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第2版  作者: 八雲 辰毘古
イドラの魔女篇
48/57

3ー8.星石の森で


   *  *  *



 ひと気のない惨状が、目の前にあった。

 冬の風が吹き荒れる。

 白々しい太陽が南中している。

 ただ虚しかった。ただ空が高かった。


「──シャルロッテ」


 傍らのエリーゼが、馬上から声をかけた。

 浅黒い肌、精悍(せいかん)とした横顔。

 女性に対する表現にはあまりにも無骨だったが、シャルロッテにはこれしか浮かばない。辺境騎士団に在籍していた頃から、彼女はエリーゼを知っている。生真面目で、お固くて、でも人一倍気を遣っている。

 栗色の髪を揺らしながら、シャルロッテは凝った首を()んだ。


「あ〜あ、ずっとしゃがんで下見てると、疲れるわ〜」

「まったく、いつも思うが、緊張感がないな」

「逆よ、逆。緊張しすぎて疲れるの」

「ならせいぜい実戦前にはほぐしておいてくれ。背中を預けるものがそうでは、心もとない」

「はいはい」


 彼女たちは、いま北部辺境にいる。

 北に魔獣と《魔女》の影あり──

 その報を受けて、ここまでやってきた。

 〈魔女の騎士団〉である彼女たちの任務としては、魔獣の出没地点を巡って、《魔女》の魔術を読み解くこと。そして、あわよくば《魔女》の本拠地を発見し、殲滅(せんめつ)することの二種類が存在する。


 魔獣退治そのものは、北部に常駐(じょうちゅう)する辺境騎士団の役割だ。彼ら彼女らは、都市や集落の聖堂を守りつつ、迫り来る魔獣を狩りに出撃している。

 業魔(ごうま)を喰らって化けたけものは、生命の気配を狙って襲いかかる。ゆえにひとびとは、〈神殿〉の技術を応用して、魔獣が入って来られないよう、柵や塀、城壁などを巡らせた中に住んでいた。


 ところが、《魔女》はその境界を破る。

 ひとびとを守護する〈神殿〉を崩して、魔獣を中に放り込むのだ。

 こうした秩序の破壊と、殺戮(さつりく)を楽しむがごとき魔道の行いは、ひとびとの憎むところであったのだ。


 現在報告を受けているのは、熊の魔獣:ビョルニルの群れが北部の山村をひとつ滅ぼしたという事件である。

 騎士団が駆けつけたときにはすでに遅く、血に染まった大地と、業魔に染められた亡き骸の数々があったのみだ。放っておくと死体も新しい魔獣に化してしまうため、火葬に処して、星霊(せいれい)のもとに葬ったのだった。


 ──その痕跡を、シャルロッテたちは調べている。


「そっちはどお?」とシャルロッテ。

 エリーゼは首を振る。

「酷いものだ。魔術の痕跡はかすかに残っているが、細かいところまで読み取れない。応急処置とはいえ、星霊の浄化を受けてしまっているから仕方ないのだが……」

「そうねー、どの体系に属しているかは、まだ全然わかんないわ。ほんのちょっぴり残ってる触媒から、《魔女》の使ってるヤツだって推測はつくけど……どんな魔術かがわからないのは、痛いわね。あちらさんの手の内がまるで掴めない」

「おそらく、二次被害を防がねばならないこちらの事情を加味した上での攻撃だろう。ここ数ヶ月で容赦なく手札を使い込んでいる印象を受ける」


 エリーゼは冷静に判断する。

 しかしその手は握られ、震えていた。

 シャルロッテも同調するようにため息を吐いた。


「まったく、何がしたいのかしら──」


 それは、ここにいる騎士団すべての疑問を代弁していた。


 黒魔術結社〈イドラの魔女〉は、その起源を(さかのぼ)っても、せいぜい三十年程度の歴史しか持っていない。その主たる活動履歴を調べても、最初の十数年は他の《魔女》結社に埋もれて目立たなかったぐらいだ。

 だがその後の動きは瞬くように早かった。

 異端として排斥(はいせき)されたあまたの《魔女》結社を併合(へいごう)し、黒魔術を奉ずる過激な組織へとまとめ上げたのだ。彼女たちはみずからの信仰を弾圧された怒りを破壊活動へと転化し、おもに辺境の集落や都市を襲撃しはじめたのである。


 その首謀者であり、〈イドラの魔女〉の首魁(しゅかい)たる存在は、しかしまったくと言っていいほど手がかりがない。

 わかることといえば──

 それが女であるということ、《魔女》の側からは〝太母〟と呼ばれていること、そして結社の中枢たる〈五姉妹〉の、その筆頭にいることの三つに過ぎない。

 このうち呼び名としての太母も、通常の《魔女》結社の頭領が〝教母〟と呼ばれていること延長線にしかなかった。すなわち、何もわかってないも同然だった。


 ひとびとはいつしか、この正体不明の《魔女》を〈星々の女王〉アストラフィーネの対極にある存在として、〈永遠の魔女〉という二つ名で呼ぶようになっていた。

 だが──と、シャルロッテは思う。そんな魔人のように言われるものでも、しょせんは斬れば血が流れ、死ぬ人間であるはずなのだ。教導会の知ろしめす魔術はたしかに人智を超えた可能性を見せてくれる。しかしそれでもなお、ひとは人間であることから逃れられないのだ。


 そして、それが人間である以上は、何かしらの目的を持っているはずなのだ。

 古き信仰たる《魔女》の結社を統合し、破壊活動を展開してまでなお追い求める目的とは、一体なんなのか?

