外ー4.〈神殿〉攻略戦(1)
「準備はいいか?」
シュヴィリエールの言葉に、アデリナは頷く。肩の傷はなんとか癒えていたが、重いものを振り回すことはまだできない、と言われていた。ゆえにか、彼女の服装は動きやすさだけを考えたものになっていた。
対するシュヴィリエールも、もともと着ていた鎧かたびらを外し、素早い行動に特化したものになっている。胴着の袖や裾から見える腕や脚は筋肉質で引き締まっており、だてに騎士の訓練を受けていないなとアデリナは悟った。そしてそういう相手の前で、啖呵を切ったおのれの愚かさをも恥じていた。
──強く、なりたい。
彼女は切にそうねがった。だがいまは、シュヴィリエールから教わった策をひたすら脳裡で思い返して、忘れないようにするので精いっぱいであった。
「いまから合図をする。合図とともにこの扉を開けるから、あとは言われた通りに」
「わかった」
「じゃあ、いくぞ……」
三。二。一……
石扉を開ける。途端にふたりは駆け出した。ひとりは上に、もうひとりは下に向かって、である。
アデリナは、下に向かっていた。
すでに陶兵たちはいない。だが、侵入者の気配を感じ取ったらまたすぐに現れることだろう。シュヴィリエールから借りた〈光〉を伴って、彼女はひたすら駆け下りる。もうあの亀裂で転んだりはしない。
一方シュヴィリエールは踊り場から十数段登って、先ほどの踊り場の壁を一望できる場所に腰を据えた。壁沿いに螺旋となるように降りて行くこの階段は、最下層にたどりつくまでに四箇所の踊り場と小部屋を持っている。アデリナとふたりで入ったのはこのうちの最下層に一番近いところであった。
「やはり……」
彼女はそうつぶやくと、下に降りたアデリナに向かって、叫んだ。
「予想通りだ! 下層の〈境界〉形成は頼んだぞ!」
アデリナはおう! と応えると、シュヴィリエールから借りた短剣を抜き払い、〈礼拝堂〉最下層の壁に突き立てた。そのまま横一直線に短剣を引っ張って、走り出す。
『〈神殿〉を乗っ取るんだよ』とアデリナは脳裏でシュヴィリエールに言われた言葉を思い出す。『たしかに〈神殿〉内部なら、心得あるもの誰でも魔術・魔法を駆使できる。しかし言うなれば〈神殿〉とは、領土なのだ。異教の領土ではわれわれ神聖体系は必然的に弱められ、敵方は強くなる。そういう仕組みなのだ』
だが──と、シュヴィリエールはつづけた。あらゆる領土がそうであるように、〈神殿〉にもその空間を支配する依り代となるものが存在するのだ、と。
『われわれはそれを〈神体〉と〈境界〉と呼んでいる。前者は〈神殿〉の核となるもので、究極こちらを攻略できれば、敵方の魔術はすべて無力化できる。が、それは難しい。それ自体がひとの手に負えないいわくつきの呪物であることが多いからな。
だが、〈境界〉ならば話は別だ。先ほどの小部屋でわたしがしてみせたように、〈境界〉は上書きができる。そうしたら、〈神体〉の力をわれわれの味方にすることができるんだ』
つまり陣取り合戦だよ、と彼女はしたり顔で言った。アデリナとしてはその顔つきが気に食わなかったが、どうやらシュヴィリエールはそういう遊戯が得意だったらしい。ようやく面目躍如と言わんばかりに生き生きとした表情で、作戦の内容をアデリナに伝授したのだった。
そしていま、アデリナはその命がけの前線に立っている。
彼女が手がけているのは、騎士団の印である十字の横棒を引く作業だ。〈境界〉とは、最悪〈神殿〉の四方を囲む壁さえいじることができれば上書きが完了する。ゆえにまずは最下層で四方の壁に傷をつける必要があったのだ。
しかも彼女が持っているのはただの短剣ではない。銀の柄に、呪物を込めた霊的な武器のひとつだった。肉弾戦ではさしたる用途を持たないものの、こうした魔術戦においては境界を傷つけたり、上書きするために重要なものであった。
と、そのとき……
アデリナの直感がピリッとした。勘でしゃがむと、そこに矢が飛んでくる。見れば、暗がりから赤い光が並んで、彼女を取り囲もうとしているのがわかった。
陶兵たちだった。
「来たぞ、シュヴィ!!」
とっさのことで、名前をつづめてしまう。失礼だったかもしれないな、とアデリナはくちびるを噛んだが、シュヴィリエールは何も気にしたそぶりを見せずに、刻印の弓から陶兵たちを蹴散らす〈矢〉を放った。
おまけに何か小細工でもしたのだろうか。〈矢〉は無数に分岐して、雨となって陶兵たちの手足を封じた。この術の欠点は数を増やすと威力が弱まることなのだったが、今回は殲滅が目的なのではないため、シュヴィリエールはあえてこうしたのだった。
そんなことは、アデリナは知らない。だが彼女はシュヴィリエールの工夫に感謝を述べて、ふたたび走り出す。戦うと思わなければ、多少は気が楽だった。
一方シュヴィリエールは、アデリナの様子を上から伺いつつ、刻印の弓で全く別の作業を行なっていた。
十字の縦線を刻む作業だ。
じつは、これがアデリナを下にやり、シュヴィリエールが上に立った理由であった。〈礼拝堂〉の壁は縦に長く、とうていひとのからだで登ることはできない。ましてや飛び降りるなどもってのほかで、本来ならば子供ふたりで〈境界〉の上書きを行おうなどというのは無謀な作戦だったのである。
ただ、シュヴィリエールには刻印の弓があった。〈神殿〉の中ならば魔力ある限り矢の尽きぬ魔術の弓が。
短剣で傷つけるそれよりは弱いことはわかっているが、点を縦につなぐだけでも効果はある。そしていま必要なのはとにかく上書きすることだった。ゆえに彼女は持てる限りの力をもって〈矢〉を縦一直線に刻み込んだのだった。
「まず、ひとつ」
同じ調子でふたつ目までこなす。
しかし三つ目に入りかけたとき、異変は起きた。
気づいたのはシュヴィリエールだった。
「アデリィ、陶兵たちの動きが妙だ! 気をつけろ!」
彼女が見たのは、群がる陶兵たちが、アデリナを追うのをやめて一箇所に集まろうとしている場面だった。シュヴィリエールの見立てでは、彼らは自動的な防衛装置であり、何かしらの指令が新しく下されない限り、ただひとつの行動──つまり、侵入者の排除しかしないはずだった。
そして本来ならば、指令を下すべき人間はもうこの世には存在しない。なぜならここは墓であり、その主人たるべき王侯は死んで棺桶の中に入っているのだから……
何かがおかしい、とシュヴィリエールは直感した。
「ひょっとして……!!」
とっさの判断で、彼女は刻印の弓を天井に向けて放った。撃ち上がった〈矢〉を、頂点のあたりで炸裂させる。花火のようにつかの間明るんだそこに、シュヴィリエールの表情がみるみるうちに歪んでいった。
「《魔女》の、刻印……!!」
その天井には銀色の五芒星が刻み付けられていたのだった。