外ー2.片腕になった用心棒
カレシンが目を覚ますと、鎧をまとった女性と、初老の男が占める集団に囲まれていた。鎧かたびらに付けられた紋章を見る限り、女王に剣を献げた騎士たちであることがうかがえたが、彼には状況が理解できなかった。
これはいったいどういうことなのだろうかと考えていると、そのうちのひとりが近寄って、話しかけた。
「あ、気がつきましたかぁ?」
間が抜けた話し方をするこの女性騎士は、栗色の巻き毛をふわふわさせながら、まどろむように微笑んだ。カレシンは応答に困った。しかしただ素っ気なく、ああと応えるだけにした。すると巻き毛の騎士は団長〜、と間延びした声で初老の男を呼んだのだった。
カレシンは起き上がろうとするが、右腕の妙な感触に気づいた。肘から先がなくなっている。激痛はもうすでに引いていたものの、彼はその怪我を負うに至った経緯を思い出して眉をひそめた。
──記憶の一部分が、ぼやけている。
「気分はどうですかな」
と、そこに初老の男が膝を寄せて、話しかけてきた。
「ああ……この腕以外は、な」
「災難でしたね。魔獣にやられましたか」
「いや、人間だ。黒い鎧をまとった女騎士にやられた」
「どういうことなんですか」
男はけげんな表情で、その話題の詳細を尋ねた。カレシンが答えられたのは、〈星室庁〉の密偵:ガーランドの依頼によって少女アデリナを連れていたことと、その道中で黒騎士に追われ、激闘の末にガーランドが殺されてしまったということだけだった。カレシンの右腕もその最中に切断されたのだ。
カレシンは言いながら、戦闘の最中で亡くなったガーランドのことを思い出していた。果たして彼の魂は、冥府の底で安らいでいるのだろうか……しかし、カレシンは振り切るように空を仰いだ。
「あとは……残念だが記憶がぼやけている。ところで、この腕の治癒は貴殿らによるものなのか?」
初老の男は首を横に振った。
「いいや。すでに治療が済んでいました。われわれは──失礼、まだ名乗っておりませなんだ。私はマースハイム・ゴドウィン。この〈魔女の騎士〉たちを率いるものです……」
それからゴドウィンは、自分たちが〈暗森〉に入るまでのいきさつと、カレシンが気絶していたあいだのできごとについて簡略に述べた。すると、カレシンは乏しいながらも驚きに眉を寄せて、答えた。
「《魔女》……おれもその辺に引っ掛かりを感じなくはない……が、なぜだ。かすみが掛かったように思い出せない」
「……おそらく、《魔女》の使う魔術か、魔法の類いなのかもしれません」
「なんだと?」
「われわれは〈魔女術〉と呼んでいますが、要するに、奴らはそうやって《記憶》を消したり、抜き取ったりする術を持っているようなのですよ。あなたも、おそらくそうした術を被ったのではないでしょうか」
だが、言いながら、ゴドウィンはちがうと思っていた。つい先ほどまで相対した《魔女》イシュメルのことを想起するに、少なくとも、彼女たちがカレシンに手心を加える理由は何ひとつとしてないはずなのだ。
それでもゴドウィンたちがカレシンを助けたとき、すでに治療が済んでいた。本来ならば出欠多量で死んでいたはずの肉体に、わずかながらも生命力が戻りつつあったのである。彼らの診たところによれば、その治癒は魔術で達成されたものだった。
──だとすれば。ひょっとすると。
疑念は尽きない。不明な点も多い。
「ふむ……しかし、だとすれば、おれの腕を癒したのは、奴らということになる……わからないな」
同じことを思い当たったようだったが、思考はそのまま袋小路に入った。仕方なくゴドウィンは話題を転じて、黒騎士について詳細を尋ねることにした。
だが、彼はこのとき二重の意味で失策を犯していた。ひとつは失われた記憶について放置したこと。そして、黒騎士の情報を知れば知るほど、ある恐ろしい事実へと必然的に連鎖してしまうことに。
