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第2版  作者: 八雲 辰毘古
旅立ち篇
1/57

1.忘れじの花を、忘れられたあなたに

 長いあいだ、夢を見ていた気がした。

 それはとてもはかなく、美しい夢。

 まるで胡蝶(こちょう)のように、花びらのように。

 あるいは影のように揺らめいて、少女の心を惑わせる。

 風にゆれる、あたり一面の白い花ばたけ。そこを歩くは可憐(かれん)な少女。温かい、至福の光に包まれながら、舞うがごとく歩を進めている。


「……ナ、リナ」


 ふと、遠くで、少女を呼ぶ声があった。

 どこかで聞いたような、なつかしい声。

 その声目指して少女は走る。白い花弁(かべん)を散らしながら。ほのかに(かお)る、花蜜(かみつ)の甘い匂いに包まれながら。

 そして少女は見いだす。

 花吹雪のなか、かすかに動く薄紅色のくちびるを。

 誰だろう、少女はそう思った。

 けれども思い出せない。

 思い出したいのに。

 とても大切なひとだったはずなのに。

 肝心の顔が、名前が出てこない。


(おぼ)えてなくてもいいのよ」


 不安を察したのか、声は語る。

 子守唄を歌うように。

 優しく(かいな)で抱くかのように。


「あなたはまだ、知らなくていい。

 あなたはまだ、わからなくていい。

 運命があなたに降りそそぐ、その日までは」


 願わくば、どうかその日まで健やかで。

 そして運命の災禍(さいか)を免れんことを。

 最後の言葉を吐きだすと、少女は突風に押し飛ばされて、背中からまっさかさまに、落ちて、落ちて、落ちて……


「リナ! ねえいい加減に起きてよ!」


 落ちた先は、金色(こんじき)草原(くさはら)だった。

 唐突に差し込んだ日差しが、少女の意識を鋭く現実に呼び戻したのだった。

 寝ぼけ眼をこすると、美しいふくれっ面が見おろしているのが見えた。青藍石(ラピスラズリ)のひとみ、(なまめ)かしい黒髪、そして可愛げのある白い肉づき……さながら美少女というべき容姿は、しかし少年の肉体に属していた。


「ん……おはよう、ルゥ」

 眠たい声で少女は言った。

 対する少年は、ますます(ふく)れる。

「おはよう、じゃないでしょう? いまなんどきだと思ってるの」

「たぶん、〈中天ノ刻〉は過ぎたかな」

「じきに日暮れどきですぅ」


 口を(とが)らせるルゥ。腰に手を当ててそう言う少年の仕草は、さながら世話焼きな娘のそれであった。

 ごめんごめんと謝りながら、リナは上体を起こした。うんと伸びをする。そしてふたりの周囲に生えるタケダカソウの、黄金にも見える草原(くさはら)を一望してから、少女はゆっくり立ち上がった。

 ここは村はずれにある、〈不入(いらず)の森〉の入り口。東側に(がけ)が面し、ぽっかり空いたようなこの草原は、ふたりの住んでいる村から程よく離れている。そのためここはリナとルゥ、ふたりにとっての隠れ()みたいな場所であった。


「もう帰るよー、誰かさんが寝ているあいだに、作業終わっちゃったからね」


 ルゥはこちらを見て言った。

 ちょっと意地悪い笑みを浮かべていた。


「作業、てなんだっけ……」

「さては寝ぼけてるな?」


 リナはこくり、とうなずく。

 しょうがないなあ、という呆れ口調が返った。そのまま少年は傍らのカゴを取って、中身を見せてくれた。

 そこにはいっぱいの白い花がある。

 〈忘れじの花〉だった。

 これを摘んで、明日母さんのお墓に持っていくんだよ、と彼は教えてくれた。


 それでようやくリナは思いだした。

 いまはあの世とこの世が結ばれる〈魂の季節〉のころ。そこでは生命の爛熟(らんじゅく)と、美しい終焉(しゅうえん)とが同時に訪れる。いわば黄昏どきのような、あわいの時節なのだ。

 緑にまじって色づき始める木々に、キツネ色に染まるタケダカソウの原っぱ。見わたす限り、近づきつつある秋の景色を見て、まるで時を跳躍してしまったかのような、激しい違和感を覚える。

 しかし、なぜそうなのか。

 それがイマイチ思い出せない。


「ほうら、騎士見習いさん。はあやくしないと、置いて行っちゃうぞ〜」


 茶化すように、ルゥが(うた)いまじりの調子で急かしてくる。その悪戯(いたずら)っぽい笑みが、村のほうに沈む西日の陰に隠れて、どこか(あや)しげでもあった。

 リナは(かたわ)らにあった、空っぽのカゴを手に取って、彼を追いかける。その背丈はルゥと同じくらい。並んで歩くと、その美しい容姿に見劣りするようで、気後れしてしまう。


