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第2版  作者: 八雲 辰毘古
イドラの魔女篇
46/57

3ー6.第四の少女

 直感を得たアデリナは、森で駆けるけもののように素早い。

 まだ王都の地理には不案内だったが、声の方角はつかめている。ゆえに彼女は、思うままに石畳(いしだた)みの路地を駆け下り、ところどころ走る用水路を飛び越えながら、疾走する。

 そのあとを追いかけるのはシュヴィリエールとニースだ。騎士学校の制服もそのままに走るのは、彼女たちにとっても気が気でなかったものの、状況が状況だ。なりふりを構っていられなかった。


「……まずいぞ」


 シュヴィリエールが独りごちた。傍らのニースが問い返すと、シュヴィリエールはそのまま答えた。


「このままだとアデリィは〈盗賊横丁〉に入る。下手すれば月影騎士団よりも恐ろしい魔窟だぞ」

「やーん、もう。わたくしたちの身の回りにはめんどくさいのばっかりですわ!」

「ちがいない。とりあえず彼女はいったい何をあんなに追いかけているんだ?」

「あなたもわからないひとね! ユーレイですわよ、ユーレイ!」


 と、そのときシュヴィリエールは転んだ。すぐに起き上がったものの、その顔は心なしか、青ざめている。

 ニースは呆れて、その手を引っ張る。


「ほら行きますわよ」

「……グリンダ相手には逃げるくせに」

「アホなこと言わないで。魔獣や幽霊よか、人間のほうがよっぽど恐ろしいものよ!」


 アデリナは予想通り、角を曲がっていた。

 ふたりは頷きあってから、あとに続く。

 角を曲がった。

 すると、臭いが変わった。

 それまでやや湿気を帯びた冬の静謐(せいひつ)の香りだったものが、肌でそうだとわかる危険の刺激になったのだ。

 石畳みだった路地もところどころ()がされ、ヘビカズラやリュウゼンモウといった雑草の生えるがままにさせている。

 並ぶ家々は廃墟(はいきょ)とは言わないが、そうであるといっても差し支えないほどに荒廃していた。塗装の()げた屋根や、崩れかけた壁。まともに夜露をしのぐことができないような凄惨(せいさん)な軒が連ねているのだ。


 文字通り打ち捨てられたと言っていいこの区画は、かつて聖王国の歴史の始まりに、都市の中心だったところだ。別名を〈旧城下〉とも呼ばれるこの近辺は、聖王国の発展に押しつぶされるような形で陽の当たらない裏路地へと転落した。

 ここにはひねもす夜もすがら、せいぜい南中した光しか差さなくなっていた。ゆえにいつしか不逞(ふてい)の輩が()みつき、盗品などが扱われる市場と化していることから、〈盗賊横丁〉と名を変えたのだった。


 アデリナは、そんな街中を迷わず駆け抜けている。

 シュヴィリエールが呆れたように呟く。


「まったく、彼女は怖くないのか」


 だが、応えるものはない。ふたりは仕方なく、アデリナの後を追いかけ続けるのだった。

 一方その頃、アデリナは、走りながら、ふたたび声の方向を見失っていた。ふと立ち止まり、あたりを見回すと、まったく知らない虚ろな建築物が、周囲を取り巻いていることに気がついた。


「なんだ……ここは?」


 声はもう聞こえない。たしかにこのあたりから投げかけられていたはずなのだが、たどり着いた途端にかき消えてしまったのだ。

 まるで反応されたことに驚いているような印象を受けた。

 あらためて、注意深く周囲を見る。

 ひび割れた煉瓦(れんが)漆喰(しっくい)の壁が、そこかしこで露出している。走っている間はまるで気がつかなかったが、どこからか聞こえてくる足音が反響して、しとどに耳を打ってくる。

