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第2版  作者: 八雲 辰毘古
イドラの魔女篇
42/57

3ー2.夢見る乙女じゃいられない

 真夜中に目覚めた。

 反射で起き上がる。

 青いひとみが見開かれ、呼吸も荒い。

 おまけに寝間着も汗びっしょりだ。


「──またあの夢か」


 思わず口をついて出た言葉に苦笑する。

 まだどろりと残る意識の感触が、以前見た夢と同じ類いであることを教えてくれるものの、アデリナは、肝心の夢の中身をちっとも憶えていないのだ。

 ただ憶えているのはひとつだけ。


『どうしてここにいるの?』


 そう言う声が耳に残っている。少年なのか少女なのか、はっきりしないあどけない声が、耳の奥にこびりついて離れない。

 これはアデリナがシュヴィリエールに会ってからこの方、ずっと続いているものだ。

 アデリナにはどこで生まれ、育ったかの記憶がない。気がついたときには〈暗森〉という辺境の原生林で目覚め、落下したところをシュヴィリエールに助けられたのだった。


 その彼女の憶測によると、どうやらアデリナは《魔女》に記憶を奪われて、さらわれかけていたらしい。

 しかしアデリナ自身は、騎士団に助けてもらったわけではなく、自分から逃れてきたようでもあったと聞いている。

 ますますわからない話だった。

 自分が《魔女》の関係者であることは、どうやら間違いはない。それは《魔女》の刻印が入った護符を持っていることからも明らかだった。けれども、記憶がなくなっているために、どうして、どのように関係があったのかが判然としない。


 だから唯一生きた手がかりと言っていいのは、この奇妙に繰り返す夢だけだった。


「あー、くそ、何も思い出せねぇ……」


 苛々(いらいら)と髪を掻きむしる。

 おかげですっかり目が覚めてしまった。

 もうじき末の月に入る。太陽の女神にして〈星々の女王〉:アストラフィーネの力が最も弱いというこの季節は、ベッドから出るだけでもおっくうな時期だ。そんな中、寝汗で濡れた寝間着でもう一度寝るわけにはいかない。


 しぶしぶ、彼女は凍てつく空気の中、着替え始めた。

 とは言ってもこの部屋はひとりのものではない。周りにはすやすやと寝息を立てる、アデリナと同年代の少女たちがいる。カーテンで仕切られているが、私的領域をほとんど持たない団体寮の空間だった。

 ただしシュヴィリエールはこの部屋にはいない。飽くまでここは庶民枠の寮だ。かろうじて辺境伯の長女次女などが一緒になることはあれど、大部分の貴族は家格に応じた小部屋を与えられる。文字通りの格差である。


 寝間着の替えはいくつかあったのだが、いま二度寝する気分にはならなかった。

 だから彼女は運動装束に着替えた。

 そのままうんと伸びをする。

 右にひねり、左にひねり、屈伸を二、三度行なってから、こっそりと階段を降り、寮を出て行こうとする。


 ところが──


 石造りの回廊に、びゅうと風が吹く。

 その風に頬を撫でられた途端、寝ぐせのある蜂蜜(はちみつ)色の髪が、ぴんと伸びるような刺激を受けた。さながら張り手を喰らった気分だ。さらに目が覚めてしまったが、やっぱり戻ろうかと考えてしまう。

 けれどもベッドに戻るのも気が引けた。汗で濡れているのもそうだが、いま寝てしまったら、あの夢にまた捕らえられる気がしたのだ。


 仕方なく、彼女は階下の片隅を借りることにした。そこで昼間やった魔術訓練の復習をしようと閃いたのだ。目が冴えているいまなら、うまく行くかもしれない。

 ベッドの下から取り出したのは、木で組んだ正四面体の枠だ。これは簡易型の〈神殿〉だ。内部に聖王国の刻印を記すことで、魔術の効果を引き出すというものだった。


『魔術を自在に操るためには、まず空間を限定しなければならない。もとが摂理を外れた──世界に手を加える力なのだから、その範囲は綿密(めんみつ)に規定しないと、力に呑まれてしまうのだ』


