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第2版  作者: 八雲 辰毘古
イドラの魔女篇
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3ー序.動乱の影

 ──冷たい石造りの部屋だった。


 藍色に染まった半球の天井は、さながら満天の星空のよう。目にも綾なる輝きに包まれながら、大理石の床を歩かされていると、世界の涯まで来た心地になる。

 だが、ここはそんなところなどではない。

 れっきとした世界──〈叙事詩圏(エポスパエラ)〉の中心部にして深奥、アストライア聖王国のもっとも神聖なる空間。またの名を〈星室庁〉と呼ばれる組織の枢密会議の場に、男は立たされていたのだった。

 その容姿は還暦を通り越し、つい最近まで病身だったことがうかがえる。痩けたほおに、薄くなった灰色の髪を撫でつけたかたちだけの髪型。しかしまゆは黒く、その下で輝く青のひとみはまだ生気を失ってはいない。


「方々。お連れいたしました」


 重々しい口調で、背後の青年が奏上する。デニスという名前のこの男は、亜麻色の髪を丁寧に整えた正装で直立している。ほおにはもう髭はない。

 彼はこの場まで男を連行して来たのだ。


「よろしい。下がっていいぞ、デニス」

「はっ」


 一礼すると、何も言わずに立ち去った。次の任務があるのだろう。男は黙ったままそう考えると、暗い星空のような空間に、七人の影が見下ろすように浮かびあがった。

 その中央から左に座す影が、おもむろにほお杖を突いて、尋ねた。


「──ずいぶんと、雲隠れがうまかったようだね。フェール伯:オイリゲン・フェーガス。《魔女》に加担せし、裏切り者め」


 フェール伯。その名は東部辺境の一角を統べる大領主の家系である。だが、ここ〈星室庁〉本部では、全くちがう意味でこの名前が有名になっている。

 ──存在しない村:メリッサ。

 この廃村をあたかも存在するかのように書類の上で偽造し続け、王府の役人を欺いた謀叛人としてだった。



   *  *  *



 ひっくり返って、地面があった。


「──あれ?」と少女はつぶやく。


 昼下がりの日に照らされて、蜂蜜(はちみつ)色のクセっ毛が輝いた。うなじに掛かる程度の長さだった髪は、もうそれを覆うぐらいに伸びている。ところが、きちんと手入れをすれば一端(いっぱし)の淑女として振る舞える質ではあったものの、それをしてないために毛先の跳ねっ返り具合が目立っている。


「なにが、あれ、だ。しっかりしたまえ、従騎士アデリナ。きみの根性とはそんなにヤワなのか?」


 叱咤(しった)の声が聞こえる。

 見上げると、同年代の金髪の少女が、しかめっ面をして立っている。灰色の装束に身を包んだまま、油断のない佇まいで、こちらを見ていた。その(みどり)色のひとみが、問いただすように鋭い。


「シュヴィリ、エール」


 アデリナは相手の名前を呼んだ。

 対するシュヴィリエールは苛々と応えた。


「全く。きみの戦い方はまるで野生児だ。ここ二ヶ月間ずっと訓練を続けてきたが、そのクセはいまだに治らないのか?」

「ンなこと言われてもサァ」

「減らず口を叩くな。きみは騎士になりたいと言った。そのねがいに偽りはないはずだ。ならば、わたしは全力で応援しよう、われわれの命の恩人にかけてもだ……訓練を再開するぞ」

「えーッ!」


 文句を垂れながらも、アデリナは立ち上がる。彼女自身も騎士団の装束に身を包んでおり、すっくと立つすがたは凛々しく見える。

 もっとも、それは数秒で崩れ去るのだったが。


 どさり、と再度ひっくり返された。


「おっかしいな。見えてンだけどなァ」

「バカもの。見ているから避けられないのだよ。見るんじゃない、相手の意志を読むんだ」

「だから、それわけわかんねぇって」


 そうこう言っているうちに、二度三度とひっくり返された。

 ようやく休憩が挟まれたときには、せっかくの装束が台なしになるぐらい、土煙りにいぶされてしまっていた。


 地面に仰向けになったアデリナは、寒々しいほどに透き通った冬の青空を眺めて、ホッと白い息を吐く。


 ──ここは、王都:リア・ファル。


 〈戴冠の都〉とも呼称されるこの大都市は、大河アンカリルを見下ろす丘陵の上に建てられている。東部辺境から〈凱旋街道〉を辿ってきた人間ならば、さながら銀の王冠のような白亜の城壁が、東の崖の上にそびえ立つさまを見て畏怖(いふ)に包まれることだろう。

 これは西から来た人間にしても同じで、その場合は、丘陵の斜面一杯に並んだ赤い屋根と象徴的な建築物の数々を目の当たりにするのだ。平野部から見あげると、その街並みが上中下の三層に分かれているようだった。


 その中でもとりわけ目立つのは、最上層にある王府の宮居と、〈導きの塔〉と呼ばれる教導会の総本山、大聖堂、競技場、それから騎士養成学校だった。

 もっとも、すべてが同じところにあるわけではない。王府の宮居と騎士養成学校が上層にあるのに対して、中層の大広場にある大聖堂や、競技場、そして〈導きの塔〉は街から外れたやや西の森に存在する。それは導師のさらなる修行の場として、雑踏は好ましくないとする彼らの教義の問題でもあった。


 そんな知識も、王都に来てようやく教えてもらったものだ。アデリナは、この街に着いてからというもの、全くの無知だと思い知らされてばかりであった。戦闘訓練やら、魔術の手ほどきやらを教わる日々に二ヶ月も浸かっていると、〈暗森〉での悍ましいできごとの数々をうっかり忘れてしまいそうになる。