 うるさい、と感じた。

 心をかき乱す不愉快な音だ。

 だが、ぴりぴりと鳥肌が立つこの感触を、アデリナはどこかで経験したような気がした。それは失われた記憶の空白にまで手が届き、深く深くへと掘り下げられる。


 そして気づいた。

 これは暗森(くらもり)の奥、〈緑の礼拝堂〉で体験したものにそっくりだ、と。


 すなわち──


「ここは、〈神殿〉なのか……?!」


 と、呟いたそのときである。

 アデリナの周囲に、等身大の闇が盛り上がった。


 湧き上がる水のようにどろどろと(うごめ)くその闇は、周囲の瓦礫(がれき)を拾い上げて、次第にひとの形を取り始める。

 まるで『神聖叙事詩』開闢(かいびゃく)の章の末尾で描かれた人類誕生の場面のように立ち現れたその影は、しかし、まったく異形の魔物としてアデリナを取り囲む。


 アデリナはとっさに身構える。

 しかし、すぐに舌打ちをする。

 手元に武器がないのだ。

 どうしてこんな事態を想定しなかったのだ、と我ながら呪いたくなる。しかし、今更どうしようもない。とにかく対処ができるように、足元の割れた石を手に持ち、投げられるように構えた。


「アデリィ!」


 そこにシュヴィリエールの声がかかる。

 見れば、影のあいだからニースとふたり、慌てて駆けつけようとしていた。


「気をつけろ! 人形兵(ゴーレム)だ!」


 反射的に大声で応える。すると、シュヴィリエールは驚愕(きょうがく)に目を見開いた。(かたわ)らのニースに声を掛けて、作戦を立てようとする。


「何か武器は持ってないのか?」

「ないですわ。強いて言うならこの拳だけ」

「……なるほど。理想的な回答だな」

()めてもこれ以上出てきませんわよ。あなたは何かお持ちでして?」


 ふん、とシュヴィリエールは鼻を鳴らすと、腰から細剣(レイピア)を抜いた。柄の独特な装飾と、剣身に刻まれた祝詞(スペル)が、この剣が魔術によって鍛えられた特注品であることを示している。


「しょうじき大型の魔獣相手なら心許ないのだが、あの程度の泥人形なら斬れるはずだ」

「……まったくあなたも物騒なひとですわね。グリンダ相手にそんなものを叩き込もうとしていたわけ?」

「笑えない冗談だよニース。騎士たるもの、得物は常に持ち合わせておくべきだ」


 と、言った途端、ニースはニースで、籠手(ガントレット)を装着していた。その指の関節のあたりは尖っており、攻撃用であることがうかがえる。


「……ええ、まったく同意なのでしてよ!」


 すかさずニースは飛び出した。図らずも助走を付けて振り下ろされた拳は、鋼鉄の(とげ)を帯びて破壊力を増していた。

 人形兵が動くより早く、その頭部が吹き飛ばされる。


「しゃあッ! まず一体目ですわよ!」


 亜麻色の髪を揺らしながら、ニースは水を得た魚のように活躍した。筋肉質の脚を素早く滑り込ませ、人形兵が反応するより早く、その脚を払う。転げ落ちたからだもそのままに、鉄槌(てっつい)のように拳を振り下ろしていく。

 まるで火と戦の神:ノーラーンのように(はげ)しい肉弾戦に、アデリナは愚か、理性のないはずの人形兵もたじろいでいるようだった。


 一方、シュヴィリエールも負けていない。

 ニースを烈火に(たと)えるなら、シュヴィリエールはさながら流水だ。ニースより素早さでは劣るものの、剣を片手に舞うその様子は、実に無駄がない。

 人形兵の動きを先読みし、すんでのところで避けながら、鋭利な剣身で叩き斬る。バターを裂くようにあっさりと斬り落とすその剣さばきは、鍛錬を積んだものなら誰でも、容易ならざる技だと直感するはずだ。

 それを二、三と繰り返す。

 まるで剣舞を見ているようだとアデリナは感嘆した。だがその隙に、彼女の背後に一体が近づいていることに気づけなかった。


「ッ! アデリィ、うしろ!」


 言われて初めて気がついた。

 だがそのときには、すでに人形兵の腕が振り落とされている。とっさの反応で彼女はこれを避けるものの、仰向けに倒れ込んでしまった。

 ニースがそれに気づいて助けようとする。

 しかし、彼女の周りにも二、三体の人形兵がまとわりついていた。これを抜けてもアデリナの危機には間に合うか、怪しい。シュヴィリエールにおいてはなおさらだった。


 ──訓練を思い出せ。


 しかしアデリナは、この二ヶ月で大きく進歩していた。

 さらに襲いかかろうとした人形兵の胴体を、迎え撃つように()り飛ばしたのだ。文字通り形勢を逆転させたアデリナは、そのまま持っていた石で頭部を叩き壊したのである。


 お世辞にも格好が付いた戦い方ではなかったものの、ひとまずの勝利であることには変わらない。振り向けば、ニースもシュヴィリエールもひと通り戦闘を終え、アデリナに向けて笑顔を見せたり、親指を立てたりしている。


