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第2版  作者: 八雲 辰毘古
魔女の騎士篇
13/57

2ー2.密偵たちの集い

‪‪ ガーランドが階下に降りると、長卓に面した椅子に、同僚のすがたを認めた。その男は亜麻色の髪を持ち、きっと体裁を整えればさぞ美男子であったことだろう。しかし手入れの悪さと無精(ぶしょう)ひげが、その素質を台無しにしていたのだった。‬

‪‪ しかも行儀が悪い。頬杖をつき、右足をもう一方の膝に乗せているその様子は、さながらごろつきのようであった。おまけに着ている外套は赤茶けた襤褸(らんる)と成り果てて、心なしか疲労を催す臭いをすら発していた。‬


‪‪ 彼はガーランドのすがたを認めると、その(みどり)のひとみを不敵に輝かせた。そして互いに目を合わせると、口角をあげて、‬


‪「よォ、ガーランド。こっちだこっち」‬


‪‪ と手招きをした。‬

‪‪ それに応じたガーランドは、男の風体を見て(まゆ)をひそめたが、‬


‪「久しぶりだな、デニス」‬


‪‪ と返事をすると、隣りの椅子に腰かけた。‬

‪‪ デニスと呼ばれた男が、身を乗り出す。‬


‪「シャラから聞いたぜ、さいきん子守の趣味に目覚めたんだってな?」‬

‪‪ 聞こえてたぜ、と親指で上階を示す。‬


‪「余計なお世話だ。第一その身なりはなんなんだ。もう少し……」‬

‪「ああ、言いたいことはわかってる。もう少し身だしなみを良くしろ、てことだろう?‪ だがな、お前は生真面目すぎるんだよ。婚約者がいるからって堅苦しいことを言うんじゃない」‬

‪「ちがう。貴様が頓着(とんちゃく)しなさすぎなんだ」‬

‪「はいはァい、ふたりとも喧嘩はほどほどにお願いしますねー。ひさびさの同僚相手にその仲良しっぷりなら先が思いやられるよ、ほんと」‬


‪‪ そこにシャラが割って入る。そのまま、葡萄(ぶどう)酒でもいかが?‪ と付け足した。どんと長卓に置かれた右手には、ずんぐりと丸みを帯びた緑色のビンがあった。その中で赤い液体がかすかに揺れる。‬

‪‪ しかし彼女は、デニスの臭いに気づいたのか、鼻をつまんで、‬


‪「デニス。あんた、やっぱ臭い。そのボロ布さっさと捨ててこい。なンだったらうちで処理するから」‬


‪‪ と、デニスの反応を待たずにその上着を()がしてしまった。中から現れた黒い旅衣もすっかりくたびれていて、数日間洗っていないことは見て取れた。‬

‪‪‪ うわあ、とふたりはげんなりする。‬

‪‪ デニスは苦笑しながら、手を振った。‬


‪「悪かった悪かった。だがこれからすぐに出るんで、見逃してもらえねぇかい」‬

‪「は?‪ 見逃すわけが……」‬

‪「ほんとうならな、事態は一刻を争うんだ。こちとら身繕いしてるヒマも惜しいんだよ」‬


‪‪‪ その口調に、シャラは渋々黙った。そして状況を察した彼女は、杯を置いたのちに、肩をすくめて席を外したのだった。‬

‪‪ それを見届けたデニスは、葡萄酒を注ぎ、手早く一杯飲み干した。爽快なひと息を吐いて、人心地ついたころに、ようやく真剣な面持ちでガーランドに向きなおる。‬


‪「いいか、ガーランド。ここ数日奴らの動きが激しくなっている。ここいら一帯の魔獣の出没が激しくなってきているし、それに合わせて不審な輩の目撃情報も増えてきた……そんな中にお前の呼び出しだ」‬


‪‪ これはどういうことだ?‪ と翠のひとみが鋭くなった。殺気にも似た、剣呑なまなざしである。その苛立ち方は、これから始まろうとする騎馬試合(トーナメント)の観戦を邪魔されたというような、不穏なものがあった。‬

