第一話
軽薄に過ぎるかどうか。それを一考したことがあるだろうか。対象はそうだ。今鳴っている高校のチャイムだ。
俺はない。
チャイムが鳴って昼休みが始まると同時に俺の時間は奪われるからだ。人生を楽しむための哲学的に無為な考えのために貴重な若人の時間とシナプスのリソースを――
「イチ君イチ君。お昼ごはんだよあーんして」
数秒だった。さようなら一人の時間。馬車に乗っておゆきなさい。
「うわっ。イチ君がいきなりドナドナを歌い始めた。……お父さんお父さん」
それは魔王だ。脳内だけでツッコミをする。
けれど味三は俺の反応なんて求めていなかったらしく一人で話を続ける。
「ドナドナは業者なのに魔王は一人で子どもを浚うんだよね。友達いないのかな、魔王」
ドナドナってわかってんじゃねえか! 言いたいが我慢する。今日こそ無反応を貫き通すんだ勝!
「子どもを浚うってことは子どもが欲しいんだよね。子どもが欲しくなるってことはイチ君みたいに奥さんにいやらしいことをさせるってことだよね。そっか! 魔王はモテないから奥さんがいないんだ。だから子どもを育てたくて歌にされるほどの悪行に手を染めたんだね。よし、魔王に孤児院を紹介するよ。神聖ローマ帝国の少子化社会脱却のために!」
既に周りのクラスメイトからのさっさと茶番を終わらせろと痛い視線が穿つ。俺だけに責任を押し付けてこいつらは。いつまでも俺が面倒見のいい性格だと思わないことだな。クラスメイトも味三もだ。今日こそ俺は味三を無視し続けよう。味三を構う男子は別に見つけるんだな。休み時間のたびに机に俺を釘刺すアホに構ってやるのも今日が最後だ。
「イチ君ご飯食べようよ。お弁当? 学食? パン?」
無言でお弁当を鞄から取り出す。今日は卵焼きの出来がよかった。
俺の机の横で、ツインテールの化け物――もとい馬鹿者が激高する声。
「酷いよイチ君! 私の愛妻弁当をむしゃむしゃしゃぶり尽くして私の体を舐めるようにお弁当箱をキレイにした後にまだご飯を食べるなんて。きゃーやらしー。イチ君やらしー。そんなんだからメールボックスの中身の九割が『あぁん。今すぐ会いたいのぉ』みたいな悩ましい題名なんだよ」
我慢の限界を知らせるアラーム音が木霊する。
「やかましい! そもそもお前はワイフどころか俺のガールフレンドですらねえ!」
時計を見た。昼休みが始まって二分十六秒。世界新だ。ギネスに乗っけて欲しい。そんでもってどこかのアメリカ人がこの記録を塗り替えて味三を引き取ってくれないだろうか。無理か。
「フレンドを認めてもらうために体を許したのは何のためだったの?!返して私の赤パジャマ!」
「俺に付きまとうな!」
「寧ろ脱がして!」
天板に頭を打つ。木材は痛かった。勝利の二文字が逆立ちをしながら手を振っている。今日もだめだった。追いつくには何が必要なんだ。教えてタイソン・ゲイ。課金か? 味三に貢げばいいのか? 死んでも嫌だった。
「こおろぎ畑のお師匠さん。お一つ私にくださいな」
目的語のはっきりしない歌を口ずさみながら、前の席のイスを回転させた味三は、俺の机にコンビニのビニール袋を置いた。もう負けを認めているから置くのは構わなかったが、少々驚く。
「珍しいな。自前のお弁当はどうした」
「あっはっは。今日は寝坊をしてましてです」
味三が頬をかく。頬を掻く? おいおい。俺はとんでもなく珍しいものを見ているんじゃないのか。人前で胸を揉んで「ピアニカ!」とか叫ぶ女の恥ずかしがる所だなんて、ドッキリを疑ってクラスを見渡すが、皆目を天にしていた。
クラスの生暖かい、もとは奇異の視線に気付いた味三が、
「うん?」
首を傾げた。
クラスメイトと俺の椅子が悲鳴をあげた。
「おい味三どうした? 熱か? インフルか? 理研に電話して来てもらうか?」
俺の手は味三の額に伸びていた。前髪をすらして熱を確認する。熱い、気がする。これで何がわかるんだろうな。こんなんでわかるくらいなら体温計なんて誰も発明してないだろ。
俺の手の下で肉が動くのを感じる。
「大げさだなあ、イチ君は」
いつもより控え目の声音。弱ったハツカネズミみたいだった。
「ハツカネズミの鳴き声ってどんなの?」
「本当に寝坊か?」
話を元に戻す。決して図星なわけではなかった。えっへんと胸を盛りながら、味三は口裂け女の娘みたいな笑みを湛えた。
「心配性なんて軟弱者め。ツキノワグマ流拳法を極めないからそんな弱気になるんだよ。心配事は神に任せて共に滅せよ、だよ」
神様もとばっちりだ。
「それにコンビニで買ったといっても、ほら」
福引でするかのようにコンビニ袋をガサガサ音を立て、「ほら」といいながら袋の口を下にした。出てきたのはプリンが二つ。
「……これは、あれだ。栄養過多だ」
唖然としてしまい、ようやく出た言葉は味三がいつも口走ることよりもアホだった。
「アホだねイチ君」
机を投げようとするのとクラスメイトにしがみついてとめられる。
「落ち着いて一之瀬君」「うっさい! 俺はコイツを殺して旅に出る!」「ただの逃亡犯だよ」
冷静になるまで岬さんに抱きつかれていた。引き止めてくれた彼女にお礼を言う。椅子に座って前を見ると、俺の机に頬杖を突く味三。リスみたいにほっぺが膨らんでいる。まさか俺の弁当勝手に食べてないだろうな……。
「で?」。話の続きだ。決してコント再開ではないぞクラスメイトよ。だからはやし立てるな。
リスから通販番組の司会者になる味三。机上のプリンを顔まで持ち上げて。
「アホなイチ君には甘いもの! 今なら家族揃ってビックリの物々交換! お弁当の半分を分けてくださいお願いします」
途中から懇願だった。少し悩む。
「味三、プリン一ついくらだった」
「一つは百五十円。もう一つはイチ君に献上するための二百二十七円」
「足して三百七十七円。学食のうどんが三百二十円だ。
「そうだね。作者の大学より百十円高いね。ご都合主義だね」
学食のうどん不味すぎワロス。
アホなことを言う味三のために空咳を混ぜる。
「ごほん。とかく、プリンを買ったお金でうどんでもカレーでも買えばよかっただろ。俺のお弁当をわざわざたかる理由でもあるのか」
あしらったつもりだった。
味三はアホに違いないのに。なのに、味三は待っていましたとばかりに諸手を挙げた。
「イチ君の手作り弁当のためだよ」
時計が動く。
恥ずかしくなる。俺が発したわけじゃない。周りから見れば被害者だ。
混じり気のない味三には一生わからないことだ。
ほんのちょっとだけ、満たされる。
弁当を机の真ん中に持っていき、安いけど大きいプリンを一つ奪い取る。
「ほらよ。卵焼きとか、出来の悪いのならいいぞ」
「そっかそっかあ」
美味しそうに食べる。緩んだ頬が風船みたいに膨らんだ。やっぱしこいつは。
あとがきその1
終わりのない日常系です。息抜きに書きます。