「まったく、酷い目に()ったものだ。さっさと帰ろう。幽霊なんていなかったんだ。あるのは不吉な魔物の影だけだ」

「あーら、よく言うわ。お化けと聞いてガクガク震えていたのはどこのどなた?」

「真相が明らかになった以上、怖いものはないッ!」と自身の恐れを振り払うように、シュヴィリエールは怒鳴った。「……それよりも、このままだと騎士団長のほうが怖い。はやく帰らねば」


 ふたりはもう帰る気満々だった。

 しかし──アデリナだけは、まだ背中にこびりついた不吉な予感をぬぐいきれなかった。


 先ほどの人形兵のごとき魔物の類いは、本来この世界における負の力:業魔(ごうま)によって生み出される。人間の内面からにじみ出るとされるその闇は、ときとして世界に残留し、魂の弱い動植物に取り()くのだと教わった。それが魔獣の起源と言われている。

 そしてそうした業魔は、〈神殿〉と呼ばれる魔術の空間にわだかまりやすいという特質を持っている。星霊(せいれい)を閉ざして魔術を伝導しやすくする代わりに、そうした負の力も集めてしまうらしい。


 したがって、こうも言うことができる。

 魔獣は〈神殿〉から生まれる、とも。

 じっさい、《魔女》はそうした仕組みを応用して魔獣を使役する術を得たと言われていた。業魔を自在に操るその権能は、魔術の中でも特に禁忌(きんき)とされ、「黒魔術」や「魔道」の名をもって異端視されていたのだ。


 ゆえに教導会は均衡(きんこう)を重視し、業魔を統御(とうぎょ)する術として魔術と知恵を授けている。ひとびとは『神聖叙事詩』の歴史を読み、みずからの起源と世界の仕組みを知り、そして絶えず襲い来る業魔に対して、星霊(せいれい)の光を忘れないように心懸けるのだ。


『恐れず待ちなさい。星霊の光は常にあなたの心を照らし出すでしょう』


 そういう聖句が抜粋され、何度も教訓めいて唱和されてきた。

 だが、アデリナには、いまここには星霊の光は微塵(みじん)もないように感じる。魔獣が現れたから、だけではない。何かそれ以上の──肌がぴりぴりするような緊張が、ごくごくさりげなくだが、彼女の背後にうずくまっているように思えたのだ。


 だから、彼女は素早く振り返った。

 そしてずっと心の内側で念じていたある祝詞(スペル)を、短縮して発動した。


「──〈(ルク)〉!」


 それはあまりにも唐突だった。

 ニースも、シュヴィリエールも、アデリナがなぜこのようなことをしたのかわからなかった。だが、夜闇に赫々(かくかく)と輝いたその〈光〉には、アデリナの強い意志が反映されていた。

 ゆえに、その場にいた全員が驚いたのだ。

 ふたりはなぜ、アデリナがこのような行為に及んだのかに。

 ひとりはなぜ、自分の勘が当たっていたのかに。

 そして最後のひとり──()()()()()()は、なぜ自分の居場所が看破されたのかに、感情を隠さずにはいられなかったのだ。


「そんな……」とシュヴィリエールは〈光〉の先を見て、呟いた。「なぜ、貴様がここにいるんだ……!!」


 その先にいた少女は、紅色の髪を二つの房にして、雪のように白い肌をあらわにしながらも、騎士の礼装に身を包んでいた。

 反射的に顔を腕で隠してはいるものの、その左のほおにあるものを、騎士の少女たちは見逃さなかった。

 それは刻印──魔術の力を刻んだ刺青(いれずみ)


「あーあー、バレちゃった。ホントはこのまま手を出すつもりはなかったんだけどねー」


 ひと言ひと言が、他人を(なぶ)るように(うそぶ)かれるこの声を、アデリナは記憶の奥底で聞いたことがある気がした。だがそれよりも、彼女の脳裏には、騎士学校で教わった知識のほうが先に現れていた。


「でも、見つかったなら、タダじゃおかないんだからね」


 と言って、少女は腕をおろした。

 その手には、仕込み刃の細長い杖が構えられている。身構える少女たちを眺めつつ、その少女──〈氷月(ひづき)の乙女〉:ヴェラステラは、すらりと剣を抜き払った。

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