 何度も聞いたシュヴィリエールの言葉を思い出す。

 〈神殿〉の空間設定は、狭ければ狭いほど扱いやすいとされている。正四面体構造の木枠が与えられるのは、そのためだ。本来ならば魔術の「ま」の字も知らない幼少期の基礎訓練に等しいのだが、アデリナは、そうした根本知識すら持ち合わせていない。

 テーブルの上に木枠を置き、枠の中央に聖王国の紋章──〈真昼の星の杖〉を刻んだ徽章(きしょう)を置く。本格的な魔術実践だと触媒(しょくばい)が要るものの、まだ基礎段階なのでなくても構わない。


 すうっ、と息を吸う。頭の中で聖典『神聖叙事詩』の祝詞(スペル)が、澱(よど)みなく甦(よみがえ)ってきた。


「……散れ、散れ、散れ。

 暗がりに惑いし幽(かそ)けき光の数々よ。

 舞え、舞え、舞え。

 温かみを失くしても心を忘るるなかれ。

 寄れ、寄れ、寄れ。

 淋しき肉が寄り添うように、

 寒さと闇の中にあっても

 希望の炎を灯して耐えよ……」


 ──〈光(ルク)〉!


 心の内側で灯った〈光〉が、言葉に応じて現れた。アデリナの手のひらの中で、ほんわりと温かみを帯びて輝いたのだ。

 やった、とアデリナは喜んだ。これまではどうしても祝詞(スペル)を思い出せなかったり、字句だけで表象を捉えきれなかったりしたために、何度もお叱りを受けていたのだ。


 彼女の教わった神聖体系の魔術は、聖典:『神聖叙事詩』を根拠とする。『叙事詩』に記載された神々の奇跡や、英霊の事績を思い描くことで、〈神殿〉の中にその超自然の力を招き入れる、というのが原理だった。

 したがって、神聖体系を使いこなすためには聖典の朗読と、挿し絵や動作を用いた記憶術が奨励(しょうれい)される。ただ目で見て耳で聞くだけの暗記ではいけない。じっさいに自らの頭脳で噛み砕いて、血肉として具体的に記憶するのである。


 だが、これこそアデリナの不得意とすることだったのだ。


 戦闘訓練はまだいい。五感が人一倍あるために、反射神経でどうにかなるところがある。しかし、こうした勉学となると、頭を使うだけで湯気が出てしまう。精神を安定させることなど以ての外で、シュヴィリエールにはさんざん呆れられ、導師の教導の外でも、先達者として教えを受けていたのだった。


 ──明日、シュヴィリエールに自慢できるぞ……!


