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第2版  作者: 八雲 辰毘古
旅立ち篇
10/57

10.聖剣と魔女のミュトロジア

 初めて剣を握ったとき、覚悟はあるかと父に尋ねられた。


 これは彼女の記憶の中にはなかったはずだった。彼女の生まれる前に、凶刃に(たお)れたという父との接点は、彼女の短い生涯の中にはなかったはずなのだ。

 しかし、いま彼女は自分の内側に父親を感じていた。手にしている剣の柄に、かつてこれを握っていた父親の手を感じていた。


 いいか……と父の声が、内側に響く。


『剣は、〈星々の女王〉アストラフィーネが、われわれひとに対して最後に与えたもうた道具なのだ。それは地、火、風、水の四つの〈星霊(せいれい)〉のちからを一身に受け、なべてならぬひとの想いで研がれてようやく完成される。しかし、だからこそその刃には〈業魔(ごうま)〉が宿り、ひとの呪われた運命を象徴づけている。

 ──その切っ先はもっとも良き(えにし)を断つだろう。その血に濡れた刃は悪しき宿命を結びつけるだろう。その握られた柄は新たな死者を求めて動き出すだろう』


 それでもいいのか? と父は()いた。

 父の言葉は()みるように届いた。

 けれども、アデリナはうなずいた。


「だって、これはアタシにしかできないことだろう?」


 にやりと笑うアデリナ。

 言葉だけの父親は、しかしなぜか苦笑いを浮かべて、肩をすくめたような気がした。


『やれやれ、誰に似たんだか……』

「自分の娘に向かってそんな言い方はナシだぜ。父さんとはぜんぜん喋ることはなかったけどさ、アタシは父さんのこと、ちゃあんと憶えてるんだからな──ところでさ、あんたは母さんの《記憶》だよな?」

『なんだ、ばれていたのか』

「隠せると思ったら大まちがいだって。アタシたちはユリアさんの〈(アルカ)〉とはべつに、もうひとつ魔術を掛けられていた。それはアタシたちの中に流れていた時間に、自分の思い出を書き足して、()じておく……」

『ちがうわ。それは魔術なんかじゃない』


 不意にさえぎったのは、女の声だった。

 見ると、アデリナの前にルートが立っている。そのひとみは宇宙でも眺めるかのように、深遠なまなざしを(たた)えて、アデリナの方に向けられていた。


『〈魔術〉は《記憶》を再現するもの。それはひと目で奇跡であるかのように振る舞うけれども、過去に起きたことの繰り返しでしかないのよ。でもわたしが行なったのは、そうじゃない、過去にはなかったこと。本来ならば存在しなかったはずの出来事を、あったかのように現出させる〈魔法〉。

 ──その魔法の名は、〈創話(ミュトロジア)〉。自分の思い描いた絵空事を、ほんとうに起こす禁忌(きんき)の手段……』


 アデリナは、ルートの中に、母親を見た。

 青藍石のひとみ、ツヤのある黒髪……生き写しのような美しい容姿の、その向こう側に、アデリナは母エスタルーレが宿っていることを確信したのだった。

 エスタルーレは話をつづける。


『そう、これは聖剣と魔女の〈創話(ミュトロジア)〉なのよ。剣を(たずさ)えた聖堂騎士ラストフと《魔女》エスタルーレの(つむ)いだ、家族を守る物語の魔法。あなたたちがこれからを生きるための、とびっきり強力な、ね』


 アデリナは苦笑した。

 心なしかラストフそっくりだった。


「よけーなお世話だっつーの。まあ、おかげでこれから足掻(あが)けるってんだから、嬉しいんだけどさ。なんか、すげーフクザツ」

『あらやだ。できることなら、わたしはこんなことにはならないで欲しかったのよ?』

「知らねーよ。文句ならそこの好奇心旺盛ヤローに言ってくれ。アタシはただ、これ持って運命ってヤツを切り(ひら)くだけだよ」


 だからさ、とアデリナは一瞬ためらう。


「だから、母さんは遠くから見守っていてくれよ。また()える、その日までさ……」


 言われて、エスタルーレは笑った。

 心の底からおかしそうだった。


『ええ、絶対に』


 ──その日に、また逢いましょうね。


 最後に残った言葉が、暖かい風に吹かれて消え去った。その風が運んだのは、どこか甘やかな〈忘れじの花〉の(かお)り。魔法が()め、現実が戻ってくるその瞬間に、アデリナのひとみの中で六芒星が輝いた。

 そのひとみが見据えるのは、現実の《魔女》:ヴェラステラ。驚愕と怒りに顔を歪ませ、ガーランドの身体を組み伏せている。


「なんで……なんで! お義姉(ねえ)様はわたしたちの大切なモノをそんなヤツらに渡してしまうのよ!」


 怒鳴りながら、彼女は氷の刃を射出した。

 それもひとつやふたつではない。

 雨あられと、殴りつけるように放たれた。

 けれどもアデリナは、剣でそれらを薙ぎ払ってみせた。鋭い一閃であとかたも無く氷塊を消し去ると、なめらかな動きで、肩口に抱えるように──騎士学校で〈山の構え〉と呼ばれる構えを取った。


