025 生きている
工房の中。暗い顔をして静かに座っているルカの、ケアとしてシルフィールに頼まれたイゾルデは、どうしようかと気をもんでいた。
「ちょっと待っててね」
虚ろな目をしているルカからできるだけ眼を離さないように、急いで止まっている部屋に戻った彼女は、いくつかの魔道具が入っているかばんを持って下に降りてきた。
黒いトランクとも取れる、おおよそ小柄な彼女が持つとは考えにくい巨大なそれを、軽々と持ち上げるイゾルデはルカの目の前でそれを展開する。
「これ、シルに作ってもらったんだよ」
かっこいいでしょう、と真ん中のスイッチを切り替えると、それは自動で開いた。
アタッシュケースにセットされたような、いくつかの魔道具が見える。
「イゾルデさん」
「どうしたの?」
「なんだか、わからないですけど。ここのあたりがチクチクするんです。なんて言うんでしたっけ」
「痛み、かな?」
痛みという感覚がないけれども。それが現れ始めたというのは、生き物に近づいたってことなのかなとイゾルデ。
それにしても、機械にはとても見えない。シルフィールは本当に、魂をかけてルカを作ったのだと感じ取ることは容易い。
だからこそ、ああいうのはダメなんだろうなと友人の勘で判断する。
「いいですね、これ」
「でしょ?」
魅惑的なウインクは、機械と人間の間であるルカにでさえ、それが魅力的に見えた。
「とりあえず、これ飲んでみて」
「これは?」
「シルには内緒だよ?」
彼女の友人だから、こちらに悪影響を起こすことはないだろう。
実際そうであったし、それは決してルカに悪影響をおよぼすような飲物ではなかった。
恐ろしいほど速いスピードで、魔法師であるイゾルデは調合をする。
たった数秒で出来上がった紫色の液体を、試験管に入れて軽く冷ます。
「私はアヴェロンみたいに魔導を使えない、あくまでも魔法師だけど」
「魔導師と魔法師の違いがよくわかりません」
「アヴェロンは魔導師じゃないんじゃない? 簡単にいえば、有機物が魔導で無機物が魔法かな」
イゾルデは奇しくも、アヴェロンと説明の仕方が同じだった。
その言葉を受けてか、しかしルカの顔はわずかに曇る。
「私は……」
「感情があるのなら、なんだって生きてるんじゃないかな」
彼女の顔は、少なくとも爽やかであった。
迷いなんてひとつもない、というような顔でルカを見つめている。
「魔紋獣器のことを私はよく知らないけど、これも生きているんでしょう?」
「はい」
「これよりも、ルカちゃんのほうが感情をうまく相手に伝えられる。男に恋愛の対象で見られることができる。それなら十分だと思うけど」
イゾルデは、魔法という要素に関わっていながらもシルフィールと出会い、そして吟遊詩人なんていう人々にも関わったことがある。
物語を作る人は、物語を「生きている」ものとして人々に伝える。
機械を扱う人……特にシルフィールは、純粋な機械ですら生きているように扱う。
魔法は擬似的な命を作り出し、魔導は本当の命を吹き込む。
たくさんの経験があるからこそ、イゾルデは多彩な考えを持つことができるし、許容範囲も広いのだ。
「私も、生きている」
「そう。こちらからすれば、十分すぎるほどに、ね」
もう一度ウインク。
そして彼女は、ルカにそれを飲むことを薦めた。
「これを飲めば、"痛み"がわかるようになると思う。でも気をつけて、それは人間に近づくということ」
「人間に、近づく」
それを、ルカは望んでいたはずだった。
だが、どうも手が伸びない。
「……迷うよね。痛みを知ると、身体の損傷によって行動も制限される」
「あっ」
痛みを知ってしまうと、龍と退治したように、片腕が折れ曲がるとどんな感覚がするのだろう。
ルカの心に、恐れるはずのない恐怖が現れる。
だから、動かないのだ。
「ま、覚悟ができたら私に言うんだよ」
パパッと道具を片付け、かばんを格納するようにすると、イゾルデはそれをそばに置いた。
ちらっと工房の外を見透かすようにして、イゾルデは立ち上がる。
「ちょっと、外の様子を見てこなきゃ。……鬼神態のシル対策に、この芳香も用意してっと」
「芳香?」
「精神安定剤ね。鼻から入るタイプ、ロザリオさんも怒ってるだろうし、あの男の人も悲観的そうだからねぇ」
一大事になる前に何とかしないとね、と再度ウインクをして。
イゾルデは、店に向かったのであった。




