2ー2.密偵たちの集い
ガーランドが階下に降りると、長卓に面した椅子に、同僚のすがたを認めた。その男は亜麻色の髪を持ち、きっと体裁を整えればさぞ美男子であったことだろう。しかし手入れの悪さと無精ひげが、その素質を台無しにしていたのだった。
しかも行儀が悪い。頬杖をつき、右足をもう一方の膝に乗せているその様子は、さながらごろつきのようであった。おまけに着ている外套は赤茶けた襤褸と成り果てて、心なしか疲労を催す臭いをすら発していた。
彼はガーランドのすがたを認めると、その翠のひとみを不敵に輝かせた。そして互いに目を合わせると、口角をあげて、
「よォ、ガーランド。こっちだこっち」
と手招きをした。
それに応じたガーランドは、男の風体を見て眉をひそめたが、
「久しぶりだな、デニス」
と返事をすると、隣りの椅子に腰かけた。
デニスと呼ばれた男が、身を乗り出す。
「シャラから聞いたぜ、さいきん子守の趣味に目覚めたんだってな?」
聞こえてたぜ、と親指で上階を示す。
「余計なお世話だ。第一その身なりはなんなんだ。もう少し……」
「ああ、言いたいことはわかってる。もう少し身だしなみを良くしろ、てことだろう? だがな、お前は生真面目すぎるんだよ。婚約者がいるからって堅苦しいことを言うんじゃない」
「ちがう。貴様が頓着しなさすぎなんだ」
「はいはァい、ふたりとも喧嘩はほどほどにお願いしますねー。ひさびさの同僚相手にその仲良しっぷりなら先が思いやられるよ、ほんと」
そこにシャラが割って入る。そのまま、葡萄酒でもいかが? と付け足した。どんと長卓に置かれた右手には、ずんぐりと丸みを帯びた緑色のビンがあった。その中で赤い液体がかすかに揺れる。
しかし彼女は、デニスの臭いに気づいたのか、鼻をつまんで、
「デニス。あんた、やっぱ臭い。そのボロ布さっさと捨ててこい。なンだったらうちで処理するから」
と、デニスの反応を待たずにその上着を剥がしてしまった。中から現れた黒い旅衣もすっかりくたびれていて、数日間洗っていないことは見て取れた。
うわあ、とふたりはげんなりする。
デニスは苦笑しながら、手を振った。
「悪かった悪かった。だがこれからすぐに出るんで、見逃してもらえねぇかい」
「は? 見逃すわけが……」
「ほんとうならな、事態は一刻を争うんだ。こちとら身繕いしてるヒマも惜しいんだよ」
その口調に、シャラは渋々黙った。そして状況を察した彼女は、杯を置いたのちに、肩をすくめて席を外したのだった。
それを見届けたデニスは、葡萄酒を注ぎ、手早く一杯飲み干した。爽快なひと息を吐いて、人心地ついたころに、ようやく真剣な面持ちでガーランドに向きなおる。
「いいか、ガーランド。ここ数日奴らの動きが激しくなっている。ここいら一帯の魔獣の出没が激しくなってきているし、それに合わせて不審な輩の目撃情報も増えてきた……そんな中にお前の呼び出しだ」
これはどういうことだ? と翠のひとみが鋭くなった。殺気にも似た、剣呑なまなざしである。その苛立ち方は、これから始まろうとする騎馬試合の観戦を邪魔されたというような、不穏なものがあった。
ガーランドはそこに秘められた、デニスの物見高い気質を充分に理解していた。危険な花火の臭いをいち早く嗅ぎつけ、誰よりも早くその爆発を遠目で観て愉しもうとする男の──そしてそれゆえに〈星室庁〉の密偵に抜擢されたその嗅覚を、である。
だからガーランドは切り出した。
──エスタルーレが魔術結社〈イドラの魔女〉から離反していたという話は、知っているか? と。
デニスは目を瞠っていた。
「エスタルーレ……あの〈五姉妹〉のひとり──〈姫巫女〉が?」
確かなのか、と尋ねる。
ガーランドは肯いた。
彼らが集めた情報によると、〈イドラの魔女〉は五人の女性がその中核となっている。彼女たちは互いを「姉妹」として呼び合うが、確認できた範囲では、血のつながりがあるわけではないらしい。
しかしその存在は強い印象を残した。〈イドラの魔女〉の破壊活動が進行するにつれて、その中核構成員としての五人の存在は、いやでも意識されていったのだ。
やがて彼女たちの振る舞いは功を奏し、ひとびとの記憶に〈五姉妹〉として残される。以来この呼び名が定着し、かつ、他の《魔女》と区別するためにそれぞれに二つ名まで付せられたのだった。
例えば、ヴェラステラは〈氷月の乙女〉──これは氷のように青く輝く満月のもとで、その力を最大限に発揮することからそう呼称されたものである。
似たような関連付けでエスタルーレは〈姫巫女〉と呼ばれていた。というのも、彼女自身は〈イドラの魔女〉の他の姉妹から護られる存在でありながら、しばしば《魔女》のあいだで行われる儀式の中心に立っていたからである。この人物の能力はいまだわからないことが多いものの、きっと〈イドラの魔女〉の中で非常に重要な役割を果たしているに違いない、と目されていた。
