3ー4.王都のとある一日(中編)
放課後。下天ノ刻に差し掛かる頃合い。
騎士学校の裏手の倉庫で、無数の少年少女が群がって、剣や槍の手入れをしていた。あくせくと刃と向き合うそのさまは、シャラ・エヴァンズにとっては微笑ましい光景のひとつでもあった。
「いやァ、いつもありがとね。うちらの荷下ろし手伝わせちゃッてさ」
「大丈夫ですよ。シャラさんは、アタシの恩人でもあるんだし」
シャラは振り返り、アデリナを見やる。親友のガーランドが最期まで守り抜いた子供は、いまや立派な騎士見習いとして日々を過ごしている。入学に当たって資金を提供した身としては、誇らしいことだった。
彼女たちは、ギルドで生産した斬魔刀や斬魔槍、刻印の弓、盾や甲冑などを積んで、荷車を引いていた。これらは来るべき〈魔女戦争〉のための軍備として、王府から多数に注文されたものだった。
魔術を用いた戦場は隠密戦になりやすいので、現状がどうなっているのかわからない。だが、武器の発注数を考えると、芳しいとは言えないようだ。
「……でも、よくタリムからここまで来ましたね。遠かったでしょう?」
「まァね。ちょうど親戚の集まりもあるから、そのついでにあんたのカワイイ顔を見に来たのよ」
「か、カワイイ……」
少女はとっさに判断に困ったらしい。
栗色の束ね髪を揺らして、からからとシャラは笑う。
「ところで、カテリナは良くしてくれてンのかい?」
何気なく、しかし慎重な言葉遣いで、シャラは尋ねた。
対するアデリナの表情は複雑だ。
「良くはしてくれます。でも、それだけです。そもそもガーランドさんの記憶もあいまいで、あんまり話すこともできなくて……」
「……そう、だよね。うちらも相当、無理を強いてるからな」
シャラは苦い思いを噛みつぶすと、自分で言及してカテリナ・セイシェル──親友ガーランドの許嫁のことを考えた。
身寄りもなく、後ろ盾もないアデリナが、騎士養成学校に入るためには三つの最低条件を突破しなければならない。
資金と推薦状、そして背負う家名だ。
入学金はシャラが出した。推薦状をしたためたゴドウィン家やアスケイロン家が、そう依頼したからでもある。
しかし、家名というのはややこしい。
彼女は扱いの上では庶民枠に当たり、本来は地元の領主の名が冠せられる。しかし彼女は記憶喪失で、地元が判明していないのだ。
とは言っても大貴族の名前はまちがっても背負えるものではなかった。そこで、彼女を保護していたガーランドのサイロス家から派生し、許嫁の家系:セイシェル西方辺境伯が目をつけられたのだ。
セイシェル家は豊かな西方にありながら、役職は低く、おまけに体の弱いカテリナが当主だった。許嫁を失い、もはや権勢の衰えつつあるかの家に、仮初めにも騎士の養女が迎えられるのは、悪くない取り引きだった。
ゆえに、受諾された。
とはいえそれは論理の話である。アデリナを庇って死んだガーランドは、彼女がいなければ死ななくて済んだかもしれないのだ。そういう考えがアデリナ自身の内側に過ぎるぐらいだから、カテリナがどう思ったのかは、しょうじき、裏で取り引きをしたシャラ自身、分かりかねることだった。
──優しくなれればいいンだけど、そうもいかねェな……
子供に罪はない、とシャラは考える。《魔女》の人さらいから救い、護り続けたというガーランドの美談は、今後も語り継がれることだろう。そういう意味では、彼は憧れの騎士になり得たと言える。
しかし残された人間はそうもいかない。何も言わず、唐突に先立たれたカテリナの心境は、当人以外にはわからないのだ。
「まァ、今度〈再誕祭〉に向けていろいろあるから、そのときに話し合えるといいな」
「そうですね……でも、そのときはシャラさんも一緒に頼みますよ?」
「わかッてるわかッてる。ここは大人の責任ッてヤツだよ」
やがて倉庫の前に立つと、荷車を止めた。
そこにはすでに灰色髪の少年を中心に、複数の少年騎士がてきぱきと木箱を運んでいた。たしかあの子はレアンドルと言ったッけ……とシャラが思ったところに、彼の取り巻きの小柄な少年が、アデリナに向かってこう言った。
「おい田舎娘、仕事がとろいぞ!」
アデリナは目を見開いた。まるで敵がい心をむき出しにした猫のようだ。だが、彼女は何も言わなかった。
シャラはそれを見て、アデリナの騎士学校での微妙な立ち位置を理解した。
「あー、ごめンね。この子、うちが引き留めちゃっただけだから」
