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第2版  作者: 八雲 辰毘古
イドラの魔女篇
45/57

3ー5.王都のとある一日(後編)

「あー、疲れた……あの野郎ども、おぼえてろよ……」


 寮で横になったアデリナは、そう愚痴(ぐち)った。傍らではニースがふわふわした亜麻色の髪を揺らして、笑っていた。


「まあ、まあ、アデリィったら。わたくしに脳筋なんて言いながら、そんなに弱っちいだなんて。情けないにもほどがありますよ」

「うるせえやい……つうか根に持つなよー、言葉のあやだってばぁ」

「それは無駄口っていうの、ご存知?」

「知らなかったわー。日頃悪口言われてると全然気にならないわー」


 アデリナたちは先ほどまで倉庫の掃除と整理をやっていた。だが、アデリナはたまたま一緒になったレアンドルたちに冷遇(れいぐう)され、実に疲れる時間を過ごしていたのだった。

 中でもその取り巻きであるカッサ・リグラントとビラン・オルディナの小大の二人組は厄介だった。両者はともに近衛騎士団の家系で、家名の高さや腕っ節の強さを(おご)ってアデリナをこけにするのである。

 家名はもちろん敵わないが、少年組の中でも随一の大男ビランには、アデリナは太刀打ちできない。ひとりひとりを相手にするならともかく、これがレアンドルという人物を中心にした派閥(はばつ)となっているのが、どうしようもなく面倒だった。この手のしがらみはアデリナには縁のなかったことなので、すっかり心労になっている。


「だいたいなんだよあいつら。そんなにヒマならもっと早く手を動かせっての」

「まーねー、狼の威を借りるキツネみたいなものよ。ずる賢いという意味では、実力者と言っていいかもしれないけれど」


 やれやれですわ、と毒づいたニースはベッドから立ち上がる。寝間着ではなく、麻のシャツを着ていた。騎士学校の制服というべきものだった。


「さあ行きますわよ。シュヴィリエールをお迎えに行かなきゃ、あの子、部屋に籠城を決め込むかもしれませんわよ?」

「もうちょっと待ってよー」

「あら、あなたも臆病風に吹かれたの? 情けない。夜の風に吹かれればまた気分が変わるわよ」

「痛ッてえな! 力づくはやめろ!」


 そうふたりで戯れていたときであった。

 女子寮の扉が開き、怒りを体現するズカズカした足音が聞こえた。

 まるで嵐から逃げるように、寮の住人たちが道を開ける。

 散らした女子のあいだから少女がやってくきた。切り揃えられた暗い金色の髪を揺らすその様子は、抜き身の剣をあたりかまわず振り回すような鋭利な印象を与えている。


 げ、とアデリナは言った。その少女は、アデリナにとって苦手このうえない人物であったのである。

 少女はアデリナを認めると、迷わずまっすぐ足を向けてくる。逃げようとニースを盾にしようと考えたが、どういうわけかニースはすでに影も形もなかった。

 もう、逃れようがない。


「ちょっとあなた」と、少女は言った。「()()()()レアンドルと稽古(けいこ)したって話は、ほんとうなの?」


 この少女の名は、グリンダという。彼女の家系:エドワーズ家は、〈星室庁〉の刑部(ぎょうぶ)卿を擁立(ようりつ)している。それだけでも周囲から一目置かれるに充分だったが、彼女の学校内での真の立ち位置はそこにはない。

 レアンドルの、婚約者なのだ。

 もともと家同士で決められたものらしい。しかし家の名を背負い、武芸に秀で、おまけに社交界でも名高い美貌(びぼう)と気風のために、グリンダはすっかりぞっこんになっていた。やがて近衛騎士団の団長になり王府を守護するレアンドルの、その傍らに立つために、彼女もまた騎士の訓練を受けている身だった。

 だが、その理想こそが彼女の厄介さでもあったのだ。


「ねえ聞いてるの、()()()さん?」


 アデリナは辟易(へきえき)して、答えない。

 それをいいことに、グリンダはさらに詰め寄った。


「まさか答えるべき言語すら忘れたとでもいうのかしら? ……まあ、べつにいいのだけど」と、彼女は冷ややかに目を細めた。「レアンドルには口答えするくせに、わたしにはしないのね。ほんとうに失礼なコ。あなたみたいな()()()さんにはわからないかもしれないけれど、ふつうは断りぐらい入れるものなのよ? わかってらして?」


