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第2版  作者: 八雲 辰毘古
旅立ち篇
11/57

続.果てなき道の始まり

 青く輝く月が、傾き始める頃──

 街道から少し離れた丘の上で、ヴェラステラは、ぼんやりと腰をおろして、遠くを眺めていた。彼女はずっと前からここに居場所を決めて、アデリナたち一行が見えなくなるまで時間が経つに任せていた。


 と、そのとき……


「なんだ、ここにいたのかヴェラ」


 背中から呼びかける声があった。

 けれども応える気力がなく、しばらくの間黙って無視しようとヴェラステラは考えた。すると、声の主は近寄って、その肩に手を当てた。

 ──心が凍てつきそうなほどに、冷たい。

 怒っているのだ、とすぐにわかった。

 だから、しぶしぶヴェラステラは振り返った。白銀(しろがね)の髪に、凛々(りり)しい目鼻立ちが、こちらを見ている。紫水晶(アメシスト)のひとみが、鏡のようにヴェラステラの顔を映し出している。


「……イシュメル義姉(ねえ)さま」

「ここで何をしているんだ」


 冷たい炎のような語気で、イシュメルは問いかける。それはあらゆるウソを拒絶し、ひとを極寒(ごっかん)の地で丸裸にするような冷徹さが秘められていた。


「逃げて……きたのですわ」

「ほほう。エスタの子供たちはそれほどまでに手強かったのか」

「ええ。〈星霊石〉の居場所もわかりましてよ。やはりお義姉(ねえ)様が持ち出して、あいつらの《記憶》の中に隠していたのよ」


 これはほんとうのことだったから、なめらかに言葉が出てくる。

 それを見て、イシュメルは、ウソを()いているわけではないと合点した。


「しかし()せんな……せっかく手助けまでしてやったのに、そんなザマでは、(おお)義姉(あね)様に申し訳が立たんぞ」


 そしてイシュメルは、どさり、と土嚢(どのう)か何かのように、肩の荷を降ろした。

 ユリアさんの亡き骸だった。

 灰色のひとみは閉じられていたが、その胸には鋭い一撃を受けた痕が、紅くにじんで残っていたのだった。


()ったのね……哀れなおばあちゃん」

「哀れんだところで仕方あるまい。われわれはこの犠牲を乗り越えてでも、やらねばならないことがあるのだからな」


 そう言って、イシュメルは遠くを見る。

 切れ長のひとみは鋭く大気を切り裂き、月明かりに暗く霞んだ夜の彼方を見据える。そこには歩き出した三人のすがたが認められたが、いまから追いかけるにはあまりにも遠すぎる、と彼女は判断した。


「ねえ……イシュメル義姉様」

「なんだ?」

「わたしたちのやり方は……正しいのでしょうか? その……報われる日が来るのでしょうか?」


 イシュメルはヴェラステラを見た。

 その表情に(たわむ)れの様子などかけらもないことに気づくと、彼女は、ますます言葉を選び、沈黙を重ねる。しかしようやく口を開くと、凛とした響きが、場を支配した。


「何ごとも正しいことはない。しかし、一度選んだ以上、最後まで行く必要がある、と私は思っている。たしかに、これ以外の道もあったのだろうが……すでに大義姉様が失敗された道でもある。いまさら、悔いなんてものはない」

「そうですか……」


 俯いたヴェラステラ。

 しかし、イシュメルはここで、フッと緊張した表情をやわらげ、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。

 そのままヴェラステラを背中から抱擁すると、さながら母が娘にするような、優しい声でさとした。


「なに、誰しも自分の正義を疑うもの。私もかつて騎士として名を馳せたときに、よく悩んだものだよ。だから、不安になることは良いことなんだよ。その弱さは、自分のまちがいを見つける〈鍵〉になる。大切にして、忘れてはいけないよ」


 はい……と、ヴェラステラは答えた。

 淋しそうに、しかし、嬉しそうに。

 どちらともつかない心を持て余した、そんな声だった。

 その応答に満足したのか、イシュメルは立ち上がり、ふたたび冷徹の仮面を被りなおした。


「さて、帰るぞヴェラ。一旦帰還せよとの命令が大義姉様から出ている」

「……はい、戻りましょう」


 振り向いたヴェラステラ。

 その顔に、もう迷いはない。



   *  *  *



「あーあー、信じらんねェ。ガーランドさんは《魔女》に負けてボロボロだし、ルゥに到ってはさっきまで寝てやがってさ。最後はアタシがカタをつけるはめだよ……」


 アデリナは愚痴(ぐち)っていた。

 冷たい月が照らす道中である。

 整備が進んでいない辺境の街道も、人里が近づいているのか、だんだんと踏み固められた、歩きやすい道のりに変化していたのだ。

 そんな中を歩くのは、三人。

 ひとりはもちろん、アデリナだった。


 残るふたりは、返す言葉もなく、うつむきながら歩くばかりだった。そのうちガーランドは、ねじ上げられた右腕をおさえながら先頭を進み、ルートはアデリナの後方からついて歩いていた。


 戦いが終わった直後に、アデリナは、ルートを叩き起こし、ガーランドの介抱に回った。しかしガーランド氏の腕は関節に激しい痛みが残っていたため、すぐには治りそうにないと判断された。

 事態はまだ予断を許さない。

 ゆえに、すばやく行進は再開されたのだ。

 しかしルートは、アデリナから剣を引き抜かれたことに一切の記憶がないらしく、剣の出所を聞いたとたん、悲鳴を上げていた。あまりにその様子が情けなかったので、アデリナは、「バカやろう」とちからづくで黙らせるほかなかったのであるが……


「ねえ、リナ」


 背後からルートの声がする。


「なんだよ」

「ボクさ……夢を見たんだ。お父さんと逢う夢。それはすぐに見えなくなっちゃったんだけど、金髪で、青いひとみでさ。リナそっくりなんだよね。びっくりしちゃった……」


 訥々(とつとつ)と語られた内容は、アデリナに、ある奇妙な印象を残さずにはいられなかった。あのとき……自分が剣を引き抜いた瞬間に見た景色の、ちょうど対となるものを、ルートが見ていたのではないか?

 確証はなかった。けれども、そうにちがいないと彼女は確信した。それをわかっていたのか、ルートも無邪気に尋ねた。


「ねえ、リナはお母さんに会えた?」


 だから、アデリナは笑って答えた。


「ああ。母さんは、アタシが(ねた)ましくなるぐらいの、ちょーぜつ美人だったぜ」と。


 傾いた青い月も、やがては落ちて、次の夜明けを迎えるだろう。

 彼らの脚も、いずれはどこかの人里に到達して、しばしの(いこ)いを()うだろう。


 しかしいまだけは、この瞬間だけは。

 どうか消えない《記憶》であってほしい。


 ──ふたりはいつしか、そんなことを思っていたのだった。


 どこかからともなく〈忘れじの花〉が薫っている。

 彼らの旅路は、これからだった。

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