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第2版  作者: 八雲 辰毘古
旅立ち篇
3/57

3.茨文字の書

 ふたりが始めた探索(たんさく)は、しかし思った以上に難儀するはめに(おちい)っていた。

 まず、父親の──ラストフの私物と思しきモノがことごとく見つからなかった。長持ちをひっくり返しても、衣服すらないのだ。


「まさか父さんって背丈がアタシたちとおんなじぐらいだってことはないよな?」


 そうリナが真剣に考えたほどである。

 しかしルゥは「バカ言わないで」と一蹴(いっしゅう)すると、夕闇に包まれつつあった貯蔵庫に、貴重なロウソク灯を持ち込んだ。

 だがそこには食料や農耕器具、薪割りのオノなどが置いてある以外、とくに目立って気になる何かはなかったのだ。


「ヘンだな……ますますヘンだ。何ひとつ残ってないなんて、そんなことはありえるのか? いや、ない」

「自己完結してどうすんだよ、ルゥ」

「反語ってやつだよ。いいじゃないか。少しぐらい使ってみたくなるんだ」

「アホくさ」

「リナには言われたくなかったよ……」

 これにはかちんときたが、リナはグッとこらえて、引きつった笑顔で訊いた。

「んで? それで、何がどうヘンなのか、アホなアタシにもわかるように説明してくださいませんかね?」

「はいはいわかった、悪かったって」


 そう言って、ルゥは長持ちに腰掛ける。

 学童の着る藍色(あいいろ)のローブのすそが、ひらりと長持ちの側面に揺れていた。


「いや、だってさ。一緒に暮らしていたはずの人のモノがいっさい見つからないなんて、おかしいよ。まるでこの世の始まりからそんな人間いなかったみたいじゃないか」

「あぁそういうことか……なあ、でも待ってくれよルゥ。産んで育ててくれる親なしで、アタシたちが生活できているはずはないと思うんだけど」

「まさにその通りだよ。なのにその痕跡(こんせき)が何ひとつ見つからない。これっておかしいよ。徹底しすぎてる。これじゃあまるで……」

 と、言ったところで、ルゥはハッとする。

 それから指をぱちんと鳴らして、

「そうか! 夜逃げだ!」


 この言葉には、リナもどう反応すればいいのかわからなかった。けげんな表情で訴えると、ルゥはそのまま喋り出した。


「つまりこれはラストフ──お父さんが逃げたんだとすれば、何もかもが説明できる気がするんだけど」

「ん……つまり何から何まで、自分で全部持ってっちまったって?」

 ルゥはうなずいた。

「けどさぁ、ルゥ。そうだったらアタシたちの記憶を消した真犯人が、父さんってことにならねえか?」

「でもこれが一番納得できるよ……少なくとも、《魔女》の邪術っていうのは、そもそも《魔女》がボクたちだけを狙うのもヘンな話じゃないか……」


 そもそもほんとうに《魔女》が真犯人だったとしたら、どうしてこんなへんぴな土地の少年少女の記憶を消さねばならないのか。それも、父親の記憶と痕跡を綺麗さっぱり消してしまうことに、いったいどんな利点があるのだろう?

 ルゥが当初から引っかかっていたのは、そのことであった。


「わかんないぞ。もしかしたら、ラストフって《魔女》と物凄く因縁のあるひとだったりしてさ。恨みを買っていた、とかいうのは」

「それは英雄語りの中のお話だよ。つじつまは合うけど……考えすぎな気がする」

「まぁ、たしかに。そうだったとしても、アタシたちに記憶を消す術が掛けられる理由にはならないしなぁ」


 すっかり手詰まりだった。

 そもそもふたりは、父親がどんな仕事をしているか、どういう為人(ひととなり)であったかも憶えていないのだ。魔術によって消されたとしても、何ひとつ残ってないというのは、なんだかとても(さび)しいことのように思えた。


 リナは天井を仰いだ。


「どうにかならないかな……ルゥ、ウチには他にモノを仕舞(しま)ってる場所とかなかったっけ?」

「ううん、あったような、なかったような」


 ルゥは腕組みをする。

 そしてそのまま、つられるように天井を見上げてみた。木製の骨組みに、(わら)ぶきの屋根だけが見える。つましい家にありがちな、簡素な造りだった。

 あの藁の中に何か隠せるのかな……と思ったとき、ルゥの中で何かが弾けた。


「ベッド……」と、ぼんやりした口調でつぶやくと、「もし探したことがないとすれば、あとはそこしかない」


 そうなれば、話は早かった。

 敷布(シーツ)()いで、ふかふかの寝心地を生むための藁をめいっぱいほじくり返す。すると、土間にさんざん積まれた藁の山の傍らに、不思議な彩色を施された木箱が見つかった。