すでに彼らは、《記憶》の呪いに憑かれてしまっていたのだった。
* * *
──戦いは、三秒と保たなかった。
当然といえば当然だった。なぜなら訓練を受けていたとはいえ、アデリナはまだ騎士としては未熟どころか、相応の修練すら積んだことのない少女だったからだ。技術を持たず、ただなけなしの腕力と根性で振るわれた偶然は、二度とは通じない。
ゆえに、啖呵を切った次の瞬間には、斬魔刀の持ち手に穂先が滑り込んでいた。痛いとぼやく間も無く、利き手から剣が離れてしまう。しかしさいわいにして、素早く身を逸らしたために槍の直撃は免れた。
あわてて間合いを取ろうと退がる。
背後では必死に階段を登るシュヴィリエールの足音が響いている。だが、その足音も、からんと鳴る金属音に振り向き、息を呑む音声に切り替わった。
「くそっ」
アデリナはぼやいた。得物を取り落としたのだ。〈光〉も遠ざかったせいで、見えるのは陶器の兵士たちがにらむ、赤い双眸の大群なのだ。かろうじて〈光〉を受けて反射する青銅の武器がわかるものの、避けることは容易ではない。
「アデリィ! 左に動け!」
言われた通りにすると、〈矢〉が数本まとめて飛び込んだ。陶器の兵士に突き刺さり、動きを封じる。いまだ、と思ってアデリナは後退るように階段を登るが……
そこで後ろ足を踏み外した。
降りるときに転んだあそこだ、と思ったのもつかの間、アデリナはからだが猛烈な速度で沈むのを実感した。すかさず青銅の剣が振り下ろされる。
ずぶり、と肩に刃が突き刺さる。
激痛なんてものではなかった。
全身が麻痺しそうなほど強い刺激がほとばしると、肩と腕をつなぐ何か太い糸が千切れたような感触が後を追う。怪我から先の感覚が急速に引いてゆくのを感じたが、そのまま意識も遠ざかりかけていた。
「アデリィ!!」
シュヴィリエールは歯噛みしながら、腰の小袋を取り出し、力任せに投げつけた。紐を解かれた麻袋から広がったのは、粉末状の赤錆である。
「戦士の刃、血をすする鉄の剣よ。いまこそ戦さの刻を思い出し、我が手に握られし武勇の力を紐解け!」
呼びかけると、赤錆の粉末は、無数の刃となって、陶器の兵士たちの関節を打ち砕き、崩折れながら後続のものを阻害した。アデリナを斬りつけた陶兵も破壊され、その残骸を階下に落としている。
シュヴィリエールは素早く駆け下り、階段の穴に落ちかけたアデリナを、間一髪のところで救いあげる。それから下の陶兵が追いつかないうちに、〈強化〉の魔術で抱えたまま駆け上がる。
ようやく踊り場の扉にたどり着くと、彼女は、それを力づくで開けて、中を確認してから飛び込んだ。あとから扉を引っ張って閉じると、すかさず腰の短剣を引き抜いて、土壁のあちこちに紋様を描く。魔除けの陣──退魔の〈神殿〉の、境界を構築したのだった。
だが、それで終わりではない。
シュヴィリエールはすぐさまアデリナの治癒に掛かった。傷口を診る。刃の欠片が残ってないか……部分的にある。注意深く取らなければ。
傷は思ったよりも深い。そこで彼女は鎧を外し、アデリナの傷の周囲に置いた。この鎧の内側には刻印が入っており、着ているもののからだが〈神殿〉に包まれるように工夫されている。その内部は外界の──つまりここ〈緑の礼拝堂〉にわだかまる瘴気の影響を受けずに、独自の魔術空間によって保護されるのだ。
「ああ、気を失っているのがせめてもの救いだ……」
シュヴィリエールは嘆息すると、騎士学校で習った医術を思い返す。解剖学の知識と魔術の論理を複合した医術は、応急処置として、またはそれを上回る即興の治癒の術として、さんざん教導院の導師に叩き込まれたものだった。
二度深呼吸をする。血を見るのは怖くないが、失敗したらと思うと指先が震えてしまう。とはいえ、放って置いてもアデリナは死んでしまうだろう。ならば──
「耐えてくれよ。わたしたちは、お前に託すしかないんだから……」
──少女騎士の戦いも、始まる。




