2ー4.タリム散策紀行
その日の午後、ガーランドはアデリナを連れて西区の商館に向かった。
ほんとうはガーランドがひとりで行きたかったのだが、アデリナはそろそろ部屋に詰め込まれているのが我慢ならないようだった。そして執拗に迫った結果、目立たない服装で頭巾を被ればまあなんとかなるだろう、ということになった。
『やれやれ、我ながら甘くなったもんだ』
と、ガーランドは苦笑する。
だがこれはむしろ好都合だった。ガーランドが出掛ける用事というのは、そのアデリナが持っている長剣に関してだったのだ。
部屋に残ったルートをシャラに任せ、ふたりはギルド会館を後にする。《魔女》の追っ手がかかっている可能性を考えると馬車で移動するという手もあったかもしれない。しかしここ数日魔獣騒ぎで往来が激しく、所々混雑していることからそれは断念せざるを得なかった。さいわい現在のタリムはひとでごった返しているため、その人混みにまぎれることを祈るしかなかった。
ガーランドは周囲に目を配りながら、アデリナの手を引いて歩く。
東西の街区をつなぐ橋を渡って、川沿いの小路を下った先の広場に、目的地である商館はあった。
ドリス商会、と書かれた表の看板は、この商館を保有する集団がもとは鍛冶屋の職人組合であったことを示している。いまでは騎士団御用達の武具店に様変わりしたものの、その名残りは軒先の石段の傍らに、銅像として鎮座していたのだった。
閉店と書かれた木札を無視し、中に入る。
その店内は武具の見本市であった。大小の刀剣から、穂先のさまざまな槍、戦斧や槌矛といった品々が、聖王国外の職人の手になると思わしきものまで、壁やテーブルの上に架けられ、客の手に取りやすいように配置されている。
こうした展示にアデリナが感嘆の声をあげていると、店の奥から、両脇に藁束を抱えた大男がやってきた。青年と少女の組合せを見るなり、彼は眉をしかめ、露骨にイヤそうな表情になった。
「あんちゃん、表の看板見えなかったのかい。今日はもう終いだよ」
だがガーランドは気にせず言った。
「シャラ・エヴァンズから事前に連絡があったはずだ。当館に滞在中のフネス殿に御目通りをお願いしたい」
大男は片眉をあげた。その目は見開かれ、まじまじとアデリナの持っているものを見つめていた。
「するってえと、そこの嬢ちゃんが抱えてるのが……」
「そうだ。だがあなたは見る必要はない」
眉はふたたび寄せられた。表情が忙しいひとだな、という印象をアデリナは抱いた。
「んじゃついてきな」
ぶっきらぼうに言って藁束を置くと、大男はふたりを奥に誘導した。
ドアを開け、中庭を過ぎて、ふたりはさらに奥の屋敷に入る。そのまま客間に案内されると、大男は部屋の明かりを灯す。それからしばらく待つようにと言い残して部屋を後にした。
間もなく黒いローブを羽織った、男とも女とも区別のつかない人物を連れて、大男は戻ってくる。こちらです、と恭しくテーブルに案内する様子は、その黒ローブの人物が賓客であることを暗に示していた。
しかしガーランドはこれに目を細めた。黒い頭巾を目深に被っているために、人相がわからなかったからだ。
「失礼、あなたがフネス殿か」
「いかにも」
応えた声もまた、性別を超えたような超然とした響きを持っていた。ガーランドはけげんな表情を隠しきれず、どうしたものかと言葉を探しあぐねていた。
それを察したのか、フネスは涼しい声音で笑った。
「わがまま勝手で申し訳ない。しかし私は生まれつき皮膚が弱くてな、あまり他人に見せられるものではないのだ。ここはどうか、ご容赦いただきたい」
ガーランドは黙って頷く。
フネスは大男に、退出するよう声をかけてから、あらためてふたりを見やる。そのひとみは好奇とも無関心とも言えない不可思議なまなざしを湛えていて、思わずふたりは背筋を正した。
ドアの閉まる音がして、彼は言った。
「要件はすでにシャラ殿からうかがっています。さあ、お嬢さんその手のものを」
すっと差し出された手。
アデリナはその手が火明かりでぬらりと光ったように見えて、身構えてしまった。
「リナ」
戸惑っていると、ガーランドが促した。
そのまま手渡すと、フネスは素早く白布を外し、剣の検分に入った。
「ふむ」と、ひと言。
柄を持ち、火明かりに照らしながら、刀身から剣尖にかけてじっくり目で追ってゆく。翻して、逆にたどった。そして刃に示された絡み合う二重螺旋のごとき模様をしみじみと見つめると、ほう、とため息を吐いて、フネスは剣をふたたび白布に包んだ。
固唾を飲んで、言葉を待つふたり。
「……かつてこれとよく似た剣を見たことがある。だが、それはもうずっと前に失われてしまった。これはその模造品か、同じ作者の手によるものか」
試してみよう、と言って、懐中から紙を取り出した。羊皮紙ではない。乳白色の薄葉で、細かい文字が綴られている。それはガーランドから見ても、聖王国やその近隣の言語とはまた別のものに見えた。
「これは〈古き種族〉の咒い紙。書いてあるのは上古の代に鍛冶の部族として腕をふるった、〈土蜘蛛〉の文字だ。これが私の記憶している刀剣と一致しているならば、この文字は青く光るはずだが……」
果たして、呪符の文字は赤く光った。
「これは……?」とガーランド。
「はて。贋作であれば無反応だというのに」