 その外見は、原色の強い顔料を豪快に塗りつけた独特の文様が表面全体に広がっていた。上から見ても、下から見ても、左右に回してもそんな調子なのである。


「ようやく見つかったな。これが父さんのいた証拠になれば、いいんだけど……」

 と、リナが箱を改めているときだった。

 彼女はある一点を見て、顔をしかめた。

「錠前がついてやがる。サビひとつ付いてない、立派なヤツだ」


 ゆえにルゥは貯蔵庫のそれを含めた、いくつかの鍵を試すことになった。

 しかし、どの鍵もその鍵穴を最後まで入ることがなく、仮にリナが力づくで入れ切ったとしても、回ることがなかった。ついには苛立ったリナの手で、一本の鍵が折れることにもなってしまった。


 悲鳴をあげるルゥ。


「ダメだ。うんともすんとも言いやしない」

 そんな彼を尻目に、リナは蜂蜜(はちみつ)色の髪をくしゃくしゃと掻きむしっていた。

「あぁリナ……どうしてくれるんだよ! これじゃあもう正解の鍵を見つけても入れらんないよ……」

「うっせえな、なんとかなると思ってたんだよ!」

「どうしよう……そうじゃなくても暗くて手元が見にくいのに……」

 (ひざ)をついて途方にくれるルゥ。

 その口からこぼれる愚痴(ぐち)を耳にして、とうとうリナは頭を掻くのをやめた。

「ああもう、めんどくせえ! ぶっ壊しゃいいだろ、こんなもん!」


 制止をかけるヒマもなかった。

 箱を掴んだ手は、思いきり振り上げられると、今度はその倍の速度で落ちていった。耳を(ふさ)ぎたくなる、壮絶な音が鳴り響く。「知ーらーなーいっ!」とつぶやきながら目を逸らしたルゥの背中で、リナは力任せに箱を足蹴に壊そうと苦戦していた。

 そして、なかなか壊れないその箱に業を煮やした彼女は、ついに貯蔵庫にあった薪割りのオノを引っ張り出して、これを叩き割ってしまった。


 ルゥが声を上げたときには、もう遅い。

 ざっくりと豪快にこじ開けられた箱の中身は、黒く奇妙な小冊子と、何やら重そうな中身の袋があるっきりだった。


「へへん、どんなもんだい」

「ホントに力づくで開けちゃったね……」

 感激するべきか、呆れるべきか。

 それがルゥにとって重要な問題だった。

 しかしリナはそんな心中などまるで意に介さずに、

「まあそれよりもさっさとこの中身がなんなのか、調べてみようぜ」

 と言って、箱の中身を取り出した。


 リナはまず、袋の方を手に取った。それはずっしりと重たい感触を伴い、持ち上げた途端、ちゃりんと金物の音が聞こえた。

 期待に目を輝かせて袋の口を開けると、そこには聖王国で流通しているモール金貨が五枚、手のひらに転げ落ちた。


「わ、すっげえ。これだけあれば王都で三年は過ごせるぞ!」

 へそくりかな? と興奮するリナ。

 一方で、ルゥは小冊子の方を手に取る。


 その小冊子は黒い革で装丁を施されており、表紙には白い縦長の十字と、その交叉点をぐるりと囲む円──女神アストラフィーネの象徴たる〈真昼の星の杖〉の紋章が刻まれていた。

 しかし、その向きが反対だった。

 さながら女神を否定するかのように。

 当初ふたりは、 単純に上下をまちがえただけだと思っていた。しかし矢印のごときものが、やはり逆さまであると決定づけていた。


「なんだ……これ」と横からリナが呟く。

「〈杖〉の向きが逆さまだなんて」

 ルゥも戸惑いを隠せない。

 考えるが、かぶりを振った。

「こんなの初めてみた。なんなんだ……この向きじゃあ、まるで女神どころか、七曜(しちよう)すべての神々に刃向かっているようじゃないか……!」


 女神アストラフィーネの象徴(しょうちょう)たる〈真昼の星の杖〉には、そのてっぺんに太陽を模した白い輝きと、六色の光が取り巻いている。そのひとつひとつが神格を表し、女神同様、天空の星に見立てた七曜に()せられる。

 ゆえに彼等は〈叙事詩〉において〈七曜の神々〉と呼ばれている。女神を中心としたこの七柱の神々は、聖王国の公家領主たちの結束の象徴にもなっていた。

 その結束を裏切るように上向きになった紋章は、さながら天に刃向かうべく突き立てられた剣のようだ、とリナは思った。


「ルゥ、やっぱり父さんが異教徒だとか、《魔女》の関係者だったみたいに考えてないか?」

 ぎくりとするルゥ。

「そ、ソンナコトナイヨ」

「嘘こけ。顔に出てるぞ」

 青いひとみが細くなっていた。

「なにやってんだよ、さっさと開けよ」

 そう言って、リナはルゥの手を退()ける。そのまま(ほこり)でも()けるようにページをめくりはじめた。開けばそこに答えが書いてある、と信じて。


 けれどもリナの考えは思わぬ形で裏切られることとなった。


「うわ、なんッじゃこりゃア」


 なぜなら、そこには(いばら)とよく似た形状の、しかしリナのまったく知らない文字が埋め尽くされていたからだった。


 リナは決して文盲(もんもう)ではない。

 幼い日々は教導院に通い、そこで行われた手習いで、導師から読み書きと簡単な算術を教わったのだ。そこでは『神聖叙事詩』を手ほどきに、聖王国内で物されたさまざまな本を読まされたものだった。

