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第2版  作者: 八雲 辰毘古
イドラの魔女篇
47/57

3ー7.月と剣戟と

()()()()()()()


 言葉とは裏腹に、ヴェラステラの声は嬉しくなさそうだった。そこには敵意と失望とが()い交ぜになっている。

 アデリナは首をかしげた。記憶を失くした彼女にとって、ヴェラステラは初対面の《魔女》だったのだ。

 そこで、ヴェラステラは大げさなしぐさでがっかりしてみせた。


「まぁ、まぁ、まぁ! じつに残念。リナ、()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「……なんの、ことだ?」

「まあ、ふた月も経てば忘れられるものかしらね。ちょっとがっかりよ。まさかわたしの名前がちゃんと言えないなんてバカなこと、ないでしょうね?」


 知らず識らずのうちに、ヴェラステラの声が甲高く苛立っていた。言い切ったあとで、彼女はそのことに気づく。

 ──怒っているというの? このわたしが?

 彼女は内心でつぶやいた。しかしこの想いの深層を探るまえに、彼女にはやることがあったのだ。

 答えを待つ。

 だが、返事は別の方向からやってきた。


「〈氷月(ひづき)の乙女〉! 貴様まさかフェール伯の暗殺未遂に絡んでいたのか!」


 シュヴィリエールだった。

 ヴェラステラは、そこでようやく目に入ったとでも言うように、げんなりした(さげす)みの視線で少女騎士を見やる。

 ため息をついた。


「ねえご存知? わたしキライなのよね。そういう、自分が正義の側に立っていることを疑わないコは」

「なんだと……?!」

「せっかくの再会なのに、要らぬ水を差さないでいただけます? これだから心を(かい)さない女王の下僕は、大キライ」


 ──だから、()って。


 そう言い切るまえに、ヴェラステラは仕込み刃の剣杖を、横ざまに一閃した。すかさずシュヴィリエールも反応する。納めたばかりの鞘から細剣(レイピア)を抜きながら、逆手でこれを受け止めたのだ。

 絡み合う剣身──

 シュヴィリエールの細剣(レイピア)は、そのまま十字鍔(キヨン)をねじ込むようにヴェラステラの刃を抑え、姿勢を崩そうとする。しかし《魔女》はその力技を逆手にとって、右脚を高く()りあげた。

 顔面に叩きつける動きだった。

 気づいたシュヴィリエールは、とっさに身を引いた。退がりながら細剣を抜き払う。ところがヴェラステラは、その隙を逃さなかった。

 反転した体勢を戻す動きから、鋭い突きを放ったのだ。


 さすがにこれは避けきれない──そうシュヴィリエールが息を呑んだときだった。

 鋼鉄の籠手(ガントレット)が、両者のあいだに振り下ろされた。


「ちょっと。わたくしを忘れられるのは、不愉快でしてよ?」


 ニースがにやりと笑う。

 しかし、その表情はすぐに崩れた。

 あれだけ烈しい一撃だったにもかかわらず、剣杖の刃は折れるどころか曲がる気配もない。いや、曲がってはいたが、それはしなやかに(たわ)められていて、引いた途端に元に戻るほどのものでしかなかったのだ。

 代わりに、ニースの腕が、じんと痛む。

 イヤな予感がした。

 シュヴィリエールが退がるのを確認してから、ニースは素早く飛び退()いた。

 見れば、籠手の(とげ)がボロボロになっている。


「あらあらあら、いまのセリフはちょっと(しび)れたのだけれど……腕前はそうでもなかったわね?」


 ヴェラステラは昏い笑みを浮かべていた。

 そこでようやくニースは気色ばむ。

 (くちびる)を舐めて、《魔女》はつぶやく。


「もっと楽しませてくれなきゃダメ。その程度の手管(てくだ)では、殿方が愛想を尽かして出て行っちゃうわよ?」


 だが、ニースは反論しなかった。

 というよりもできなかった。

 その理由は、眼前の刃にある。

 樹齢を重ねた木目のように何重にも連なった刃紋──その幻惑的な剣身には、彼女たちがまるで予期していなかった高度な技術の精髄(せいずい)が秘められていたのである。


「──まさか〝煉鋼(れんこう)〟なの?」

「大当たり〜」


 ヴェラステラは(わら)った。そして見せびらかすように、ひゅんひゅんと空を斬って見せた。(よど)みのないその音は、〈叙事詩圏(エポスパエラ)〉でも稀に見る良質なものであった。

