055 聖巫女と紋技師
「アヴェロン?」
恐ろしいスピードでこちらにやってくる気配がする。
と思ったら、次の瞬間には豆粒だったいくつかの影から、ひとつの影が急激に迫ってきている。
速い。
「速いですね……あれ、止まれるのでしょうか」
周りの巫女も気づいたようで、心配そうな顔をしているが問題は特になかった。
水面の上で彼が跳躍したのだ。
体操選手が空中で回転を決めるような容量で宙を舞うと、そのまま神殿の入口に待っている巫女たちの前に静止する。
「到着」
「……」
シルヴィーアマテノヴァルは何も声を発さなかったし、ソレを受けてアヴェロンも一言発することがない。
彼女は、声を発せなかったのだ。目の前に、ずっと逢いたかった男性がいるという状況だけで満足できていた。
だからこそ、このままで……とは、行かなかったようだ。
「……逢いたかったのですよ、本当に」
「うーん。……それなら、もう少し早く言ってくれればよかったのに」
彼女の方から、シルヴィーアマテノヴァルのほうから声が出てしまった。
泣きそうになっているため、声が震えているがアヴェロンはそれに気づいたふりすら見せない。
彼女がよろよろと近づいてきて、彼の胸に収まるとその背中をそっとさすった。
「……だって、旅人さんですから迷惑になるかなって」
「そんなことないけどな……。あ、2人ともついたな」
一旦、アヴェロンは聖巫女から離れた。
そして跪いた2人と、巫女たちの間に立つ。
アヴェロンが跪くと、シルヴィーアマテノヴァルが極度に嫌うためである。
特別扱いというよりも、友人に改まって身分の差なんていうものを思い知らされたくないようだ。
特にシルヴィーアマテノヴァルは、彼に恋慕の思いを抱いている。
というよりは、アヴェロンと結ばれるようなことがアレば身分の差なんてなくなるから、早くそうしたくてしかたがないのだろうか。
「……初めまして、聖巫女シルヴィーアマテノヴァル様。【炎剣豪】ロザリオ・リンネと申します」
「同じく初めまして。【!Nv¢+£】のセシルバ・イグゼキュディーヴァ」
顔を上げてください、と聖巫女。
この2人、両方共異名を持っている。そこにまずシルヴィーアマテノヴァルは気づいた。
異名の効力くらい分かっている。大体は政府や国からもらえるもので、その国で認められた実力者の証だ。
たまに科学連合や魔法連合といった、世界的な組織に認められて付けられるものがある。それは国や政府よりもワンランク上と言われている。
そして、最上位のが世界に認められるパターンだ。これは科学・魔法の片方が推薦してもう片方も承認しなければならない。
技師の最高位が「紋技師」、つまり紋章を持っている技師。
それがどれくらいのものなのか、さすがにだれでもわかるというものだろう。
「とりあえず、先に神殿へどうぞ。……あら?」
と、ここで彼女は彼らの後ろにある奇妙な物体を見て、首を傾げた。
蒼い龍が1つ、赤い鳳が2つ、白い彪が1つに黒い亀が1つ。
「これ、魔武具ではない?」
「魔紋獣器。……俺の開発した新しいものだ」
なるほど、とシルヴィーアマテノヴァルは頷く。
そして3人を悩殺できそうな柔らかい笑顔で一例をした。
「話はあとで聞きましょう。まだまだ時間はあるのですから」
「アヴェロン」
「……ん?」
宴はすでに始まっていた。
かなり久しぶりに巫女たちも風俗的な食物を食べ、今ではロザリオとセシルバは大人気だ。
その中で、シルヴィーアマテノヴァルはアヴェロンを呼んでちょっと離れたテラスに誘う。
「……私は今、とても幸せです」
「……俺もだよ」
テラスにあったベンチに座り、隣になると彼女はそうつぶやいた。
その言葉を聞いて、アヴェロンは頷く。
この状況がすでに幸せを作り出している。
だからこそ、こうやって静かに時を過ごすのもまた一興ということだろう。
「あの、あとでお話したいことがあるのです」
「ん、いいよ」
話、というのがどんなことであるのか、彼はなんとなくだがさっせられていた。
しかし、言わない。今はまだ言うべき時ではないと知っているから。
代わりに、話題を変えるために神聖食物を指さして、スプーンで一口分すくった。
「……これ、エナっていう食物だっけ」
「覚えていてくれたのですね」
「……ああ」
話が、続かない。
アヴェロンは自分の喉がひどく乾いていることに気づき、困惑した。
ここまでのものだったか、よくわからないが。
「待ちすぎて一睡もしてないのです」
「いや、そんなに?」
「はい、楽しみで」
よく見ればシルヴィーアマテノヴァルの青色は少々悪い。
目の下にくまは軽くできているし、少々いまもふらふらしている気がする。
アヴェロンが彼女の肩に手を置くと、そのまま倒すようにして寄りかからせた。
もう少し休ませたほうがいいのかもしれない、と思いながら彼女の次の言葉を待つ。
「すこしだけ、こうしていてもいいですか……?」
「……どうぞ」
少しだけではなく、いつまででも。
アヴェロンの言葉は優しかったし、その口調も温かい。
だから、シルヴィーアマテノヴァルの頭はふわふわとして、同時に眠気がやってくる。
「……はぁ。ずっとこうしていたいです」
「……どうぞ?」
アヴェロンはそのまんまの意味でとらえたが、シルヴィーアマテノヴァルは違う。
これから何年も、何十年間も、いつでもこうできる関係でありたいと思っている。
だから、彼にも聞こえないような声で、そっとつぶやいたのだ。
「そういう意味じゃないんですけど」