 シャルロッテやエリーゼの属する〈魔女の騎士団〉は、それを見つけるのが仕事だったとはいえ、調べれば調べるほどわからなくなってゆくのだ。


「エリーゼさん、シャルロッテさん!」


 と、そのとき、彼女たちのもとに若い女がやってくる。少女とも言うべきこの騎士は、〈魔女の騎士団〉の中でも最年少の、有望な若者であった。

 彼女はたしか、この村の聖堂の調査を受け持っていたはずだ──と、シャルロッテが思い出したとき、切羽詰まった声が聞こえた。


「どうか来てください! 聖堂が、聖堂が大変なことに!」


 ふたりは顔を見合わせた。

 それから素早くほかの騎士を呼んだ。


 教導会の聖堂は、集落や都市にあっては、おもにひと気の少ない自然の一角にあることが多い。星霊の流れである龍脈を読み、その中でも地上に近い地点──龍穴(りゅうけつ)を囲んで建てられているからだ。

 龍穴の位置はその土地によって様々だ。

 その目印は、年月を経た大樹だったり、清流の源、あるいは巨大な岩だったりする。しかし一方で、聖王国の拡大期には、聖遺物を埋めることで龍脈を〝近づける〟こともあったらしい。そこには魔術空間である〈神殿〉形成の原理が働いている。すなわち、神体を設けることで、星霊を招き寄せるのだ、と。


 ゆえに聖堂への道筋は、楽ではない。

 起伏の激しい地形を歩み、石段を駆け登った先に、ようやくそれは見つけられる。彼女たちが事前に聞かされた地誌では、ここヒルディの集落の聖堂は、巨大なカシの木を取り囲むようにして建っているとされていた。


 ところが──


「なんだ、これは……」


 彼女たちは絶句した。


 たしかにそこにはカシの大樹がそびえている。それを取り囲むように石を切り出した壁が建ち、日々の祈りの場としての存在感を醸し出してすらいる。

 だが、問題なのはそこではない。

 それら全てが、ギザギザした半透明な結晶で覆われていたのである。色はない。まるで氷漬けにされたかのようにすっぽり包まれ、結晶の森とでも言うべき異様な世界を作り出しているのだった。


「……まさか、これは星石(ステライト)なのか?」


 エリーゼがつぶやいた。

 すると、それに応ずるかのように、笑い声が聞こえた。

 鈴の鳴るような愛らしい声だった。

 しかし、現在彼女たちの誰にもそのような声の持ち主はいない。周囲を見回してみても、笑っているものなど誰ひとりとしていないのだ。

 声は結晶のあいだに反響し、(こだま)した。

 まるで洞窟の中のように幾重にも重なる声は、次第に妖しい趣きを携えて、〈魔女の騎士団〉の面々を恐怖へと駆り立てる。


「誰だ! 出てこい!」


 ついにエリーゼが啖呵(たんか)を切る。

 だが、声の主は応じない。

 くすくすと笑い続けている。

 と、そのとき──


「あ、あれ!」と誰かが指差した。


 そこに人影が見えたのだ。

 頭巾をかぶったその影は、ゆらり、ゆらりと結晶のあいだを歩いている。反射光で大きくなったり小さくなったりしながら、一向にその全身を見せようとしない。

 だが彼女たちは、相手の頭巾の中から溢れる、(なまめ)かしい黒髪と、こちらを見やる紅いひとみに、見覚えがあったのだ。


「──あなた、前にもお会いした《魔女》のコね」


 やがて彼女たちの眼前に現れた()()の立ち姿を見て、シャルロッテは呟いた。

 対する《魔女》は答えない。

 ただ愛するものを見つめるような表情で、微笑みながら、女たちと相対している。


「ねえ、」と()()は言った。のんびりと、世間話でもするように。「あなたたちは神サマを信じるの?」

「……いきなり唐突だな」


 エリーゼが苦笑する。周囲の女騎士たちも困惑顔だった。


「じゃあ質問を変えよう。あなたたちは教導会のお話を疑ったことはある?」


 シャルロッテが答えた。


「話が見えないわ。お姉さんね、忙しいからそういう回りくどいのは好きじゃないの。だから、さっさと本題を話してくれる?」

「ひどいなぁ」と、くすくす笑う。「ボクは最初から本題しか話していないよ」

「ならわかるように話しなさい。あなたの話し方、ちょっと寒いわ」

「アハハハハハッ!」


 ここで()()は高笑いした。

 それは最初からこの結末を予想していたかのような、不敵な笑い方であった。


「……ダメだよ。そんなことをしているから、あなたたちはいつも後手に回るんだ。自分たちがどんなものの上に生きているのか、それすらもわかっちゃいないのに。平穏を乱す人間をみな異端と見なし、蹴散らそうとする!」


 《魔女》のひとみは燃えていた。

 冥府(よみ)の炎のように、不気味に輝いていた。


「話しても無駄ね。もともと《魔女》とは分かり合えないと、わかってたけど」

「そうだね、じゃあ──」


 と、言いかけた途端だった。

 シャルロッテが神速の一撃を放っていた。

 目にも止まらぬ速さで投げ打ったのは、背負っていた長剣だ。片手でも両手でも持てるようになっているその剣は、持ち方次第で必殺の投擲(とうてき)武器になる。

 だが、その攻撃は()()には届かなかった。

 その美貌の寸前で刃が止まっている。

 まるで見えない壁に刺さっているかのようだった。


「──へえ、」と()()。「そっちがその気なら、しょうがないね」


 そう言って、()()は頭巾を下ろした。

 女たちも武器を構える。


 かくして北部辺境:ヒルディの郷にて〈魔女の騎士団〉と、《魔女》結社の幹部〈五姉妹〉のひとりが戦うことになった。

 しかし、戦いは三分で終わったのだった。

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