2ー1.鞘のない剣
──やはり、避けられない事態だった。
ぴんと糸を張り詰めたような緊張が、ギルド会館二階の空気を支配している。それはむしろ殺気と言っていいほど切迫していて、いまにも爆発するか否かの瀬戸際であった。
この状況を構成するのは三人だ。
ひとりはガーランドである。彼はギルドの紋章──赤い壺と、交差した錫杖の刺繍を肩に刻んだ赤いコートを着ており、腕組みをしつつ、しかめ面をしている。《魔女》との戦いで傷ついた右腕がまだ痛むのか、無意識的に彼はその関節部分をさすっていた。
ふたり目は蜂蜜色の髪をした少女:アデリナだ。そのクセのある髪の毛は、いま現在まとっている赤いチュニックによく似合う。腕組みをしながらむすっと壁の方を見据えるその佇まいは、さながら上方の町娘のようでもあった。
そして最後の三人目である黒髪の少年:ルートは、〈学童〉の藍色のローブの裾をぎゅっと両手で握りしめて、こちらを睨みつけている。壁際に立ってそうしている様子は、威嚇する小動物のように愛らしく、近寄るべくもない毅然とした美しさをも湛えていた。
「どうしても……してくれないのかい?」
恐る恐る、ガーランドは呼びかける。
説得を試みようとする、慎重な声だ。
だがルートは身を固くして、「イヤだ」と応える。なんども首を横に振る様子からは、どんな交換条件をも断固として受け付けぬ強い意志を感じられた。
「なあルゥ、ここはアタシらのためだと思って、ガマンしてくれないか……?」
「リナは黙っててよ! ボクは絶対イヤだからね!」
ルートの声はもはや悲鳴だった。
心なしか、そのひとみは青藍石が溶け出したかのように潤んでいる。
「なら仕方ない。力付くでさせてもらう」
「えっ、ちょ、待って、ねえリナまで!」
がしっと肩をつかむガーランド。逃げ場を完全に失ったルートが目にしたのは、味方だと信じていた双子の片割れが手にしたあるものだった。
にやりと凄みのある笑みを浮かべて、アデリナはルートに迫る。ひっ、と声をあげ、拘束を解こうとじたばたと足掻くものの、〈星室庁〉の密偵相手にはびくともしない。
「イヤだ……イヤだ……」
泪を浮かべながら、譫言のように言う。そしてアデリナの持つそれがルートの顔に影を差したとき、ついに彼は堪えきれずに大声で叫んだのだった。
「女装なんてイヤだぁぁあああ!!」
* * *
それからしばらくすると、見目麗しい少女がもうひとり出来上がっていた。
「おー、やっぱり似合うじゃんか……」
アデリナは、クセになった毛先をいじりながら、そう言った。その青いひとみはまじまじとルートに見入っており、心なしか、まなざしには羨望すら混じっていた。
対するルートはもじもじと顔を赤らめながら、我が身を抱くように身体を縮こまらせている。藍染めのチュニックの裾を握っているその様子が、かえって彼を、花も恥じらう乙女のように見せてしまっていた。
「なんでボクがこんなことしなきゃなんないのさっ!!」
視線に耐えきれず、喚き出すルート。
「仕方ねーだろ。学童のローブじゃ目立つし、もともと丈も合ってなかっただろうが」
「でもボクは男だ! 男物の服にすればいい話じゃないか!」
「うるせーな! そっちの方が板に付いてるくせにゼータクいうな!」
「板につくなんて粋な言い回ししてんじゃないよ、ひらたいいたのくせに!」
「あンだとゴルァ?!」
「あー、もしもしふたりとも?」
不穏な方向に流れ出す会話に、ガーランドは大人として待ったを掛けようとした。しかし、頭に血が上ったアデリナと、理不尽に怒りを募らせるルートには、むしろ逆効果だった。
「「ガーランドさんは黙ってて!」」
と同時に怒鳴られ、黙るほかなかった。
あーだこーだと、こぶし混じりに口論を繰り広げるふたりを尻目に、やれやれと首を振って、ガーランドは、窓の外を見やる。そこから見える青空は高く、秋口に差し掛かった頃合いの澄んだ様相を見せていた。
──ここは、タリムの街。
聖王国の東部にある川沿いの都市だ。
窓から見えるその川は、レダ川といい、ずっと下ると大河アンカリルに合流する。王都近隣の穀倉地帯をうるおすこの大河は、同時に、聖王国の物資を輸送する巨大な水路の役割も果たしている。
それゆえタリムは聖王国東部における流通の要として、物品を商うひとびとで賑わう。いくつかの馬宿を経てたどり着いたこの街で、一行はこれからの用意を兼ねて二、三日留まっていたのである。
そのひとつが「変装」であった。
王都までの道のりはまだまだ遠い。
ガーランド氏の公算によれば、この地域からあと十日ほど掛かるのだという。しかし、かの〈氷月の乙女〉ヴェラステラの残した不吉な言葉を待つまでもなく、《魔女》側は決してこれを見逃してはくれないだろう。
その目をくらませるために、彼らはギルドの協力を得て商人に扮装することを考えた。ただしそれだけでは足りない、とガーランドが頼った知人の、念を入れた結果がこの有り様だった。
「ていうか、だいたいねぇ、これを考えたガーランドさんの知り合いってほんと悪趣味だよっ、信じられない!」
「あーその辺に関してはアタシも同意見だ。似合いすぎてこっちもヤな気分だよッ!」
ガーランドはため息を吐いた。
「そろそろふたりとも気が済んだかな……」
そう言いかけたそのときだった。
大きな音を立てて扉が開け放たれ、そこから栗色の髪をした女性が割り込んできた。