 慌てたヴェラステラは、さらに射出する。

 しかしどれも見えない壁によってさえぎられ、消し去られてしまった。

 そのとき彼女はようやく、十字鍔(キヨン)の中央に紅い宝玉があることに気づいた。月明かりに照らされて、(あや)しく輝いているそれは、内側から(たぎ)るちからを発露させていた。


「──まさか、あんなモノまで……」


 ヴェラステラは舌打ちをすると、足元のガーランドの腕関節をねじあげた。イヤな音がして、彼は苦痛のうめき声をこぼした。

 それから彼女はパッと飛び上がると、仕込み刃を片手に、軽快な剣さばきでアデリナの間合いに斬り込んでいった。

 先手必勝、の魂胆だった。

 しかしアデリナは見切っていた。

 横合いから刻むがごとき斬り込みに、構えた剣をそのまま振り下ろす。(かぎ)を引っ掛けるかのように、刃が噛み合った。

 夜闇に響く、金属音。

 つかの間の鍔迫り合い(バインド)が、弾けた。


 この一瞬、アデリナが力で押し勝ったように見えた。

 ところが、その(すき)にヴェラステラは刃を潜り抜けさせていた。相手が押し返すときに生まれた間隙(かんげき)を狙い、顔面を刺突(しとつ)せんと刃をねじ込んだのだ。

 だが決定打の瞬間、アデリナは消えた。

 ヴェラステラの刃が空を舞ったかと思うと、今度はその身体が宙に浮かぶ。重心を奪われた彼女は、得物を取り落とし、地面に押し倒されてしまった。

 アデリナが剣を捨て、取っ組み合いに持ち込んだのだ。


 瞬間的に交わる視線。

 六芒星が見下ろすは、五芒星のひとみ。


「オマエ……」


 何かに気づいたアデリナ。

 ヴェラステラはにんまりと笑った。


「わかっちゃったのね。でも、あなたたちも、わたしたちと同じ道を歩むことになるの、気づいてた?」

「……どういうことだ」

「魔法のもたらす恩恵(おんけい)を受けたものは、もうただのひとには戻れないわ。尊崇(そんすう)畏怖(いふ)とが織りなす〈偶像(イドラ)〉があなたたちを捕えて……もう二度と普通には戻れなくなる。《魔女》とか〈英雄〉とか、いろんな肩書きのもとに、ほんとうはどこにでもいる普通のひとだって事実を()()()()()()にされるのよ……」


 ククク、と(くら)い笑いが満面に浮かんでいた。われながら汚い言いぐさだとは思ったが、ヴェラステラはこれ以外の言い方を知らなかったのだ。

 しかしアデリナは素知らぬ顔で、言った。


「わかってるさ。わかってる。だけどアタシは、アタシたちはそれに(あらが)ってやる。なかったことには、させない。絶対にだ」


 これを聞いて、ヴェラステラはなぜか身の内側から怒りの炎が()き上がるのを感じた。歯を食いしばり、反抗のこぶしを握って、アデリナに打ち据えようとする。

 けれどもアデリナはこれを防ぎ、ヴェラステラの行動を完全に封じ込んだ。


「……バカ言わないで。わたしたちがそうしなかったとでも言うの? わたしたちは戦ってきた。これからも戦いつづける。なかったことにして、見て見ぬ振りをしているヤツらに対して、真実を突きつけるためにねッ」


 ところが、ヴェラステラは、ツヤのあるくちびるに歯を立てると、ぎりりとちからを込めて、これを食い破った。

 ほとばしる、鮮血。口内に流れ落ちたそれを、彼女は舌の上に乗せて、転がす。やがて血は目に見える速度で凝固(ぎょうこ)し、鋭利な針へと変化する。

 アデリナが気づいたときには、もう遅い。

 ふっ、と吹いたヴェラステラの攻撃を、アデリナはすんでのところで避けた。しかしそのために彼女は相手の自由を認めざるを得なかった。


 ふたたび相対する、ふたり。

 その手には、もう得物はない。

 だが、ヴェラステラに闘う意志はないようだった。小指で下くちびるを触り、出血の具合を確かめてからこれを舐めると、


「あーあ、信じられない。せっかくの楽しい夜だったのにさ、興醒めもはなはだしいわ」


 アデリナは黙っている。

 それを見て、ヴェラステラは試すように微笑んだ。


「いいわ。なにか確信がおありのようだから、今回は見逃してあげるわ。けれども、あなたが()()を持っている限り、わたしたち〈イドラの魔女〉は、あなたたちを狙いつづける。わたし以外の、お義姉(ねえ)様たちがね!」


 言い終わるやいなや、彼女は、ひらりと腕を上げた。その動きに合わせて突風が巻き起こる。あまりに唐突に訪れた風は、土埃を巻き上げて、アデリナの視界をさえぎった。

 やがて目を開けると、そこには剣と、うつ伏せに気を失ったガーランド、そして横たわるルートのすがただけが残されていたのだった。

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