 アデリナが内心で喜んでいたときだった。

 さながらろうそくを吹き消すように〈光〉が途絶えた。

 魔術の効果が打ち消されたのだ。

 通常魔術の失敗には三種類の原因がある。

 ひとつ、〈神殿〉の形成に失敗する。

 ひとつ、〈神殿〉の所有権を奪われる。

 さいごが術者の精神状態である。〈神殿〉の中で思い浮かべるべきものを見失ったとき、魔術は効果を無くすか、術者に手痛い危険を降りかからせる。


 いまの取り消しは、最後の要因だった。

 とは言っても、〈光〉の魔術はかなり低位であるため、術者への負担はかからない。不幸中のさいわいだったと言える。


 だが、アデリナの注意は完全に外側に向いていた。寮の扉の、外側に。


「……なんだ?」


 何かが、呼んだ気がしたのだ。

 ふと立ち上がる。

 扉の方に向かい、開けるが、誰もいない。

 冷たい風が吹いているだけだった。

 改めて広間に戻る。

 しかし──


『……けて、たすけて』


 今度ははっきりと耳に入った。

 反射的に飛び出すと、寒さを物ともせずに、アデリナは走った。

 道は何となくわかっている。二ヶ月前、騎士学校に編入する際にイヤというほど叩き込まれたからだ。彼女は耳だけを頼りに、裸足のまま、声の主を探し求めた。


『ねえ……だれか……へんじを……』


 しかし、声の主の居場所がつかめない。

 遠ざかったと思えば近くなり、

 近くにいると思えば遠くなる。

 この繰り返しで、まるで読めないのだ。

 いい加減、思い出したように寒さを実感し始めて、苛々と彼女は叫んでしまった。


「おい、アタシがここにいるぞ! おまえはどこにいるんだ!」


 すると、がさり、と音がした。

 ほんの一瞬、ともすれば聞き過ごしそうになる音だった。

 しかしアデリナの本能は逃さない。

 頭が音を認識するより早く、からだが動いた。殴りこむように茂みに向かって手を伸ばし、声の主を引っ張り出そうとするが──


「なんだ」

「げっ」


 相手は、全く喜ばしくない人物だった。

 暗がりの中、三日月のかすかな光に浮かび上がったのは、灰色の髪の美男子だ。切れ長の青いひとみと、整った顔つきが、アデリナのいた女子寮でもしばしば偶像崇拝めいた熱狂を催していた。


「レアン、ドル……」


 レアンドル・クナート。

 それが彼の名前だった。


 レアンドルは鋭利で冷ややかな視線でもって、夜中に襲いかかった少女を睨(ね)め付ける。それはまるで、不届きな召使いを蔑むようなひとみだった。


「前々から思っていたんだけど」と、彼は視線と同じぐらい冷ややかな言葉遣いで、「きみの振る舞いには、とことん育ちの悪さが現れているね。臭うぐらいだよ」


 アデリナはとっさに手を離した。

 レアンドルは冷淡に、握られた手をさすっていた。


「あ、えーと、その、ごめん。なんつうか、助けを求める声が聞こえたんだ」

「ふうん?」

「それで、その、声の主を探していたら、おまえと……ていうか、おまえ何やってんだよ。消灯時間だろ」

「答える義理はないね。そういうきみはどうしてここにいる? 夜這(よば)いごっこでもしていたのか?」

「なッ、なんだと!」

「ふん。べつに聞きたくもないがね。そんなに知りたければ教えてやろう。やましいことなど何もしていないのだから」


 そう言って、彼はもう一方の手に握られていた細剣(レイピア)を見せた。対人武器として軽量化されたものだったが、よく見ると刃抜きがされているのがわかる。


「……〈再誕祭〉の公式戦、か」


 レアンドルは答えない。

 だが無言が答えだった。


 聖王国の末の月が終わると、次の年がやって来る。それは女神アストラフィーネが新しい陽の光を携えて復活する奇跡の再現だと言われており、〈再誕祭〉と名付いている。

 騎士学校では、その祭りに合わせて競技場を借りて公式戦を行う。儀礼的な戦いではあるものの、そこでは騎士の家格を懸(か)けた意地と誇(ほこ)りがぶつかり合うのだ。


 レアンドルの家系は代々近衛騎士団として名を馳せた通称:近衛家である。だから、公式戦に賭ける熱意も努力も、人並み以上だった。家名を誇りにし、家格や身分でひとを判断するきらいがあったのは確かだが、それを差し引いても、この真剣さはアデリナも尊敬に値すると考えていた。

 ただ、だからと言って好きにはなれないが。


「ああもう、悪かったよ。せっかくの練習を煩わせちゃってサ……良い子はさっさと寝ますよーだ」


 アデリナは思いつく限りの幼稚な嫌味を投げると、さっさとベッドに戻ろうとした。


 ところが──


「少しばかり付き合え」


 と、彼は突如細剣を放り投げた。

 反射で振り向き、あわてて受け取る。

 そこにすかさず、切っ先が舞い込んだ。

 手首を返して、受け流すものの、レアンドルの刃も容赦なく懐へとねじ込まれる。アデリナは間合いを取りながら、突っ込んでくる剣先を巻き取り、自分の呼吸に合わせようとしていた。


 文句を言うヒマもない──


 ただアデリナは、必死になっていた。

 それはレアンドルも同じだ。彼もまた、無言のまま剣先(けんさき)を踊らせる。軸足を定めないようで、重心が揺れない動きで、相手の中心線を奪おうといなしてくる。

 ふたたび間合いが整えられた。

 切っ先がギリギリのところで重なり、相手の剣尖(けんせん)を読み合う。からだの中心線──眉間やのど、みぞおちなどの急所が並んだ縦の軸をねらいながら、ふたりは静かに向かい合っていた。