フネスもまた、けげんな声色になる。
「実物とは異なる。しかし類似した魔力を探知したということなのか」
「どういう……」
「説明すると長くなる。が、簡潔に申しあげれば、古代の魔術によって鍛え上げられた剣と、これはよく似ているのだよ。だからこれはきっと錆びないし、容易には折れまい」
なんですって、と驚くガーランド。
「それは失われた魔法文明の産物だと仰言るのですか?」
「いいや、ちがう。飽くまでこれは似せ物にすぎんよ。だが力は本物だ。それは古代の魔術ともども、現代にもなお強い力を発揮することだろう。飽くまで使いこなせるならば、な」
そう言って、フネスはアデリナを見やる。
そのときアデリナは彼の金色に光るひとみを目の当たりにした。心の奥底まで見抜かれそうな眼差しに一瞬ひるんだが、負けるものかと見返した。すると、フネスは笑う。
「良い目をしている。どこまでもひろがる空と海の青色だ」
唐突に褒められたので、アデリナは戸惑った。しかしフネスはガーランドに向きなおって、さらにつづけた。
「どうか護っておやりなさい。この子はあなたが予感しているよりもはるかに重い運命を担わされているようだよ」
「それは……はい、わかりました」
「うむ。そして、できれば早いうちに鞘を見つけ出しておくといい。私の知識が正しければ、その剣は鞘と一体になって初めて真の力を発揮する。いくら古代の魔術が錆びないからといって、抜き身の刃だけではいつか必ず限界が来るだろうからね。そのとき仕舞われる場所がないと、あまりにも不憫だ」
ふたりは肯いた。それで要件は終わりだった。
感謝の意を述べて、部屋を立ち去ろうとすると、フネスの声が待ったをかけた。
「その剣に名前を与えよう。いつまでも名無しというわけにはいくまいて」
彼は立ち上がり、剣を抱えたアデリナの前に歩み寄る。そして彼女と同じ目線にかがむと、そのひとみに焼き付けるように、剣の名前を告げた。
スルヴニール、と。
「これは神々よりも古き時代の言葉で、〈形見の品〉という。似せ物でありながら古代の魔術を彷彿とさせ、これを持っていたであろう君のお父さんの形見でもある。だから大切にしなさい。この剣を振るえるのは君だけだ。これはそういう風に出来ているのだよ」
アデリナは頷いた。そして彼女は、頭巾に隠されたフネスの顔を初めて直視した。人間とよく似ているが、金目で、いつも濡れたようにてらてらした肌を持っている。そしてその頰には、光の反射の都合か、鱗があるように見えた。
* * *
「あーあ、結局わからずじまいかあ」
夕暮れどき、帰路につきながらアデリナは言った。その道中は昼間のときよりは空いてはいたが、日暮れ前に街に入ろうと急ぐ旅人や馬車の往来が、少しずつ激しくなる頃合いだった。
「いや、そんなことはないさ。何も知らないままでいるよりも、ずっと有益だったよ」
「でもさあ、鞘を見つけるって、どこに?」
「どこってそりゃあ……」
と言いかけて、ガーランドは振り返る。突如として手風琴の音が聞こえてきたからだった。
音をたどった先には、広場に群がる子供たちと、旅芸人の一座のすがたがあった。噴水の傍らで笛やら手風琴やらを演奏している彼らは、みなそれぞれ原色の強い衣装をまとって他の集団とは一線を画していた。
「なんだ、ありゃ」とアデリナ。
「〈山窩〉だよ。風とともにさすらう化外の民の末裔さ」
「へえぇ、知らなかった……」
と言いながら、アデリナはそのうちのひとりに目を吸い寄せられていた。赤銅の髪をおさげにした、まるで湖のほとりで竪琴でも弾きそうな身なりをした女である。
ガーランドは気づかず、淡々と語る。
「まあ『叙事詩』にもその由来はあまり語られていないからね。呼び名も比較的さいきんのものだと聞いている。だけど、深く関わらない方がいい。彼らは女神にまつろわぬ支族なのだから……」
赤髪の女は長い横笛を吹いていた。その佇まいは、この街の喧騒の中にあってもなお淋しそうに見えた。奏でる音は、さながら虚空に飛翔するタカの鳴き声のように鋭く、強くアデリナの心を貫いた。
「……リナ?」
過ぎ行く景色、もう帰ることができないメリッサのことがふいに思い出される。
遠くに霞む〈雲霧山脈〉の峰が、澄んだ青空が、風に遊ぶ折々の鳥たちが、そして足元から香る土と花の匂いが、鮮やかに甦る。けれどもそれは幻だ。とうの昔に終わった夢だ。しかし終わらないでほしいと思った。きっといつまでも続くものだと思っていた。
「リナ、聞いてるかい?」
ハッと我に返る。あるのは石の建物と、赤く染まった黄昏と、ひとの営みの臭いだった。これが現実、これがアタシのいまいるところ。そう改めて、思い知らされた。
見上げると、ガーランドがこちらを見ている。片手をつないで、ギルド会館の方にからだを向けながらだった。
「明日は早くに出発するから、今日はもう休もう。王都まではまだまだ掛かるからね」
「……うん」
だがアデリナは、ガーランドに手を引かれながら、思わず振り返る。旅芸人の一座の周囲は楽しそうだったが、アデリナだけはそこに悲しみを聞き取っていた。
──あのひとたちも、旅から旅で、淋しいのだろうか。そんなことを思わずにはいられなかった。
アァ、とカラスの鳴き声がする。見れば街の遠景、広場の向こうに沈む日に、黒い影の群れが飛んでいたのだった。