 だが、いまリナが目の前にしているのは、そうして読まされたどの本とも異なっていた。ただ内容が読めないだけなら、まだ良かっただろう。しかし彼女が直面していたのはそう言った類いのものではなかった。


 文字が、まるで知らないものだったのだ。


「なんだよコレ、読めないじゃん」

 クセっ毛を掻きむしりながら、

「ルゥ、読めないか?」

 と(かたわ)らの少年に手渡す。

 しかしロウソク灯に照らし、じいっと見つめても出てくるのは(うな)り声だけだった。

「全然わからないや……もしかすると聖王国で使われている普遍語とはちがうんじゃないかな……」

「だとするとなんだ、お山の向こうとかで使われてるようなヤツか?」

「それだったらまだわかるよ。教導会の書棚にはけっこうな蔵書があって、異国の文字もいくつか見たことがあるもの。

 でも、これはそういうのとは、またちがう気がする……」


 そうつぶやいて、彼は小冊子に(つづ)られた茨文字を指で触ってみた。その指先に、筆跡のへこんだ感触が伝わってくる。ルゥは興味が湧いて、しばらくその文字の書き順をたどろうと試みた。

 しかし、指先が急に熱を帯びて来るのを感じて、ルゥはとっさに手を引いた。後から追いかけるように痛覚がやってきた。

 痛ッ、と言葉がこぼれ出る。

 慌てて人差し指を見ると、そこにはまるで薔薇(ばら)(とげ)に刺さったかのごとき傷痕が、そして血がつーっと流れているのを発見した。


「どうしたんだ、ルゥ」

 異変に気づいたリナが、声をかける。

 ルゥは指を示して、答えとした。

「文字になにかヘンな魔術が掛けられている。それも、意にそぐわないひとを排除するような、保護の魔術だよ」


 やっぱりますますヘンだ、とルゥは考え込む。その青藍石のひとみは深い青みを帯びて、宙空を凝視(ぎょうし)しているようだった。


 と、そのときだった。


『待って、まだふたりには』誰かが『早すぎた運命だったんだよ』話している『でもあの人は死んでいい人間じゃ』声が『わかっていたんだろう?』走馬灯のように『ちがう、こんなはずじゃなかったの……』聞こえて『嫌ッ、嫌ァっ!』来た。


 ルゥの脳裡(のうり)を素早く言葉が()ぎった思うと、がくりと膝から力が抜け落ちた。なんとか手をつくものの、それは床に倒れる時間を遅くするだけだった。

 ゆっくりと崩折(くずお)れる。

 傍で見ていたリナにとって、それらはすべて無音で、唐突(とうとつ)に起きたことだった。けれども彼女は、天性の直感からとっさにルゥの身体を受け止めることに成功した。


「おい、ルゥ、ルゥ!」


 なんども呼びかける。しかし応答がない。

 よく見るとその深い青の目は焦点が合っておらず、ガラス玉のように虚ろな光を(たた)えていたのである。

 そこで彼女は、すぐに気付けの法を試みた。頬を軽く叩いてみたり、つねってみたり……しかし反応がない。そこで仕方なく手を振り上げて、力強く頬を平手打ちした。


 ぴしゃん、と音が鳴る。

 すると、痛ッ! と声が響いた。


「なにすんだよ!」

 どうやら直前で意識を取り戻したらしい。

 彼は赤くなった頬を抑えて、怒っていた。

「るっせえ、非常事態だよ。仕方なかったんだ!」

 しかし、怒鳴りかえしたリナの声には、どこか安心した優しい響きがあった。それに気づいたルゥは、怒る気も失せて、改めて我に返った。


「あれ……いま、なにがあったんだっけ」

「それはこっちが聞きたいぜ、あーあ」


 と、背を反らしながら、彼女は木窓の外を眺めていた。そこにはもうすっかり夜の(とばり)が降りており、冷たくも無数の星の光が、満ちつつある月の光とともに空を藍色に染めていた。


「もうすっかり暗くなっちまったな……」


 リナはそう言ったが、応答がなかった。

 見ると、ルゥが考え込んでいる。あご下からロウソクの火明(ほあ)かりに照らされたその顔は、眉間にきついシワが寄っているようにも見えた。

 彼女はルゥの肩に手を置いた。


「ルゥ、おまえ疲れてるんだよ……今日はいろんなことがありすぎたんだ。これからもまだ何かあるかもしれない。いったん休んで、明日考えよう。焦りすぎても良くないぜ」

「え……ああ、うん。そうかもしれないね。立ちくらみするぐらいだし、きっと……」


 ルゥはそこで考えることをやめた。しかしその一方で、何か大切なことを忘れていやしないか、とも思った。


「よおし、じゃあとっとと寝ようぜ。明日になりゃいい案が……」


 そう言いかけて、リナはあんぐりを口を開けた。その様子をけげんに思って、ルゥがその視線の先を見やると、彼もまた、げんなりとため息を吐くことになった。

 そこには、積まれた藁と、くしゃくしゃに丸められたベッドの敷布があったのだった。

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