 グリンダはまくし立てる。

 アデリナは渋面を堪えつつ、黙って目を合わせない。


「呆れた。話にならない」


 冷淡にそう言い捨てると、そのまま立ち去ろうとした。周囲のひとびとがふたたび割れた海のように道を開ける。

 が、そのときだった。


「……なにをしている、グリンダ・エドワーズ」


 シュヴィリエールが、そこにいた。

 編み込んだ金髪に髪留めをし、王者のごとく(たたず)むその様子は、見ているものに畏敬を与えずにはいられない。

 もっともそれが英雄家という彼女の家格から来ているのか、彼女の風格によるものなのかは、アデリナにはわからなかった。ただ確実に言えるのは、アデリナにとって、彼女の登場はおとぎ話の騎士のようにありがたかったということだけだ。


 ふたりの金髪が向かい合う。

 明るい金と、暗い金が、好対照だった。


「なにって、礼儀の悪いコに説教してやったのですよ。監督生の務めというものです」

「礼儀だと? そちらのその態度にも非があることも弁えぬとは、騎士の風上にも置けぬぞ。我らアスケイロン家および元・聖刻騎士マースハイム・ゴドウィンの名誉を損なう行為とみなすが、構わないのか」

「逆ですわ。あんな礼儀作法も知らない愚か者を推薦したとあっては、さすがの英雄家も零落(れいらく)したと噂が広がることでしょう。お父上の醜態もありましたことですし、あなたももう少し分別というものをお付けになったらいかが?」


 ぐっ、とシュヴィリエールが息を詰まらせた。奥歯を噛み締め、肩をわなわなと慄わせる。


「父上のことを侮辱するな……!」

「あら、事実を申したまでです。叛逆(はんぎゃく)者に聖剣を盗まれた挙げ句、奪還任務の最中に返り討ちにあった哀れな騎士:クナリエール……」

「黙れ! ()れ者が!」


 シュヴィリエールは激昂(げきこう)していた。

 アデリナはそれを見て驚いた。

 周囲の少女たちもどよめく。

 グリンダはあえて触れてはいけない話題に手を触れたのだ。三英雄家のひとつ:アスケイロン家の不名誉な話へと。

 だが、グリンダはなにも気を(とが)めた様子もなく、にやりと笑う。さながら餌にかかった獲物を見るような目つきだった。


「ひどい言葉遣い……あなたもやはり同類ってわけね……」


 両者は黙ってにらみ合う。

 そこには殺意めいた緊張が漂っている。

 剣気だ、とアデリナは直感する。

 抜き差しならぬ対立の瞬間が訪れる──


 ──そのときだった。


「何をしているッ!」


 一喝する声が、沈黙の(とばり)を引き裂いた。

 両者は我に返り、声の主を見やる。

 レアンドルと、その取り巻きたちだった。

 傍らには舎監(しゃかん)の女性がおどおどとしている。

 シュヴィリエールが殺意をそのままに、彼らをにらんだ。


(けい)ら……ここは男性の入るべきところではないはずだが?」

「通りがかりに助けを求める声が聞こえた。緊急時だ。どうかご容赦ねがいたい」


 切れ長の青いひとみが、心底申し訳なさそうにあたりを見回す。すると、急に熱っぽいどよめきが石を投げた水面のように波紋となって広がった。もはや校則が破られたことに関して、誰も文句を言わなかった。

 シュヴィリエールは舌打ちをした。

 グリンダもまた、表情が険しい。

 情勢を掴んだレアンドルは、朗らかな表情を被って、グリンダのもとに歩み寄る。そしてそのまま彼女の腕をつかむと、


「不本意ながら、我が婚約者殿はあなたに無礼を働いたようだ……シュヴィリエール殿。身内の失態は俺の罪でもある。この場を借りてお詫び申し上げる……」


 だが、と彼は続ける。


「同時に指摘させていただこう。互いに家名を背負う身である以上、その感情は抑えるべきだと。『均衡を乱すべからず』と、神々の言葉にもある。このようなことで貴殿の聖刻拝領のねがいを妨げてよいのか?」


 シュヴィリエールは歯ぎしりをした。

 しかし、否定の言葉が出なかった。


「──もっとも、女性が聖刻を拝領したという話は歴史上聞いたことがないがな。だが俺は貴殿の望みが叶うことを願ってやまない。貴殿に夢があるというのなら、ここは退いてもらえないだろうか?」

「……わかった。非礼を詫びよう」

「感謝する。グリンダ、きみも──」

「──しかしっ!」とシュヴィリエール。ふたりが注目するのを待ってから、彼女は続ける。「勘違いしないでもらいたい。わたしではなく、アデリナ・セイシェルの名誉を傷つけたことに対して謝罪していただこう。もともとそのためにわたしは言い争いをしているのだから」

「……なるほど。理は(かな)っている。グリンダ、謝りなさい」


 グリンダはとっさに反論しようとした。

 ところが、キッと上げた顔に対して、レアンドルがそっとキスをするように口を近づけて、耳打ちした。そして二、三の言葉をささやくと、グリンダは言いたかった言葉をすべて呑み込んだ。

