外ー8.〈生命の木の苗〉
目覚めると、シュヴィリエールの泣きそうな顔が眼前にあった。一瞬戸惑って、しどろもどろにあちこちを見回すと、シュヴィリエールは、アデリナの顔に手を伸ばして、正対させた。
「……なにか、言うことは?」
「あー、いや、その……」
その言葉の凄みに圧倒されて、目を逸らしてしまう。だが、シュヴィリエールはそれを許さない。ふたたび首を固定すると、面と向かわせた。
「なにか言うことは?」
「えーと、その、すみませんでした」
「ほう。なにについて謝っている?」
「あのぅ……大変心配かけさせて、申し訳なく思っております」
「当たり前だッ! きみは! わたしがどれだけ心配したのかわかってて言ってるのか!」
アデリナの頬に雫が落ちた。
泣いているのだ、と気づいたときには、シュヴィリエールはわっと泣き崩れて、胸に迫っていた。悔しそうに何度も胸を叩くその様子を見て、アデリナは、相手の意外な側面を見たような気がしたのだった。
だが──ひとしきり泣いたあと、シュヴィリエールはふと我に返って、こう呟いた。
「薄いな、きみのは」
「おいなんか言ったかゴラ」
アデリナは頭突きで応酬した。顔面に衝撃を喰らったシュヴィリエールは、鼻頭を抑えてうずくまる。泣き腫らした翠のひとみが、非難がましい視線でアデリナを睨みつける。
だが、それ以上の暴力沙汰にはならなかった。というのも、アデリナの背後の瓦礫の山から、一本の若木が、瑞々しい青色に輝いて伸びるのを見たからだ。
惚けた表情になったシュヴィリエールを見て、アデリナもつられて振り返る。そして、ふたりは感嘆の声を上げたのだった。
「あれが……〈生命の木の苗〉」
ごくりとつばを飲み込む。その見かけはあまりにも神々しく、この〈緑の礼拝堂〉という場に相応しい神秘性を醸しているようでもある。ゆえにか、アデリナは、尻込みしてしまう。
けれども、シュヴィリエールが、アデリナの背中を突いて促した。あれはアデリナがとるべきだ、と彼女は主張したのである。
「きみが受けた任務で、きみが達成したことだ。だから最後の収穫は、きみの手で行われなければならない」
そう言った彼女の高潔さは、かつてアデリナが憧れた騎士の態度そのものであった。
「お、おう」
照れ臭くなったアデリナは、蜂蜜色のクセっ毛をぽりぽり掻きながら、光の方へと歩き出した。
足場の悪い瓦礫の山の頂きに立つと、その光はまるで泉の源泉のように湧き上がっているのがわかる。いまにも溢れて満たされてゆきそうだ。だが、アデリナは〈森の守護者〉から言い遣わされてきた、「取ってこい」ということばを忘れてはいなかった。
そっと手を伸ばす。掬い取るように〈苗〉を両手で包んで取り上げた。すると、光が優しく掌の内側で華やぎ、全身を温めるように吸い込まれていった。
「あっ、あっ……」
若い苗は、溢れんばかりの光をすっかり葉の中に閉じ込めてしまったようだ。早くしないといけないような気がしてアデリナは振り返るが、そこでようやく、ある重要な事実に気がついた。
「あ、そういえば」と、顔面を蒼白にさせながら、「アタシたち、どうやって地上に戻るんだ?」
だが、シュヴィリエールは冷静だった。
片眉をあげて、なんてことはない、と言外に示すと、
「そこに足場があるだろうが」
壁にうがった穴をあごで示した。刻印の弓で縦に連ねて〈神殿〉にしたものだった。アデリナは今更のように気づいて、それからげんなりする。
「もしかして、これ、登るのか?」
「当たり前だろう?」
「いや、もう、さすがに疲れたんですけど」
「何をいってる。〈神殿〉を上書きしたからと言って、まったく安全というわけではないんだ。あの天井の五芒星の意味もまだわからんのだし、油断はできん」