 まったく、どちらが男の子で、どちらが女の子なのだろう。

 きっと創造の女神様が、肉体と魂をまちがえて()れてしまったにちがいない。

 こういうとき、短くてクセのある、蜂蜜(はちみつ)色の自分の髪が小憎く思える。せめて、ルゥのように、ツヤのある長い髪をくれれば、なんて思ったりもしたが……


 と、そのとき。

 リナは、少年がきょとんとした顔で、こちらを見つめているのに気がついた。


「な、なんだよ?」

「いや……悲しい夢でも見てたのかな、て」

「どういうこと……」

「なんで泣いてんのさ?」


 え、と言うより早く、手を(ほお)に当てる。

 言われて初めて気がついた。

 頰を流れる(なみだ)のことを。

 指先に触れている液体の存在を。


「どうして……?」


 少女の問いは、風となって消えた──

 


   *  *  *



 ふたりが向かった先は、メリッサ村という、聖王国の東の果てにある山村だった。

 辺境のまた辺境、さいはての地と揶揄(やゆ)されるほどのこの山あいの村では、かつて王府の検地官がやってきて、たいへん顔をしかめたという逸話が残されている。

 なんでも、王立図書館に収められた、一百年前の『地誌』に()ると、


(いにしえ)の時代を再現したかのようなささやかな畑と牧畜を展開し、それ以外で特に税となりうるような産物がない。

 強いて述べるならば、付近に古き国々の遺跡が残されているばかりだろう。しかしそれはいかに人が住めない土地であるかを裏付ける証左(しょうさ)にすぎない。

 つまるところ、王国の財政に取り立てて貢献(こうけん)し得るものがなく、調査もまったくの徒労(とろう)に終わった」


 それっきり、二度と王府の役人は来なかったと言われている。以来かの地の徴税(ちょうぜい)は、この近辺一帯を領土となすフェール伯の名のもとに行なわれ、平穏無事の日々を過ごしてきた。

 しかし、穀倉地帯と(うた)われた王府近隣と見比べられたら、あんまりだろう。小さくまばらとはいえ、風に波打つ金色の麦穂は、豊かな実りを表しているのだから。

 リナとルゥは、そんな麦の段々畑を見下ろしながら山道を下っていった。


「……でさぁ」

 先を歩くルゥは、振り向きつつ、

「リナは、いつ王都に行くの?」

「え? ごめん聞いてなかったわ」

「んもう、騎士学校行きを決めたのはいいけど、そんなにぼんやりで大丈夫なの?」

「うっさいな。おめーはアタシのかーちゃんかっての」

「はーい、さてここで問題です。リナが稽古(けいこ)場に行ってるあいだ、誰が畑を(たがや)し、お勤めを果たしていたでしょうか?」

「あーわかったわかった。アタシが悪かったって」


 両手をあげて、降参の意を示したリナ。


「わかればいいけど……結局いつ出発するのさ。聖刻騎士になるんだったら、いつまでもここにいるわけにはいかないんでしょう?」

「まあ、そうなんだけどな……」


 戻る、と言ったところで、特に急ぐ必要はないのだ。


 つい半年前のこと。

 リナは、女だてらに、となじられながらも、稽古(けいこ)に励み、多くの子供たちが憧れながらも届かない、騎士学校への推薦(すいせん)状を獲得した。その剣技は師範代も認めるほどに習熟し、王都の騎士学校においても充分だろうと好評だったのだ。

 それがもう半年前だ。

 通常、騎士学校の人間は、入学後にそのまま騎士団の従者となり、あわよくば戦場に名を馳せようとする。

 けれども武術に(ひい)で、教養を修めている彼らは、地方の部隊長や、貴族の執事になることも許された。むしろ、聖刻騎士の夢やぶれ、道を改めるものも多いと聞く。


 聖刻騎士とは、いわば選り抜きの最精鋭。多くの試練とふるいに掛けられて、ようやく従者の十分の一がなれるとすら言われた、王家の槍でもある。

 その武勇は山をまたぎ、海をも超える。

 女神アストラフィーネの庇護(ひご)厚き聖なる王国、アストライアの名を聞けば、聖刻騎士を抜きに語らぬものはいない。それほどなのだった。


 その聖刻騎士になる、とかつてリナはルゥに語ったことがある。

 これはずっと小さな頃の話。

 その想いを胸に、騎士学校行きを認められたのはまちがいないのだが……


「聖刻騎士は、女がなっちゃいけない決まりなんだとさ」

「それがどうしたっていうのさ」

「どうしたって、どうもこうも」

「従者にはなれるんでしょ? だったらそのまま腕一本で成りあがればいいじゃん。

 だいたいおかしいよ。アストライアは女神様の、その末裔(まつえい)たる女王陛下の知ろしめす聖なる王国だよ? 国を護る騎士が男でなきゃいけない道理なんて、ほんとうはないはずだよ」