「おー、やってるねぇ〜」


 頭上からふわっと声がして、()け反ると、厩舎(きゅうしゃ)のほうからふたり組の女騎士がやって来る様子が見えた。途端、シュヴィリエールは起立し、格式張った態度で敬礼する。


「お疲れさまです。シャルロッテさま、エリーゼさま!」


 すると栗色の巻き毛のほうが返事をした。この女性は名をシャルロッテといい、マースハイム・ゴドウィン配下の〈魔女の騎士団〉に加入している気鋭の騎士だった。


「は〜い、シュヴィちゃんありがとう〜、アデリィもご苦労さま〜」


 言われて初めてアデリナは立ち上がり、遅れながら敬礼する。左手を腰に当て、右手をみぞおちの前に置き、そのまま軽くお辞儀をする──騎士の心得を学ぶとき、まず最初に教わったことだった。

 この基礎を実践するのが騎士として第一だと、そう言い聞かされてきたために、隣りのシュヴィリエールの視線が鋭く心に刺さる。いまのでひと息どころかふた呼吸分ほど遅れがあったのだ。


 それを見とがめたのか、浅黒肌の黒い髪の騎士は苦笑した。エリーゼという名のこの女騎士もまた、シャルロッテ同様に〈魔女の騎士団〉の一員である。彼女は沈着な声でシュヴィリエールを(いさ)めた。


「お嬢、べつにまだ入って二ヶ月しか経ってないのだから、そこまで険しくなることもないでしょうに」

「ですが、アデリィはあまりにも危機感がなさすぎです! わたしやゴドウィン閣下の後押しがあるからといって、いや、だからこそ、名ばかりの連中に見さげられるのはごめんなんです!」


 アデリナは身分を保証するものが存在しない、いわば庶民枠として騎士養成学校に入っている。もともと対・魔獣兵卒として人員を育成する騎士学校では、貴族だ庶民だのと言った身分秩序は外に、門戸を開いてはいるものの、じっさいには財力や権威の都合で格差が生じているのが現状だ。

 その中で、アデリナは庶民枠なのに名門貴族たるマースハイム卿やシュヴィリエールの後押しを受けている。これを面白く思わない人間は多く、本人の経験不足をけなして面白がる生徒がいた。シュヴィリエールはその現状を打破しようと息巻いていたのだった。


「……あとエリーゼさま、わたしを『お嬢』と呼ぶのはやめてください! わたしはシュヴィリエールです!」


 きっと睨みつけるシュヴィリエール。

 これも後で知らされたことだが、シュヴィリエールは、この聖王国において最高位の名家:英雄(えいゆう)家の跡取りで、息子同然の振る舞いを期待されているとかそうでないとか。

 ゆえにか、彼女は明にも暗にも「お嬢」とあだ名されており、それが気にくわないようだった。エリーゼはあまりそのあたりのことには無頓着なのである。


 シャルロッテが笑う。


「そうよエリー、シュヴィちゃんはお子ちゃまじゃないのよ〜?」

「……その言い方のほうが子供扱いしているのではないかな」

「あら、そうかしら?」

「とにかく、お嬢はお嬢だ。実戦経験を積みつつあるとはいえ、われわれ正規兵とはまだ練度がちがいます。むやみにアデリィに対して先達顔をなされないようにお願いします」

「わ、わかっています!」


 エリーゼは頷くと、シャルロッテとともに城門のほうへと歩き出そうとする。

 そこにアデリナが呼び止めた。


「なにか、あんのか?」

「こら、口の慎み方に……」

「いいのよ、シュヴィちゃん。べつに極秘ってわけでもないし」とシャルロッテが口を挟むと、「……そうね、また出動、て感じかしら。今度は北部辺境よ。《魔女》の影あり。ただでさえ魔熊(まゆう):ビョルニルが出没する季節だってのに、団長も人遣いが荒いのよ。だから奥さんと子供に逃げられるんだわ」


 エリーゼがここで白い目を向ける。

 いいじゃん事実なんだし、とシャルロッテはふてぶてしい態度を取る。

 反応に困りながら、シュヴィリエールは言葉を返した。


「……ここのところ、奴らの動きが活発なようですね」


 エリーゼは頷いた。奴らというのは、言うまでもなく黒魔術結社:〈イドラの魔女〉のことである。「均衡を重んじよ」という教導会の教義に真っ向から対立し、魔獣と魔術の限りを尽くして聖王国の治世を混乱に(おとし)める振る舞いは、女王直属機関たる〈星室庁〉の悩みのタネでもあった。


「ああ、今月に入ってもう十件を超えている。ところどころで〈冬将軍〉の目撃情報も入っているしな。それまで息を潜めていたはずなのに……こんなに大胆にやってくるなんて、〈魔女戦争〉かそれ以来じゃないか?」

 とエリーゼはシャルロッテに話を振るが、すげなく彼女は首を振った。

「わかんない。わたくしその頃ちびっ子だったも〜ん」

「よしわかった。今度歴史の勉強をしよう」

「わ〜い!」


 ということでわれわれは急ぐから──と言葉を残してふたりは城門に向かった。その隣に生えるナナカマドの樹が、見るものにそこはかとなく癒しを与えてくれた。

 しかしシュヴィリエールはひと息吐くと、ふたたびアデリナのほうを見やって、こう言った。


「さて、休憩は終わりだ。もう一度やってから、今度は魔術鍛錬に入るぞ」


 えーっ! と絶叫が上がることになったが、そんなことに誰も御構いなしだった。

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