「あー、まあそうなんですがね……」
はぁ、とアデリナはため息を吐いた。そのときふと、彼女は自分がいつもこういうことをしていたのだろうか、と思った。誰かはわからないが、以前シュヴィリエールのようなムチャ振りをして、げんなりさせたひとがいることを思い出していたのだった。
──せめてもうちょい冷静になれるようにならなきゃな……
と、ひそかで心に決めたのだった。
* * *
結局、アデリナはシュヴィリエールにさんざん助けられて、石段に戻ったのだった。
「まったく、〈苗〉はもう大丈夫だろうに、なんだってきみは、そう、重いんだ……」
「おまえ……仮にも修羅場をくぐらせた人間の言葉とは……思えないぞ……」
ぜい、ぜいと息を吐きながら口争いをするものの、ふたりはやがて立ち上がると、早々にこの〈礼拝堂〉を去る決意を固めた。足音が妙にこだまする中、あのさんざん苦しめられた段差の欠落部や、天井の五芒星に目をやっていろいろ思いを巡らせてみる。だが、何ひとつわからなかった。
少なくとも……とシュヴィリエールは今までのできごとを思い返して、考える。〈緑の礼拝堂〉は、すでに森の持ち物ではなく、《魔女》の手に渡っていたことは確かだった。でなければそもそも、〈森の守護者〉がヒトに潜入を命じなかっただろう。
シュヴィリエールは今更のように気づく。あれはてっきり森からの罰、試練の一種なのだと思っていた。だが、違ったのだ。すでに〈暗森〉という〈神殿〉は、本来の所有者とは全く関係ない人物の手によって乗っ取られていたのである。
それがもし、魔術結社たる〈イドラの魔女〉の仕業だとするならば……
「なあ、シュヴィリエール」
と、そこでアデリナの声が背中から聞こえる。万が一にも〈苗〉に事があってはいけないから、シュヴィリエールが先に危険を見てから歩かせていたのだ。
「その、ありがとうな。いろいろ助けてもらって」
「……気にするな。師のため、同胞のため、そしてわたしが騎士たろうとするがゆえだ」
アデリナはそこで、恥ずかしげに俯いた。
しかしあまりに不自然な行動だったので、シュヴィリエールはどう反応すればいいのか困ってしまう。
「あのな、」とアデリナは言う。「アタシはもっと強くなりたい。騎士養成学校に行けるガラじゃないのはわかってるつもりなんだけどさ、もし、このまま森を出たあとも、王都でなんとかしてもらえないか?」
そこでようやく、シュヴィリエールは納得した。したと同時に、緊張を削がれて破顔した。穴の空いた革袋から空気が漏れ出すように力なく笑ってしまったので、アデリナはますます畏縮する。
「なんだ、そんなことか」
「そんなことってなんだよ……!」
「いや、すまない。でもおそらくなんとかなるだろう。そうでなくても、きみにはいろいろ尋ねたいことも多い。わたしの方から師に伝えておくけれど、おそらく向こうは言われるまでもなく、きみを招待すると思うね」
「ほんとうか! アタシは騎士になれるのか!」
「それは訓練次第だな。ある種の編入になるわけだから、決して楽ではない。それに、きみの素性もでっち上げないといけない」
「あっ……」
と、そこで、シュヴィリエールはうっかり触れてはいけない話題に突っ込んでしまったことに気づいた。しまった、と下唇を噛んで次善策を考えていると、
「まあ、なんとか思い出せるように努力するよ。アタシも、どうしてこうなったのか、知りたい。知らなきゃいけないと思うし」
存外前向きな答えが出てきたので、シュヴィリエールはホッとした。
そうこうしているうちに、彼女たちは〈緑の礼拝堂〉の最上層、わずかにヒカリゴケの青白い光が差す入口のあたりにたどり着いたのであった。




