009 嵐の前の……
「本当?」
工房の方から嬉しそうなシルフィールの声が聞こえて、アヴェロンは一体何事と店頭から覗き込む。
彼女は携帯端末を持って通話中。頬を高揚させて話し込んでいる様子だ。
何が起こったのかアヴェロンはよくわからなかったが、何か楽しいことでも起こったのだろうかと彼は推測する。
「分かったよー」
いつもは凛とした声で、応対やアヴェロンと会話をしている彼女が、今日は妙にのほほんとしている。
アヴェロンは首を傾げ、同時にルカも彼の腰辺りを突く。
「ん?」
「どうしたのです?」
「いや、うん。なんだろうあれ」
頭のネジでも2、3本吹っ飛んだのかとアヴェロンは首を傾げる。
少なくとも、彼女との2年余りの生活で、このような状態を見たことがない。
ルカも、そんな彼女の顔は初めて見たというように怪訝な顔つきをしていた。
「へんなの」
「何事か聞いてくるから、カウンターお願い」
「らじゃー!」
了解したことを端的に伝え、ぱたぱたとカウンターに戻るその様はまるで人間だ。
なんの遜色もないな、とアヴェロンは感じ取った上で命を実際に「正式に」吹き込むか悩んでしまう。
「まあ、それは後で考えることだな」
彼はとりあえずその考えを頭の奥底にしまって、とりあえず工房へ進入する。
ちょうどシルフィールも通話を終わらせたようで、頬を上気させて近づいてきた。
「ね、ね! 聞いて聞いて」
「お、おう」
気迫に近い何かを感じた、とアヴェロンは少々気圧されながら返事をする。
シルフィールのテンションは相変わらず高い。アヴェロンがいよいよ本気でネジが外れたのかと考える程度には、高い。
「あのね、友人が久しぶりにくるって!」
「久しぶりに狂って?」
「イントネーションが不穏なんだけど?」
むす、と頬をふくらませるシルフィールは、美しさの中に可憐さすら含ませる、とアヴェロンは感じ取った。
思った以上には花びらぱっぱの頭んなかだ、と自分を戒めるようにして首を振り、もう一度聞き返す。
「で、久しぶりに友人がどうしたって?」
「ここに来るの、ここ!」
テンションがなかなか下がらないな、と彼は一呼吸。彼女の気持ちが静まるのを待ったが、静まらない。
「いいけど……まだ《アインクイーア》できてないぞ、発注はできないからな」
「うん、だから」
そういってシルフィールはアヴェロンの懐に潜り込み、扇情的な目線で見上げ、囁く。
「早く完成させて、ね?」
普通の男なら、完全に彼女の奴隷になっていたであろう声色の魅惑さ。
性欲に貪欲な男なら、彼女を押し倒していたかもしれない。
アヴェロンは、そんなことを考えながらも自分がそうなってしまうことを恐れて魔導を使ってでも感情を抑制する。
それほどに、彼女の使う言葉というのは魅惑的で、蠱惑的だったのだ。
「分かったけど……ちょっと時間がかかるかも」
「大事な友人のものだものね、大丈夫。それは」
ならいいか、と安堵しつつ。
しかし、ここまで彼女の気持ちを高揚させることができるのは一体どんな人なんだろう、と暫し考え込みたくなった。
男かな、と1人げんなりしながらアヴェロンは作業に戻る。
「落ち着け」
自分にそう語りかけながら、アヴェロンは生命吹込の作業に入った。
シルフィールの作ってくれたパーツを、魔導で組み立てる。
その時に生命代わりとなる自己魔導生成源を埋め込むことによって、「生命」を持った武器を生み出すのだ。
パズルのように部品を次々と魔導で接着していくアヴェロンの姿を、シルフィールは静かに見つめていた。
魔導の色は虹色。すべての属性を表し、魔導を極めた人にしか出すことのできない色彩だ。
シルフィールは、そのことを知っている。
だからこそ、彼のそばにいたいとも思った。
アヴェロンと一緒にいれば、自分の人生が飽きることはまずないだろう。そう考えた上で、彼女は彼とここ「ゼファーヴェイン・ルカ」をかまえたのだから。
「アヴェロン、今時間はありますか?」
夜にさしかかろうとし、アヴェロンが今日はここまでにしようかと一息ついた時のことだった。
慌ただしく、ロザリオが工房の中に入ってきて彼に問いかける。
「あるけど、どうした?」
隣にいるシルフィールも不安げだ。いつもは落ち着き払っているロザリオが、息を切らして工房へ駆け込んできたのだから驚くのも仕方ないだろう。
気を静めてお聞きください、とロザリオ。
2人が頷くと、彼は耳を覆いたくなるような嫌なことを口にした。
「2年前と、同じことが起ころうとしています」
タイトルを「ゼファーヴェイン・ルカ-異世界紋技師営友譚-」に変更いたしました。