外ー3.作戦会議
激痛と苦しみに包まれながら、アデリナは、かつて似たような経験があったことを思い出していた。深く傷つき、意識がもうろうとして、誰かの看護を受けていたときのことを。その記憶は夢のように遠いものであったが、彼女の心のうちにたしかに残っていた。
目では見えなくても、肩口から何かが抜け落ちているのがわかる。それは生命力というにはあまりにも心もとない糸のようであり、精神というにはかなり強い芯を持っていた。クモの糸のようだ、と彼女は思った。その紐のようなものが、ぐるぐると複雑な軌跡を描いて、どこか遠い空……《記憶》の深淵に伸びているのを、アデリナはたどっていた。
だが、その糸は途中で切れていた。
茨の茂みにぶつかり、そこで途絶えていたのである。
ハッと顔を上げる。茂みは壁のように高く屹立し、すり抜ける隙間すら見せない。
だがその向こう側が、目で見える。
そこに黒い髪の少女が立っていた。どこかで見たはずなのに、どうしても思い出せない顔つきであった。
『なんでこんなところにいるの?』
紅玉みたいに美しい赤のひとみが、鋭く問いかける。けれどもアデリナには答える言葉を持ち合わせていなかった。
* * *
──目覚める。だが、からだが動かない。
「ようやく気づいたか」
シュヴィリエールの声がする。首だけ動かすと、壁にうずくまるように休んでいた。目の下にクマができている。
それだけの時間眠っていたのだろうか、と考えると、アデリナは根気をふるって起き上がろうとする。シュヴィリエールはそれを見て、あわてて止めた。
「やめろ。まだ傷は塞がってないんだ。いまからそっちに行くから……」
「ダメだ、アタシの失敗だったとはいえ、こんなところで時間を無駄にするわけには、いかない」
「バカか。治ってからでなきゃ、話にもならんのがわかってるだろう」
シュヴィリエールは這うように近寄って、叱責する。やっとのことでアデリナの身体を取り押さえると、彼女を寝かせている敷布の余りの部分に腰を据えた。
「……どんくらい寝てた?」
「時間としては……わたしにもわからない。けどまあ、心配はしなくていい。〈神殿〉の中は外界と比べて時間の流れがちがうんだ。それはこういう、十重二十重に組まれて濃厚な星霊を蓄えている空間では目に見えてはっきりと現れる。
いまわたしたちの感覚では半日近く休んだ気になっているが……まあ、ざっと地上では中天から下天ノ刻に達する程度だろうか」
アデリナは絶句した。
「それじゃあ、アタシたち、とんでもないところにいるのか」
「バカもの。きみは〈暗森〉に関する逸話を聞いたことはないのか? 昼と夜の区別がつかなくなり、時間の感覚が狂うという逸話を。あれは森に関するものだけではなく、むしろこのような日の光も月の明かりも差し込まない空間にこそ相応しいのだ。
ちなみにだが、きみの傷を治しているのも、その〈神殿〉というヤツだ。肩当てで覆われたところは、通常よりも早く時が流れているから、あともう半刻ほど横になっていれば治るはずだ。動かす分にはなんとかなるぐらいには、な」
「なんか……すげぇな」
率直に感想を述べる。
「ああ、人知を超えている。だがまあ、たしかに長居はできないだろう。早くあの地下を攻略しなければ……少し話せるか?」
アデリナは頷いた。
シュヴィリエールは改まって言う。
「現状を把握しなおそう。われわれの目的はこの〈礼拝堂〉の地下に降り、〈生命の木の苗〉を取ってくるということだった。そしてその道中で、あの陶器の兵士たちに襲われて、きみが傷を負った。しょうじき生きているのが不思議なくらいだ」
「あいつらはなんなんだ?」
「落ち着け。順を追って話す。それで、いまは階段の踊り場に設けられていたこの小部屋を借りて、われらの〈神殿〉にしている。要するに結界だ。奴らをこの部屋に入り込めないようにしてあるから、少なくともここは安全な領域になっている……ここまでは、いいな?」
頷いた。
「ではさっきのきみの質問に戻ろう。われわれは最下層にあるという〈苗〉が欲しい。しかし例の陶兵たちに邪魔をされている。どうやらわれわれを敵とみなして、排除しようというのだろう。そして現状、退治されてここに避難している始末だ」
言いながら、シュヴィリエールの目線が鋭くアデリナを睨みつけた。返す言葉もなく、彼女はただ苦笑する。
ため息を吐いて、話を続ける。
「この者たちを排除できない限り、われわれは任務を達成できない──では、彼らは何者か?」
するとシュヴィリエールは〈光〉の魔術を展開した。青白い光が突然光ったので、アデリナは目を瞬かせる。
そのままシュヴィリエールは、ふところから陶器の破片を取り出した。割れて不完全ではあるものの、何かしらの呪印の痕跡が灯りからわかる。
「この呪印が彼らの正体だ。まあ簡単に言えば、墓守りだよ。〈兵馬俑〉とも呼ばれている。かつて〈大葦原〉の皇帝が、その副葬物として作り上げた人形兵の一種なんだ。彼らはその魔術の応用で出来上がったものだろう」
「墓守り……あれは〈苗〉の守り手なのか?」
「──おそらくちがう。〈森の守護者〉とヒトとは根本的に相容れない。陶兵はどうあがいてもヒトの側に属するものだよ」
「じゃあ、だったら何を守ってるんだ」
「簡単な話だ。この〈礼拝堂〉の主人さ。所有者と言ったほうが正確なのか」
「……誰なんだ、それは」
「わたしの予想が正しければ、古代の王のひとりだ。名前はあえて言わないけれど、異教の神秘に触れて崇拝していたとうわさの絶えない悪どい人間だ」
アデリナはきょとんとした。
内容を理解するまでしばらく掛かったが、わかったところで次の言葉が出てこない。
そこでシュヴィリエールは〈光〉を壁の方向に放った。すると短剣で刻まれた十字と七芒星の印に、原色で彩られた壁画が照らし出された。赤色で、よく見ると鳥のような存在を描いているようだった。
「あれは〈不滅の鳥〉だよ。ここよりもはるか東方の──〈大葦原〉の神話に現れる南を守る神獣だ。そこから左へ、順に行くと、〈青蛇〉、〈漆黒の亀〉、〈白銀の虎〉という風になっている。それぞれ同じ神話の東、北、西を守護するけものと言われている。
つまりこの〈礼拝堂〉は、われわれの生きた時代よりもずっと以前の、異教の〈神殿〉ということになる。問題なのは、魔術の根幹がわれわれのそれとは別系統にある、ということなんだ」
「どういうことなんだ」
「簡単に言えば、魔術戦ではこちらが不利だ」
「んじゃ、どうすればいいんだよ……物理的に勝てないのはアタシが実証したようなもんじゃないか……!」
やっとのことでそう言うと、シュヴィリエールはしたり顔で微笑んだ。
「そう焦るな。あくまで正面からぶつかればの話なんだから」
「もう、その回りくどい言いまわしやめてくれよ!!」
「わかったわかった」とシュヴィリエールは、しかし得意げな笑みを隠せずに、こう言い切った。
策があるんだ、と。