 煉鋼(れんこう)──その金属の力はアデリナも聞いたことがある。たしか南方大陸から東に向かう蕃国(ばんこく)にて発明された、高品質の鋼のことだ。その強靭(きょうじん)にして美しい外観は、古代より愛好家を魅了してやまないという。

 だがこうも聞いていた。かの煉鋼は、星霊石、または星石(ステライト)と呼ばれる結晶の中でも、火の属性を司るものを用いないと精錬できないのだ、とも。


 星石(ステライト)はこの世界における生活の要だ。

 風の属性は清浄な大気を生み出し、

 火の属性は火と高熱を発する。

 水の属性は汚れた水を浄化し、

 土の属性は地味(ちみ)を肥やす素材になる。

 これらは〝龍脈(りゅうみゃく)〟と呼ばれる星霊の流れに眠るとされていた。だが金銀の鉱脈とは異なり、星石(ステライト)は抽出作業そのものに高度な魔術を必要とする。

 したがって主だった星石(ステライト)の精製は、〈叙事詩圏(エポスパエラ)〉においては、各地に点在する教導会の導師や修道生の仕事になっていた。すなわち聖王国の内部では星石(ステライト)および、煉鋼(れんこう)の流通は、限定されているはずなのだ。


 だが──ヴェラステラは、いまその煉鋼(れんこう)の剣を持っている。

 盗品や裏の流通から手にした可能性は大いにあるだろう。しかし、容易に看過できることでもない。


「ああ、ついてないな。まったく……」


 シュヴィリエールは強がって言う。かくいう彼女の手の得物は、星石(ステライト)とは異なる魔法技術で鍛え上げられている。煉鋼相手に劣りはしないものの、性質ではまちかいなくあちらのほうが上だった。

 ニースがアデリナの肩を持って間合いを取るあいだ、シュヴィリエールはおのが細剣(レイピア)を突き出すように構えた。


 ──威力で敵わぬなら、技術で対抗する!


 ヴェラステラが妖艶(ようえん)に微笑む中に、彼女は刃を踊り込ませた。

 斬って、()いで、斬って、()いで……

 結ぶかと思えば、いなして形勢をひっくり返してみせる。

 刃は互いの攻防の間合いを読み切り、せめぎ合い、一進一退を繰り返しながら、絶妙な駆け引きを繰り広げている。


 それが十数合と連続する──


 だが、シュヴィリエールは焦っていた。こうして打ち合っているあいだにも、煉鋼の刃は着実に細剣の刃をなまくらに変えつつある。もちろん手首の返しと角度の付け方で、相手の得物にも一矢も二矢も報いている。しかし、決定的な瞬間に質の違いが立ちはだかっていた。

 このまま続くと負けるのは自分だ──と、シュヴィリエールは冷静に分析していた。しかしヴェラステラの剣さばきは、まるで(もてあそ)ぶかのようにひらり、ひらりと揺れ動く。そのくせ付け入る隙を微塵(みじん)も見せない。


「ほら、どうしたの? そんな程度じゃ前戯にもならないわよ!」


 ヴェラステラは余裕の笑みを浮かべ、ついに切っ先をシュヴィリエールの利き手の肩口に到達させた。

 走るような激痛に、わずかに怯んだ途端。

 彼女の細剣(レイピア)が、巻いて宙を飛んだ。

 次いで、ヴェラステラの刃はシュヴィリエールの喉元に突きつけられる。


「くっ……」

「残念だけど、遊びはここまで。そろそろ本番にしないと()えちゃうわ」


 かつん、と細剣(レイピア)が転がる音がする。

 もう勝ち目はない──そう思った瞬間だった。


 ヴェラステラが突然飛び退(すさ)る。

 あとから続いて、地面に何かが刺さる音が聞こえた。

 見れば、そこには亜麻色の髪の男が、弓なりの月を背に、立っているのがわかった。


「あら、月影(つきかげ)騎士団?」

「──ご明察。その面貌、〈五姉妹〉がひとり:ヴェラステラと見受けた」

「へぇ、だからなに?」

「問答無用だ。殺すに決まってる」


 言い終わるや否や、彼は指を鳴らす。

 その途端、ヴェラステラの周囲に業魔(ごうま)の闇が立ち上った。黒々とあたりの泥や煉瓦(れんが)を飲み込んで出来上がったそれは、先ほど少女たちが粉砕した人形兵(ゴーレム)だった。それらは互いにつながり合って、ひとつの(かま)のようにヴェラステラを包み込んでゆく。


「黒魔術……そういうことか!」


 シュヴィリエールが男を睨む。

 だが、男は鼻で(わら)うばかりだった。


「どういうことだ?」とアデリナ。

「ここは月影騎士団が設けた〈神殿〉なのだよ。おそらくフェール伯暗殺を目論んだやからをあぶり出すための罠だ。しかし臣民を巻き込むことを(いと)わないやり方は、到底騎士道とは言えない……!」