その髪は後頭部の高いところで結い上げられ、どこか垢抜けた印象を受ける。くるぶしまで届きそうな長いスカートをひるがえすその佇まいは、女性的というよりはむしろ男勝りな女将といった風態だ。
「うるせェよ、ガーランド! 下の広間まで騒ぎが聞こえンじゃねえか!」
と怒鳴り込んだ彼女は、着替えの済んだルートとアデリナを見やると、急に目を輝かせて、
「ああ、やっぱりうちの思った通りだよ。この子たちきちんと身なりを整えたらこんなに可愛くなるンだからね」
と、羽交い締めにするようにふたりを抱擁したのだった。
げんなりするアデリナとルート。
ガーランドはというと、目も当てられないとひたいに手を当ててそっぽを向いている。しかしすぐに呆れまじりの表情で、
「……で、手配は済んだのか、シャラ?」
シャラと呼ばれた女性は、それがねェ、と渋った様子を見せた。
「レダ川付近に魔獣が出るって話、あんた知ってるかい? 二、三日前から急にあちこちで出没するようになっててね。なンでも輸送船を沈めるデカいのまでいるらしくって、出航は見合わせだって」
そんな、とルートの口から漏れる。
というのも、ガーランドの計画では、水路を用いた経路を考えていたからだった。
もともと秋は旅に向いている季節だ。
地方にも依るが、アストライアの秋は気候がおだやかで、乾いた心地よさがある。そのため街道の整備状況を気にすることなく旅ができるし、風もよく吹くために、河川を通じた物資の輸送も盛んに行われる。その中には王府に送る租税もまた含まれていた。
ガーランドとふたりは、その租税収穫物を運ぶギルドの輸送船に便乗して、大河アンカリルを下る予定だった。
しかしその川沿いに魔獣が出没し、出航を見合わせるほどであるならば、予定通りの経路を取ることは難しくなる。
「辺境の騎士団が出動してるから、一週間近く待ってみればなンとかなるかもしれない……どうする?」
「いや、気持ちはありがたいが、あんまり一箇所に長居はしたくない」
「まァ、あんたの仕事柄そうなるよね。なら決まり。王府行きの隊商と一緒になれるように手配しておく」
「すまない、助かる」
「なァに、あんたたちの組織とは商売柄長い付き合いだから」
シャラはそう言って、部屋を出ようとした。が、すんでのところで踏みとどまって、振り返る。
「あ、そうだガーランド。例の件、アデリナちゃんが持ってたそこの長剣だけど……」
と言ってあごで示したのは、部屋の隅に吊るしてある長剣だった。
その柄頭は金色だが、柄そのものは黒く、十字鍔にいたって再び金色になる。そこに刻み込まれた蔦模様の細工は見事なものだったが、それ以上に目を惹くのは中央にかがやく赤い宝石だ。妖しくも力強い光が籠っている。
かといって単に装飾用の剣、というわけでもない。剣身そのものはどこにでも見かける両刃だったが、独特の波打った模様が浮き上がっており、いつかの時代の名匠の手によると考えられた。
しかしこの剣には問題があった。鞘がないのだ。単に鞘がないというのであれば作ればいいだけの話であるが、どういうわけか、即席のそれでは鞘の方が壊れてしまう。シャラの薦めでギルドが保管していたものもいくつか使ったが、結果は同じだった。
いまは白布で包んで、それらしく刃を仕舞ってあるものの、どうしてもこればかりは隠しようがない。彼らを追いかける側としてはこれ以上の目印はないだろう。扮装するものとしてギルド商人を選んだのは、単なる移動手段の都合だけではなく、この装飾された剣の隠れ蓑を欲したからでもあった。
「うちの知り合いにサ、こういうのに詳しいヤツがいるンだよ。今日たまたまこっち来てるみたいだから、あとで調べてもらうってのはどォ? どんな業物なのか、うちも興味あるし……」
「ちょうどよかった。こちらからも頼もうかと思っていたんだ。助かるよ」
ルートの肉体を通じて引き抜かれたその剣は、誰がどう見ても尋常の刀剣ではあり得ない。じっさい鞘を受け付けないそれは、過去になんらかの因果を背負った魔術的な品であると目される。
だが、ガーランドの記憶にはこの剣に関する知識がない。したがって、こうした物品の鑑定を頼める人脈へのつてが欲しかった。その面においても、彼はギルドと連携を取ることが適切な手段だと考えていたのだった。
そんな深謀遠慮などつゆ知らず、シャラはにやりと笑って、言う。
「こちとらそれが商売だからな。ンじゃま、これからも我がギルド評議会と、その一支族たるエヴァンズ商会をヨロシク!」
手配はこっちでやっとくからー、と笑顔で付け足して、シャラは階下に去った。さながら嵐でも通過したあとのような静けさが、部屋の中には残った。
ふう、とため息を吐いたのはルートだ。
「ボクあのひとニガテだ……」
「同感……」
アデリナもぐったりして頷いた。
ガーランドは苦笑した。
「まあ、そう言うな。アレでもギルド支部の長を務める凄腕なんだ。おかげで私たちの旅路もずっと楽なものにできる」
「でもさー、」
と言いかけたときだった。
ふたたび扉が開いて、シャラが入ってくる。ところが先ほどとは打って変わり、その表情は険しい。
その変わりようを見て、ふたりはぎくりとした。盗み聞きされていたのかと思ったのだ。しかし数秒も経たずに、この険しさは怒りとは違う、真剣な話をするときのものだと気づいた。
「ガーランド、すぐに階下に降りてくれ」
あいつが来た、とシャラは言った。
その言葉に、ガーランドは無言で頷いたのであった。




