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第2版  作者: 八雲 辰毘古
番外篇1:〈緑の礼拝堂〉
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外ー6.〈礼拝堂〉の僭主

 シュヴィリエールが最下層に降りると、アデリナは振り向いた。その表情は怯えてこわばっており、冷静さを失っているようだった。


「いま脚を黒い腕がつかんだ……」

「黒い、腕?」

「これで」と刃の欠けた短剣を差し出す。「なんとか追い払ったんだけど」

「嫌な予感がするな」


 言いながら、シュヴィリエールは陶片の瓦礫の山を登る。だが中央に空いた穴を覗き見ることはしない。その周辺をうかがうように見回してから、ロープを出したのだった。


「即席の〈神殿〉のために用意したものなんだが、まさか本来の用途で使うとは思わなかったな……」


 その先端を穴のほうに投げると、さながら釣り人が糸を垂らすように下にゆっくりとおろしてゆく。

 深呼吸が二、三回。心臓を打つ脈拍が痛いほどに耳の内側で響いていた。だがそうしているうちにも、シュヴィリエールは戦闘中のごとき緊張感を手放すことがなかった。むしろ絶えず脳裏で敵対する存在についての思考を巡らせていたのである。


 ここ〈緑の礼拝堂〉は、本来の伝承に基づくならば、古代の王侯の墳墓であった。

 しかし文化的には、聖王国の聖典:〈神聖叙事詩〉が織りなす世界──〈叙事詩圏(エポスパエラ)〉ではなく、むしろ東方の〈大葦原〉に強く影響を受けている。それは墓守の陶兵たちに用いられた魔術の系統からしても明らかなのだ。

 だとすれば、少なくともこの古墳の深奥に潜むのはその〈大葦原〉にゆかりのある東部辺境の王族であったとするのが妥当だ。現についさっきまでシュヴィリエールもそう思っていたし、だからこそ魔術空間の制圧さえ行なえばあとは安全だと思い込んでいた。


 ところが──黒い腕、と来た。

 それ以外にも、陶兵たちの融合と巨大化がある。シュヴィリエールの知っている限り、本来の東方異教の魔術には存在しない形式であるはずだった。

 おかげで危うくアデリナが死にそうな目に遭い、いまもなお危険に晒されている。そのことはシュヴィリエールがこの地下空間の天井に記された《魔女》の五芒星と関連があるように思えてならなかった。


 と、ここまで考えたところで、彼女はロープの端に手ごたえを感じた。すかさず抜き取ろうとすると、かえって、強い力で引きずり込まれそうになった。


「シュヴィ!」


 アデリナはシュヴィリエールの傍らに駆け寄って、ロープの一部を握った。しかし引っ張っても引っ張っても、むしろ持っていかれるばかりでどうしようもない。足場が悪く、踏ん張るには向いていないのが大きかった。

 それだけではない。

 よく見ると、穴の中から黒い腕がふたたび這い上がってくるのがわかった。アデリナはとっさに欠けた短剣を手に取ったものの、同じ手は二度も通じない。彼女の動きよりも早く、腕は鋭く伸びてアデリナの首を絞めるようにつかんだのである。


「アデリィ! くそっ」


 シュヴィリエールはロープを手放して、アデリナの救出に向かおうとした。しかし手元を離れたロープは、まるでひとつの生き物のように自在にのたくって、シュヴィリエールの手首を締め付けた。

 動き出した途端にぴんと張り、彼女のからだを陶片の山に埋める。鋭利な破片にほおを斬られながらも、シュヴィリエールはなおアデリナの身を案じていた。


 一方、アデリナは細長く伸びた黒い腕が、次第に周囲の業魔をまといながら、おぼろげにひとつのかたちを取り始めるのを見た。それは成人女性のような艶やかな肢体を持ちつつも、屈強な戦士のように引き締まり、けもののように全身を憎悪の炎に燃やしていたのだった。

 その憎しみの矛先が自分に向いていることに気づいたアデリナは、逃げ出したい気持ちに駆られた。しかし腕の束縛は明確に、彼女を捉えて離さない。ただ悲鳴になり損ねた声が、その唇から溢れるばかりだった。


