069 幸福
「……あの、アヴェロンさん」
「ん」
アラガスビルのスイートルームで、彼女たちは泊まっていた。
もちろん、今「ゼファーヴェイン・ルカ」は休業中。改築の真っ最中であり、他にすることは何もない。
最初の数日こそ、休みができたとはしゃいでいたルカも、職業病とも言うべき「お仕事したい」発言を繰り返すようになった。
みんなが何をするか決めかねてずっとボケっとしている頃、アヴェロンに声をかけたのはシルヴィーアマテノヴァルである。
一体なんだろう、と僅かな返事をして魔導ルービック・キューブをいじっていたアヴェロンは顔を上げた。
すでに8時間、いじりっぱなしである。アヴェロンが創った魔武具の一つであるそれは、当然のように生きているのだ。
手を離せば、勝手にランダムに周り跳ねまわる、そして今まで揃えた面を台無しにするという仕様である。
ちなみに、7×7だ。アヴェロンは2回、最後まで言ったがキューブ自体が揃うのを拒みてから離れようとするため落っことしておじゃんになってしまった。
「アヴェロンさん、挙式はいつになるんですか?」
シルフィールとイゾルデが飲んでいた飲み物を吹き出した。
挙式というのはもちろん、結婚である。
プトレマイオスに戻ればすぐに結婚できると思っていたシルヴィーアマテノヴァルは、なんやかんやで1ヶ月ほど経っている今を見つめて我慢できなくなったのだ。
そんな言葉を聞いて、ショックを受けた顔を隠さないシルフィールとイゾルデのほかに、シアンティーシャテンとルカは目をパチクリさせていた。
ルカはロザリオという想い人がいるためわからなくもないが、シアンティーシャテンはそもそも恋愛感情を知らない。
イゾルデはすでに彼への感情を諦めかけていた。
彼から聞いているのだ、理想はシルヴィーアマテノヴァルであり、その彼女は聖巫女をやめてこちらに来るほどアヴェロンに惹かれている。
こう考えれば、諦めるほかあるまい。
2人を応援し、一緒に「ゼファーヴェイン・ルカ」を経営することでもういいのではないか、と考え始めていたのだ。
「むぅ」
しかし、納得の行かないのがシルフィールである。
ずっと彼を思い続けてきたのだ。ずっと彼と仕事をして、魔紋獣器を作り上げてきたのだ。
彼に思いをも伝えた。それを受けて、アヴェロンはまじめに扱ってくれると約束してくれた。
でも、こんなに早く終わるとは思っていなかったのだろう。
特にシルヴィーアマテノヴァルを恨んでいるわけではないが、納得がいかないのだから何も言えない。
恨めしそうに彼女を見つめていたが、当のシルヴィーアマテノヴァルは完全に怯えていた。
「別に、これからは独立するというわけでもないぞ?」
アヴェロンの言葉に、イゾルデとシルフィールは同じことを考えつく。
店を愛の巣にしてしまえばいいのではないか、というとんでもない発想。
どろどろとした修羅場が容易に想像できるそれは、2人の感情……主に理性を狂わせる甘美な響きがあった。
まあ、実行なんてしたら殺し合いが始まってしまう。
それを知っているからこそ、本当にやるかは別なのだが。
「結婚、か」
アヴェロンは自分だけにしか聞こえない声でつぶやき、この世界に来たことと前の世界のこと、最初の世界のことを考えていた。
最初の世界は「ニホン」だった。普通の高校生で、鉄パイプに脊髄を指しぬかれて死んだ。新しい生を受け、魔法世界で魔導の研究者となる。
魔導学者になりながら、とある事故が原因でこの世界に放り出され、シルバに出会った。
彼にお世話になって、次にアリスタルニクスに向かう。
アリスタルニクスの小さな町でヒュリオンと出会い、彼を救った。
そしてヒュリオンと再会を約束して、1人聖神殿へ向かう。
そこでシルヴィーアマテノヴァルに出会い、プトレマイオスに戻った。
やっと、仕事仲間であるシルフィールに出会うのだ。
数年前の事なのに、何十年も前のように感じられるのは、この世界での生活が一つ一つ充実していたからだ。
今では決して大きくないながらも、世界最高峰の異名「紋技師」を手に入れて、友人にも囲まれている。
もう、十分なのではないか?
「……幸せ、だったなぁ」