 苦々しい表情で、彼女はアデリナのほうを向く。


「わ、悪かったわ……ッ!」


 屈辱(くつじょく)を噛みしめる声だった。

 アデリナは、そこに怨念の影を見て、全身に鳥肌が立つような想いに駆られた。

 自分はこの社会には向いていない──と、心の底から感じる。自分がなりたくて仕方がなかったものは、こんなものであったのかと疑いたくもなっていた。

 帰りたいと願う心が、芽生えていた。

 けれどもどこに帰るべきところがあるのか、自分でもよくわかっていなかった。


 やがて、レアンドルはグリンダの肩を優しく包み込むと、ふたりで女子寮を出て行った。その際レアンドルの取り巻きのふたり──小柄なカッサ・リグラントと、大柄なビラン・オルディナもあとに続いていた。おそらくおのおのの個室へと送り届けるのだろう。

 だがアデリナは、カッサが心配そうにグリンダの方を見やってから、彼女と同様にアデリナを()め付けたのに気づいていた。


 ──あれはいつのことだったろう。


 確か騎士学校に入って、一ヶ月が経とうとしていた頃だった。男女共同練習があり、性別の垣根を超えて剣術を行う訓練が催されていた日のことだ。

 そのときアデリナは全くの偶然からレアンドルの興味を()いた。固有の流派も型も持たず、勘が(おもむ)くままに動くやり方に、面白味を読み取ったのだろうか。とにかくレアンドルは、アデリナの作法の悪さを非難しながらも、彼女の腕前を決して見下すことはしなかった。むしろ事あるごとに剣を交え、その腕を分析し、おのれの剣術に取り入れようとすらしていたのだった。


 しかし、これにグリンダが悋気(りんき)を示した。彼女にとって、レアンドルが興味を持った対象はすべて恋仇(こいがたき)なのだ。うわさによると、過去にも何人かそうした人物がいて、遠回しに圧力をかけて辞めさせたという話だった。

 その下手人として、カッサやビランがいたのである。特にカッサは、もう誰もがわかりきっていたことなのだが、グリンダを好いていた。彼は彼女の使い走りとしてあちこちを駆け回り、騎士学校内の陰湿ないじめに協力していたのである。

 ゆえに彼がアデリナに対して攻撃的なのは、間違いなくグリンダが一枚絡んでいると見ていい。だが確たる証拠はないために、どうしようもないままひと月が経とうとしている。


「……大丈夫か、アデリィ」


 シュヴィリエールが、声をかける。

 先ほどまでとは打って変わった優しい声であった。

 すでにレアンドルとグリンダ一行は寮を出て、野次馬だった周囲の少女たちもそれぞれの日常に帰っていた。その中のひとつにニースが混じって、アデリナの近くに現れる。


「あーんもう、最悪。エドワーズのお嬢様に目を付けられるなんて、ほんと災難でしかないわね。いい加減、あの灰色ボンボンも自分が災難のタネ振り撒いてるって気づいていいはずなのにネ」

「全くその通りだ──が、ニース、きみはいままでどこでなにをしていた?」

「やーね、伸びてきた薔薇(ばら)のつるには触らないのが処世術ってものでしてよ? トゲトゲしいったらありゃしないんだから」


 と、ここまで言って、ニースは思い出したようにつづけた。


「そーだ、わたくしたち、あなたをお迎えしようと思ってたんですのよ。その、お化け退治に……」

「残念ながら、それはできない相談になった」

「えー、どうしてなのよ?」


 拍子抜けしたニースが、がっかりした声をあげる。だが、シュヴィリエールは微塵も怖がる様子を見せず、真摯(しんし)な眼差しで、そっと彼女たちに耳打ちした。


「王都に侵入者がいる。フェール伯を暗殺しようとしたらしい。その輩を捕らえるために、いま月影(つきかげ)騎士団が動き出しているとの情報だ」

「なんですって……?!」


 と、ふたりが話し込もうとしたそのときであった。


『ねえ……だれか……だれか……』


 アデリナは、ふたたびあの声を直感した。

 人気の多い女子寮にいるにもかかわらず、その声ははっきりと意識の中に入ってくる。方向までわかるほどに、鮮明だった。

 ゆえにアデリナは顔を上げた。

 無意識のうちに声の方を向いている。

 そこにもう一度声が聞こえて、見当が確信に変わった。


 びくり、と反応したその不自然さに、シュヴィリエールとニースは戸惑った。しかし、アデリナが反射的に飛び出すのを見ると、彼女たちも追いかけた。

 あとに残った少女たちは、なにもなかったかのように生活に戻る。そしてこの日に起ころうとしていた不安や恐怖を、すべて忘れてしまったのだった。

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