小柄な少年は、ふんと鼻を鳴らして、早くしろと言った。その威張り方はまるで身の丈に合っていないように見えたが、シャラにはいかんともしがたい類いのものに思えた。
傍らのアデリナを見やる。
「悪いね。なンか、突っ込まれるネタ作っちゃったみたいで」
「……いいんです。カッサの野郎、腕はからきしなのにいつもああだから」と言って、冷静になったアデリナは、「でも、ちゃんと友達もいるよ。だから、心配しないで大丈夫」
と、にこりと笑う。その表情の端で引きつるものを見つけると、シャラも複雑な気分になった。が、次にこう言っただけに留めた。
「ちゃんと見返してやれよ」
アデリナは、その言葉に驚いたようだったが、すぐに勝ち気な笑いになると、頷いた。それこそが彼女本来の笑い方のように、シャラには見えた。
じゃあ頑張ッてネ、と言って、シャラはアデリナと別れた。アデリナが少年少女の中で怒鳴りあったり慌ただしく動いているのをしばし見つめてから、シャラはふたたび歩き出す。
向かう先は王府だった。
石畳の路地を進むと、〈星室庁〉の文官たちが慌ただしく往来しているのが見える。じっさいに戦地に行く騎士団も大変だろうが、それを含めて国家を支える文官も、また気苦労が絶えないと推測できた。
フェール伯収監によって公領主議会の均衡も不気味な揺れを見せている。彼を殺そうとしたものがいることは、さいわいまだ生徒たちには漏れていない。だが、それも時間の問題だろう。
これが《魔女》の手によるものかはまだわからない。しかし、王都には着実に不穏分子が混ざり込んでいる。長年にわたって平和を謳歌していたはずのこの戴冠の都:リア・ファルに、ついに影が差すのだろうと思うと、シャラは不安にならずにはいられない。
と、そのとき──
何者かに、手を掴まれた。
そのまま力づくで物陰に引っ張られる。
抵抗しようと身構えた。
しかしその相手を目の当たりにして、シャラは目を見開いた。亜麻色の髪に、翠のひとみを持つその男を、よく知っていたからだ。
「デニス……あんた」
「よォ、久しぶりじゃねぇか」
髭を剃った彼の面貌は、憎らしいほど端正に整っていた。
「友人の死に際に側にいなかったあんたが、いったいなんの用?」
「おいおい、頼むぜ。おれぁフェール伯の行方を掴むので精いっぱいだったんだぜ? しょうじきあいつのことには良心を咎めないこともない。だが、もう過ぎたことだ」
「はン、その割り切りよう、まるで好きになれないよ」
「勝手にしろ。それよりも、なんでてめえはさっさと真実を言わない? あのガキの素性はおれやガーランドが教えた通りだぞ?」
ここでシャラは俯いた。唇を噛む。
「……うちはヤだよ。あんな、残酷な……生い立ちなんて話しても、ここではあの子は生きて行けない」
「だが、事実だ。事実はなかったことにはできない。真実といえばいくらでも色を変えられるけどな」
「でも、親の罪と子供は関係ない! そんなモンは犬にでも喰わせておけばいいンだ!」
アデリナの母は《魔女》であり、父は裏切りの騎士でもある。どちらをとっても、この国における彼女の未来はない。
だったらいっそ、このまま記憶を失くしていたままのほうがいい──そう、シャラは思う。真相を知れば、なおさらだった。
「まぁべつにいいんだけどよ。ただ、ひとつだけ忠告だ。もうそんな甘っちょろい優しさは通用しない。そういう世の中が来つつあるんだ。あのガキがいま持っているものは、遅かれ早かれゴミクズ同然に成り果てるぜ」
「……何か知っているような口ぶりだな、いッたいなにが起ころうとしてンだ?」
「愚問だな。おまえはおれの本当の仕事を、よく知っているはずだぜ」
シャラは目を見開いた。
「……月影騎士団が動き出したの」
「ご明察。今後夜道には気をつけるんだな」
薄ら笑いを浮かべるデニス。
そのまま彼は、物陰から颯爽と歩き出そうとした。
「ねえ、」とここで、シャラは呼び止めた。鋭い眼差しで、デニスを睨みつける。「……なぜあんたはうちにこんな情報を?」
「惚れた女にゃ不幸になってほしくないのさ」
「嘘こけ。うちはあんたのことが嫌いだヨ」
「そーかい。ま、期待はしてねぇよ」
じゃあな、とデニスは去って行った。
あとに残されたシャラは、胸のうちにわだかまった複雑な想いをそのままに、改めて王府への道のりをたどっていった。
だが、彼女は知らない。
その背後を尾ける、謎の影を──