「言ってくれるな、嬢ちゃん。すべては女王国が(きよ)く正しくあるためだぜ。きれいごとだけじゃあ、外敵は排除できない」


 男はそう言って、大げさな身ぶりで嘆いてみせる。

 だがシュヴィリエールは、黙ったまま、答えなかった。

 と、そのときだった。


奇遇(きぐう)ね。あなたのそういう考え方は賛成かも」


 ヴェラステラが、煉鋼(れんこう)の刃で人形兵の壁を切り開いていた。美しい軌道で円を描き、ゆっくりと足で押し出した。

 どろどろと周囲の壁が溶け落ちる。


「ほう、思った以上にデキるな」

「冗談。女の子舐めるとイタイ目見るんだから」


 そのまま《魔女》は、男に向かって得物を構え直そうとした。

 だが、それよりもアデリナが早かった。

 彼女はシュヴィリエールの取り落とした細剣(レイピア)を拾い上げ、傍からヴェラステラをひと突きしたのだ。

 しかし《魔女》はこれを読みきって、(かわ)した。アデリナの切っ先はわずかに相手の衣服を裂いたに過ぎない。

 けれどもヴェラステラは、(いきどお)りを込めて、アデリナのほうをにらんだ。


「どいつもこいつも──あなたほんっとにつまんなくなっちゃったわね、()()


 アデリナはそこでハッと我に返る。

 彼女なら何か自分の過去を知っているかもしれない──そう考え、尋ねようと思った矢先である。

 ヴェラステラが、突然明後日の方向に目をやった。何かを聞き取っているようだった。


「……はい、わかりましたわ。大義姉(おねえ)さま」


 《魔女》はそう呟いたが、近くにいたアデリナ以外には聞き取れなかった。

 ヴェラステラはすぐに一同を見渡すと、昏い笑みを浮かべながら、言った。


「悪いけど今日のお遊戯はここまでにさせてもらうわ。全然楽しくなかったけれど、最後にひとつ、面白いものをご覧に入れましょう」


 そして彼女は、懐から何かを取り出した。ガラスの塊のように見えるが、中には赤と青の粉末が仕切られていた。


「じゃあね!」とそれを振り下ろす。


 すると突然、激しく息を吹き付けるような音がしたかと思うと、高熱の霧が飛び出した。爆風のような勢いに少女たちは圧倒され、とっさに顔を守る。

 だが、男は屋根の上から、短剣を投げつけた。月明かりが、霧の中に動く《魔女》を見出したのだ。


「あーもう、しつこいのって大キライ!」


 振り払うヴェラステラ。

 だが、アデリナはその声で居場所を特定した。そしてふたたび間合いを寄せて、細剣を突き出した。

 それは全く予想外の一撃だった。

 鋭く斬り込んだ刃に、ヴェラステラは衣服ごと脇腹をやられた。悲鳴が上がる。礼装に包まれた上着は断ち切られ、ごとりという不自然な音とともに、霧の中に落ちた。


「待てッ!」とアデリナ。


 そのまま後を追いかけようとするが、ふたたび熱せられた霧が噴き出した。

 今度は避けきれない。顔面に思い切り吹きつけられ、激痛に飛び退いた。あわててほおを触ると、火傷のむくれが出来始めている。


「アデリィ、無事か!」


 あとからシュヴィリエールとニースが近寄った。だが、アデリナの赤くなった顔を見るや否や、あわてて近くの井戸を探しに駆け出した。シュヴィリエールが傍に残って、介抱をする。

 ふと、彼女は屋根の方を見た。

 しかし月影騎士の男は消えていた。


「シュヴィ……退いてくれ」


 アデリナが、霧の中に手を伸ばした。すぐにやめさせようとシュヴィリエールは試みたが、彼女の予想に反して、アデリナは四角い影を取っただけだった。

 それは何かの写本のようだった。

 黒い皮の装丁を施されており、かなり小さく持ち運びがしやすい大きさだ。その表紙には逆さの十字のような紋様が刻まれており、見るものに不思議な印象を与える。


「なんだ……これは……」とシュヴィリエール。

「わからない……けど……アタシはこれをどこかで……」

「おい、めくるな。《魔女》の持ち物だっただろう」

「大丈夫。これは、大丈夫だから」


 そう言ってアデリナは写本を開いた。

 そこには、茨の形をした、不可思議にのたくった文字が、連ねられていたのだった。

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