 と、そこで緊張が弾けた。

 交差する細剣──


 その切っ先は、アデリナの目の前で止まっていた。

 つ、と冷や汗が垂れる。

 しかしアデリナの切っ先もまた、レアンドルの首をかすめるように伸びていた。


「……俺の勝ちだな」


 口角を上げて、彼はそう言う。

 アデリナは思わず舌打ちをした。


「なんなんだよ……そんなにムカついたのか!」

「べつに怒ってなどいない。型稽古も倦(あ)き倦(あ)きしていたところだったからな。ちょうどいい練習相手がいて好都合だったというだけだ。もっとも、やはり腕は俺の求めるほどではなかったようだが」

「……そりゃどーも」

「しかし、だてにアスケイロン家のシュヴィリエールに稽古を付けてもらっているわけではないな。先ほどのひと突き、当たったら致命傷だった」


 ウッ、とアデリナは息がつまる。

 私闘で怪我をさせればタダでは済まされない。ましてや相手が近衛家の御曹司ならば、言うまでもないだろう。

 その配慮を察したようで、レアンドルは鼻を鳴らした。


「気遣いは無用だ。俺は貴様よりは強い」

「あー、はいはい」


 アデリナはげんなりした。

 しかしレアンドルは、それを見とがめた。


「全く、貴様はせわしないヤツだな。そんなだから余計なモノの声に惑わされるのだ」

「え、あ、そうだ。おまえ、声を聞かなかったのか?」

「ないね。俺は小一刻ほど型稽古に励んでいたが、貴様の野放図な声以外何ひとつ聴き取らなかったぞ」

「そうなのか……ヘンだな……」

「まあ、魔術すらろくに使いこなせない貴様のことだ。どうせ気の迷いから何かおかしなモノに惑わされたに違いあるまい」


 レアンドルが言っているのは、主に女子寮からささやかれる都市伝説の数々のことだろう。貴族の子弟や腕利きの庶民が一堂に会すこの空間では、もちろん根も葉もない都会のうわさ話や、社交界の風聞、都市伝説が溢れかえっていたのだ。

 しかしレアンドルは、それらの言説を嫌っていた。均衡を守る騎士が、そのような中身のない言葉で精神を惑わせてはならないのだと。


『均衡を重んじよ。〈道〉はただあるのみ』


 聖王国および〈叙事詩圏〉に広がる教導会の、この教条に則って、騎士はおのれを律することを求められる。

 魔術──魔法技術とはその一環なのだ。

 ゆえに騎士は魔術を修め、みずからの恐怖や迷いを断ち切る訓練をしなければならない。それは剣術や体術にも応用され、対人戦術においても強く反映されている。


「もっと鍛錬に励むがいい。剣を修め、魔を克服することができれば、そんな瑣末なことに気を紛らわせなくて済む」

「……お、おう」


 思わぬ言葉を受け取り、アデリナはたじろいだ。レアンドルの表情は相変わらず冷ややかなものであったが、そのひとみには、相手を尊重する趣きが湛えられていた。


「なんか、ありがとう、ていうのか、こういうときは」

「礼など必要ない。これから同じ騎士の道を歩むものが、軟弱者であっては堪らないからな」


 アデリナは眉をひそめた。一瞬見なおしたが、やっぱりこの人物とは馬が合わないだろうなと改めて感じた。

 そのままぞんざいな礼で彼女は女子寮に戻った。元来た道を思い返し、ようやく扉の前に戻ると、つかの間忘れていた寒さが甦ってきた。全身を貫くように吹いた風には、心なしか白い粒のようなものが混じっていた。


「あー、くそ、やっぱりさっさと寝よう」


 そう思っていたときだった。


『だれか……ねえ……だれか……』


 アデリナはとっさに振り返るが、レアンドルの言葉を思い出し、首を振る。だが、声は消えない。ほおをつねっても、頭を叩いても、やっぱり声はある。

 それも、だんだん強くはっきりと、小さな女の子の声だとわかるほどに、聞こえる。


「なんだ……?」


 何かがおかしい、と思った。

 しかしふたたび風が吹いたため、アデリナは今日の探索を辞めて、ベッドに戻ることにしたのだった。

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