『ああ、お前さえ、お前さえここで死んでいれば、こんなことにはならなかったというのに……』


 影は、かたちを取りながらそう言った。

 息苦しさに涙ぐみつつも、アデリナは決して目を背けなかった。むしろあえて見返してやろうと、きっと睨みつけるように覗いたのだ。しかしこれが失敗であった。彼女が目の当たりにしたのは、自分でさえ予想もつかない影であったのだ。

 驚愕に、目を見開く。歯が噛み合わず、震えた声が確かめるようにこぼれる。


「あ、アタシ……?」


 それは、アデリナそっくりの女騎士の姿であった。だが容姿は彼女よりも大人びて、全き成人として眼前にあった。

 背中まで伸びた金髪はクセ混じりに波がかり、夢のような美しさと、同時に、熾烈な炎のような怒りと憎しみを、赤くなったひとみの内側に宿している。

 その背中を見て、シュヴィリエールは、女騎士が自分の射抜いた黒騎士であったことに気がついた。


「貴様……! 死んだはずではないのか……」


 だが、彼女の声は届かない。

 女騎士は独りごちるように呟いた。


『やはり《魔女》の子は騎士になってはならなかったのだよ。わたしたち〈魔女の騎士〉はこの世に災厄しかもたらさない。古きものの力を甘く見てはいけないのだ。だから、お前には、死んでもらわなければいけない!』


 ググッと腕に力が入る。

 だんだんときつく締め付けられていく首を意識しつつも、アデリナは、いましがた吐き出された言葉の意味を理解しようとして、混乱の渦に呑まれていた。それはシュヴィリエールも同じである。


 《魔女》の子……シュヴィリエールは、アデリナの素性を今の今まで知らなかった。それはアデリナが自らに関する記憶を持たなかったからだ。

 けれども、同時に、女騎士の亡霊はみずからを〈魔女の騎士〉とも呼んでいた。シュヴィリエールが現在属している組織の名前でもある。《魔女》の魔術に対抗するため、同じ体系に身を置くよう訓練されたものたちが、どういう経緯でアデリナを知り、殺しにきたのか? いやそれよりも、なぜ殺したはずの、いわば死者がこの空間に現れ出ているのだろうか?


 考えても答えが出ない。

 そして、考える余裕もない。


 かはっ、とアデリナの意識が遠のいた。

 シュヴィリエールは懸命に女騎士の亡霊に立ち向かおうとするが、ロープの拘束を逃れることができず、あまつさえ穴の底に引きずり込まれようとしている。


 もうこれ以上はダメだ──そう、ふたりが諦めかけたときであった。


『やれやれ……死んでも落ち着いて寝かせてもらえないのかな』


 どこか懐かしい声が響いたかと思うと、陶兵の一個がヒトの形をとって起き上がった。シュヴィリエールはそれを見て、絶望と混乱の底に突き落とされた。〈神殿〉を制圧したにもかかわらず、動くなんて……天井の五芒星がなにかしたのかもしれない、と。


 だが、予想に反して陶兵は、真っ直ぐに女騎士の背後に回って、そのからだを羽交い締めにした。女騎士が激しく抵抗すると、陶兵の腕は脆くも破壊され、無残に山から転げ落ちてしまう。

 けれどもそれだけで十分だった。

 残留思念の意識が全く予期していない攻撃で逸らされたとき、シュヴィリエールを束縛したロープは緩み、同時に、もちろんアデリナは解放された。


 それはほんの一瞬だった。

 しかし決定的な一瞬であった。


 アデリナは遠のいた意識をギリギリのところで取り戻すと、ふたたび銀の短剣を拾い上げようとする。

 させまいと動く女騎士だったが、すでにシュヴィリエールがロープの主導権を握って反撃していた。女騎士の顔に向かって、ムチのようにロープが叩きつけられたのだ。


 怯んだその瞬間には、アデリナの短剣は突き立てられていた。


 言葉にならない悲鳴が、空間内に轟いた。ふたりは耳を塞ぎたくなる衝動に駆られたが、アデリナはそれでもなお前に進み、亡霊へ致命傷をうがつ。

 そして……亡霊は、しゅうしゅうと煙を立てて消え去ろうとしていた。ところが、最後の最後で亡霊は前のめりになって、残された最後の意識を、アデリナの魂にぶつけようとしたのだった。

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