‪‪ ガーランドはそこに秘められた、デニスの物見高い気質を充分に理解していた。危険な花火の臭いをいち早く嗅ぎつけ、誰よりも早くその爆発を遠目で観て愉しもうとする男の──そしてそれゆえに〈星室庁〉の密偵に抜擢(ばってき)されたその嗅覚を、である。‬


‪‪ だからガーランドは切り出した。‬

‪‪ ──エスタルーレが魔術結社〈イドラの魔女〉から離反していたという話は、知っているか?‪ と。‬


‪‪ デニスは目を(みは)っていた。‬


‪「エスタルーレ……あの〈五姉妹〉のひとり──〈姫巫女〉が?」‬


‪‪ 確かなのか、と尋ねる。‬

‪‪ ガーランドは(うなず)いた。‬


‪‪ 彼らが集めた情報によると、〈イドラの魔女〉は五人の女性がその中核となっている。彼女たちは互いを「姉妹」として呼び合うが、確認できた範囲では、血のつながりがあるわけではないらしい。‬

‪‪ しかしその存在は強い印象を残した。〈イドラの魔女〉の破壊活動が進行するにつれて、その中核構成員としての五人の存在は、いやでも意識されていったのだ。‬

‪‪ やがて彼女たちの振る舞いは功を奏し、ひとびとの記憶に〈五姉妹〉として残される。以来この呼び名が定着し、かつ、他の《魔女》と区別するためにそれぞれに二つ名まで()せられたのだった。‬


‪‪ 例えば、ヴェラステラは〈氷月(ひづき)の乙女〉──これは氷のように青く輝く満月のもとで、その力を最大限に発揮することからそう呼称されたものである。‬

‪‪ 似たような関連付けでエスタルーレは〈姫巫女(ひめみこ)〉と呼ばれていた。というのも、彼女自身は〈イドラの魔女〉の他の姉妹から護られる存在でありながら、しばしば《魔女》のあいだで行われる儀式の中心に立っていたからである。この人物の能力はいまだわからないことが多いものの、きっと〈イドラの魔女〉の中で非常に重要な役割を果たしているに違いない、と目されていた。‬


‪‪ その重要人物が離反していた、という。‬

‪‪ これは耳を疑う大事であった。‬


‪「そうか……だからあいつらあんなに……」‬

‪「いや、離反じたいは十数年前にすでにあったらしい。だがきっと無関係ではない」‬

‪「お前どこでそんな情報を……」‬


‪‪ と、言いかけて、デニスは不敵に笑った。‬


‪「ははン、さては例のガキどもは……」‬

‪「そうだ。そして彼女たちは、どういうわけなのかふたりを狙っていた……」‬

‪「おれを呼び出して正解だったな」‬


‪‪ 嬉しそうににやつくデニス。‬

‪‪ こういう話題になると、もう止まらない。‬


‪「ひとついいことを教えてやるよ」‬

‪‪ と、彼は脚を組みなおして、言った。‬

‪‪ 突いていた頬杖を外し、両手を左の膝に乗せる。その姿勢でガーランドに正対し、真摯(しんし)な面持ちで語りかける。‬


‪「おれはずっと東部辺境で奴らの行動を追っていた。何人もの部下を用い、ときには破壊活動の一部をあえて無視してまで観察していた。そこでわかったことがある──奴らは《記憶》を、それも〈魔王〉に関するものを片っ端から掻き集めてやがる。伝承だとか、書物だとか、遺物だとかをな」‬


‪‪ 〈魔王〉──とガーランドは反応する。‬

‪‪ その名称は『神聖叙事詩』・開闢(かいびゃく)の章に記された冥府(よみ)の支配者の呼び名である。ひとの悪を為す根源であり、また業魔(ごうま)の生みの親とも言い伝えられるその闇黒(あんこく)の覇者のことは、しかし上古の昔に消え去った、文字通り神話の中の存在である筈だった。‬

