままに、本のページが凄まじい速度でめくられる。その一枚一枚から記憶が飛び出し、(はげ)しい輝きを解き放ちながら駆け回る。

 やがてふたりは、その光に包まれて、ついに意識を失ったのだった。

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