「……そういう簡単なハナシじゃねえよ」


 というのも、やはり《魔女》の存在があるからだろう。

 魔獣を使役し、ヒトの世界を侵食する。

 これらの行いをもって聖王国の秩序(ちつじょ)を乱す彼女たちは、いまや王府の悩みのタネだった。〈大統一戦争〉以来、聖王国における最大の厄災(やくさい)だともうわさされている。

‪ しかしだからこそなのか、‬そんな《魔女》を退治する聖刻騎士団に、女の名を連ねることに抵抗を覚えるものもいるらしいのだ。


 それにしても……とリナは思う。さいきんのルゥは何やら危険な物言いが増えてきた。このままではやがて王政批判のかどで投獄(とうごく)されてしまうのでは、とヒヤヒヤする。


「なあルゥ、おまえ教導会でナニを学んだんだよ。そんな物騒なこと言ってると、いまにもとんでもない目に遭うぞ」

「べつにィ。こんなへんぴなところだと、楽しみが学問ぐらいしかないんですよーだ」

「ひねくれやがって……」

「へんだ」

「ふんだ」


 そうこうして話しているうちに、ふたりは山道を下り、家が建ち並ぶあたりに差し掛かっていた。

 山と山にはさまるようにあるこの村では、なだらかな斜面を畑や牧草地にすることでかろうじて日ごろの(かて)を得ている。家の並びが不恰好(ぶかっこう)なのは、耕地面積を広く取るための苦肉の策だ。

‪ ‬その連なった赤い屋根を、黄昏(たそがれ)の光が照らしている。そのためか、まるで一足早い紅葉が訪れているかのようだった。

 ふたりは、金色の麦畑や、甘藍(キャベツ)の畑の青々とした様子に胸を(おど)らせながら、家へと戻る。


 ところが、彼らの家の前に、灰色のガウンをまとった男が立っていた。山の上のほうに位置する教導会──この国の信仰の拠り所に勤める〈導師〉の位にあるものが着る色だった。


「導師様!」

 ルゥが、先に気づいて声をかけた。

 男は振り返る。

「ん、おおルゥか。それにリナも」

「どうかしたんですか?」


 尋ねる言葉に、導師は渋い顔をした。

 言おうか、言うまいか。

 考えあぐねている顔だった。


「導師様、まさかまたルゥが何かしでかしたんですか」

 次に口を開けたのはリナだ。

 リナの懸念は、ルゥの好奇心だった。

 幼いころから学童として教導会で勤めていたルゥは、しっかりもので、愛らしい容姿とあいまって好感度が高い。

 だがヒマつぶしから始まった読書と、そこから絶え間なく湧いた好奇心が、ときに村のひとびとを困らせた。

 ときどきふらりと居なくなっては、どこから持ってきたのかわからないモノばかり取って来る。それが畑のミミズとかならまだ可愛い方なのだが、ときとして隣家からくすねてきた物だったり、〈不入(いらず)の森〉に入り込んで得た物だったりして、村人を困らせることがあった。

 リナは、今回もそういうことが起きたのではないか、と踏んだのだ。


 しかし、導師はゆっくりと首を振った。


「いいや、ちがうんだ。昼からずっとラストフの姿が見えなくてな。お前たちと一緒かと思ってたんだが……」

「ラストフ?」とルゥ。

「誰それ」とリナ。


 導師は目を(みは)っていた。口をポカンと開け、なにを言われたのか、まるで理解できないようだった。


「お前たち、本当に知らんのか」

「いえ、べつに」

「そもそも名前も初めて聞きましたよ」

「そんなバカな……」


 (ふる)える手で、伸ばした顎髭(あごひげ)をさする。

 落ち着きのない仕草が、何かとんでもないことが起こったことを示している。

 不安になったルゥは、おそるおそる尋ねた。


「もし良ければ、お手伝いしましょうか?」

「ん? ああ、そうだな。きみたちにはちゃんと手伝ってもらわなきゃならん。なぜなら……」


 と、しばらく瞑目(めいもく)してから、覚悟を決めたように言った。


「ラストフは、お前たちの父親だからな」

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