‪‪ その〈魔王〉の《記憶》とはいったい──と、ガーランド氏がけげんに思ったとき、彼の脳裡に、ヴェラステラの言葉が(よみがえ)った。‬


‪『‬この子の《記憶》に用が‪』……『ウソでしょ、‬《記憶》が見つからない‪』……『‬お義姉(ねえ)様はわたしたちの大切なモノをそいつらに‪』……‬


‪「まさか……奴らの狙いは……!」‬

‪「察しがいいじゃねえか。恐らく奴らが追いかけているのは、ガキども──いや〈姫巫女〉が離反したときに持ち逃げした《記憶》ってヤツだとおれは思うぜ」‬


‪‪ ガーランド氏は頷いた。‬

‪‪ そしてさらに、彼の記憶から魔女:ユリアの遺した言葉──魔術の原理に関する知識が再生された。‬


‪『‬昔あったことをもう一度見るために、魔なる(すべ)として体系化されたもの……‪』‬

‪『‬それは小さな個人的な思い出でもいいし、なんだったら──お前さんの言葉を借りるなら、「過去の偉大なる導師たち」のことでもいい‪』‬


‪ ──ならば、神話の時代に君臨したという、闇黒の覇者であり、冥府(よみ)の支配者でもある、諸悪の根源に()すあの〈魔王〉のことならば?‬


‪ ガーランドはいま、〈イドラの魔女〉の壮大なる計画の本質を直観した。そしてそのことを手短かにデニスに伝えると、彼はますます愉快そうな、にやけた表情になった。‬


‪「そいつは確かに辻褄(つじつま)が合うが、途方もねえ話だな。〈魔術〉が《記憶》を再現するっていう仕組みがほんとうなら、果たしておれたちはあのガキをどう始末するべきなのか、てことになっちまうな……」‬

‪「その辺をもう少し調べてほしい。と、言いたいところだが、お前のその様子だと答えは出ているようだな」‬

‪「ああ、おれが職務に忠実だったらガキどもを殺す。追いかけてるってことは、つまりそういうことだろう?」‬

‪「だが、しかし彼らは罪のない子どもだぞ」‬


‪ それに……と戸惑いながらもガーランドは付け足す。彼はまだユリアの言葉を忘れていない。正確にはエスタルーレが残した言葉──すなわち、王都に何か重大な秘密があることを。‬

‪ だが彼はこのことを話すのを渋った。これはひょっとすると、〈魔女戦争〉どころではない大事に関連するのではないか、という予感が()ぎったのだ。‬


‪ だからあえてこう言った。‬

‪ まだあの子たちは生かす価値がある、と。‬


‪「はン、好きにするといい。おれにとやかく言う権限はねえからな。まあしかし、マジで計画を台無しにするつもりなら、〈姫巫女〉は自殺でもすりゃよかったんだ。迷惑な置きみやげなんかしやがって……」‬


‪ 言いながら、デニスは席を立った。‬

‪ どこへ行くんだ、と問うガーランドに、彼は半眼で()め付けた。‬


‪「言ったろ。余裕がねぇんだ。おれはさっさと持ち場に戻って、お仕事の続きなんだよ」‬


‪ そのままデニスはギルド会館の出口に向かおうとした。‬

‪ ところが、彼は三歩歩いた地点で立ち止まり、あらためてガーランドの方を向いた。その翠のひとみは、すでに〈星室庁〉の密偵の職務を帯びた、冷徹なものになっていた。‬


‪「もうひとつ。これは()()()()()の忠告なんだが……お前、あんまりガキに肩入れするなよ。万が一のとき、手が鈍ったらそれこそコトだぜ」‬


‪ ガーランドの表情がこわばった。‬


‪「……わかってる」‬

‪「いい表情だな。初めてひとを殺したときでも思い出したかい」‬


‪ 応えはない。‬

‪ デニスはそれを気にせず、ゆっくりとした足取りで、ギルド会館をあとにした。ただひと言、誰にも聞こえない言葉をつぶやいて。‬


‪「花火が楽しめないようじゃあ、この世界は生き残れないぜ、ガーランドの坊ちゃんよ」‬

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