その重要人物が離反していた、という。
これは耳を疑う大事であった。
「そうか……だからあいつらあんなに……」
「いや、離反じたいは十数年前にすでにあったらしい。だがきっと無関係ではない」
「お前どこでそんな情報を……」
と、言いかけて、デニスは不敵に笑った。
「ははン、さては例のガキどもは……」
「そうだ。そして彼女たちは、どういうわけなのかふたりを狙っていた……」
「おれを呼び出して正解だったな」
嬉しそうににやつくデニス。
こういう話題になると、もう止まらない。
「ひとついいことを教えてやるよ」
と、彼は脚を組みなおして、言った。
突いていた頬杖を外し、両手を左の膝に乗せる。その姿勢でガーランドに正対し、真摯な面持ちで語りかける。
「おれはずっと東部辺境で奴らの行動を追っていた。何人もの部下を用い、ときには破壊活動の一部をあえて無視してまで観察していた。そこでわかったことがある──奴らは《記憶》を、それも〈魔王〉に関するものを片っ端から掻き集めてやがる。伝承だとか、書物だとか、遺物だとかをな」
〈魔王〉──とガーランドは反応する。
その名称は『神聖叙事詩』・開闢の章に記された冥府の支配者の呼び名である。ひとの悪を為す根源であり、また業魔の生みの親とも言い伝えられるその闇黒の覇者のことは、しかし上古の昔に消え去った、文字通り神話の中の存在である筈だった。
その〈魔王〉の《記憶》とはいったい──と、ガーランド氏がけげんに思ったとき、彼の脳裡に、ヴェラステラの言葉が甦った。
『この子の《記憶》に用が』……『ウソでしょ、《記憶》が見つからない』……『お義姉様はわたしたちの大切なモノをそいつらに』……
「まさか……奴らの狙いは……!」
「察しがいいじゃねえか。恐らく奴らが追いかけているのは、ガキども──いや〈姫巫女〉が離反したときに持ち逃げした《記憶》ってヤツだとおれは思うぜ」
ガーランド氏は頷いた。
そしてさらに、彼の記憶から魔女:ユリアの遺した言葉──魔術の原理に関する知識が再生された。
『昔あったことをもう一度見るために、魔なる術として体系化されたもの……』
『それは小さな個人的な思い出でもいいし、なんだったら──お前さんの言葉を借りるなら、「過去の偉大なる導師たち」のことでもいい』
──ならば、神話の時代に君臨したという、闇黒の覇者であり、冥府の支配者でもある、諸悪の根源に坐すあの〈魔王〉のことならば?
ガーランドはいま、〈イドラの魔女〉の壮大なる計画の本質を直観した。そしてそのことを手短かにデニスに伝えると、彼はますます愉快そうな、にやけた表情になった。
「そいつは確かに辻褄が合うが、途方もねえ話だな。〈魔術〉が《記憶》を再現するっていう仕組みがほんとうなら、果たしておれたちはあのガキをどう始末するべきなのか、てことになっちまうな……」
「その辺をもう少し調べてほしい。と、言いたいところだが、お前のその様子だと答えは出ているようだな」
「ああ、おれが職務に忠実だったらガキどもを殺す。追いかけてるってことは、つまりそういうことだろう?」
「だが、しかし彼らは罪のない子どもだぞ」
それに……と戸惑いながらもガーランドは付け足す。彼はまだユリアの言葉を忘れていない。正確にはエスタルーレが残した言葉──すなわち、王都に何か重大な秘密があることを。
だが彼はこのことを話すのを渋った。これはひょっとすると、〈魔女戦争〉どころではない大事に関連するのではないか、という予感が過ぎったのだ。
だからあえてこう言った。
まだあの子たちは生かす価値がある、と。
「はン、好きにするといい。おれにとやかく言う権限はねえからな。まあしかし、マジで計画を台無しにするつもりなら、〈姫巫女〉は自殺でもすりゃよかったんだ。迷惑な置きみやげなんかしやがって……」
言いながら、デニスは席を立った。
どこへ行くんだ、と問うガーランドに、彼は半眼で睨め付けた。
「言ったろ。余裕がねぇんだ。おれはさっさと持ち場に戻って、お仕事の続きなんだよ」
そのままデニスはギルド会館の出口に向かおうとした。
ところが、彼は三歩歩いた地点で立ち止まり、あらためてガーランドの方を向いた。その翠のひとみは、すでに〈星室庁〉の密偵の職務を帯びた、冷徹なものになっていた。
「もうひとつ。これは友人としての忠告なんだが……お前、あんまりガキに肩入れするなよ。万が一のとき、手が鈍ったらそれこそコトだぜ」
ガーランドの表情がこわばった。
「……わかってる」
「いい表情だな。初めてひとを殺したときでも思い出したかい」
応えはない。
デニスはそれを気にせず、ゆっくりとした足取りで、ギルド会館をあとにした。ただひと言、誰にも聞こえない言葉をつぶやいて。
「花火が楽しめないようじゃあ、この世界は生き残れないぜ、ガーランドの坊ちゃんよ」




