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023 溢れ出る殺気

 ヒュリオン・プトレマイオスが「ゼファーヴェイン・ルカ」にやってきたのは、イゾルデがフルルの居酒屋に行った次の日だった。

 イゾルデは、まだシルフィールに事情を切り出せていないしアヴェロンは最後の仕上げに入っている。

 こんな状況で、開店時間すぐに1人の男がやってきたのだ。


 もちろん、ヒュリオンである。

 まず、彼は開店準備をし終わってふぅと息を吐いたルカの姿に見とれた。


 確かに、あの時出会った美少女だ。人間という感覚で彼女を観察しなければ、確かに人間としては完璧すぎるような気もする。

 でも、やっぱり美しいものには変わりないのだ。


「あら、いらっしゃいませ」


 ドアを開けると、ルカは新しい来客を見て鈴のような声で挨拶をした。

 それに反応するように、工房から出てきたのがロザリオである。

 もう、数ヶ月一緒にいるため手伝いのほとんどができるようなっている。


「ロザリオさん、お外のポップいいです?」

「分かりました」


 ヒュリオンに一言挨拶をし、ロザリオは店から出て行く。

 ちょうど2人がすれ違う時、彼は客が一瞬だけ、僅かな不快感をこちらに発してきたことに気づいた。


 しかしロザリオは何も言わない。

 相手が自分よりも強いと思う要素は今のところないし、こういう面倒なことには首を突っ込まないほうが適作だからだ。


「あの」


 店内にルカとヒュリオンしかいなくなった時、彼は言葉を発した。

 ルカは顔を上げ、「何ですか?」と笑顔で返答をする。

 その顔に無機物さは一切なく、彼はその圧倒的な天使さに圧倒され、数秒の間息が詰まってしまった。


「ええと、これらは貴女が作ったものですか?」


 できるだけ、口調が硬くなり過ぎないように。

 ヒュリオンは友人であったアヴェロンに話しかけている、と意識を強く動かして柔らかい言葉を心がけた。


「いいえ、これは」

「もう1つ。貴女は誰が作ったものですか?」


 終わった、とヒュリオンは口を滑らせたことに対してとんでもなく後悔をした。

 誰が見るよりも明らかに、ルカの顔が歪んだから。

 思わず1歩後ずさったルカの手は、そこにあった魔紋獣器ビースト・アーゼスに触れ、大きな音を立てて落下した。


「ルカさん!?」


 慌てて入ってきたロザリオは、完全にルカの様子がおかしいことに気づいた。

 彼がここで手伝いを初めて、彼女が1度もミスをすることがなかった。

 そもそも、彼女は普通の人以上に魔紋獣器ビースト・アーゼスがどれだけの価値を持っているのか知っている。


 だから、それを地面に叩きつけるくらいなら、普通彼女が体を盾にするだろう。

 それすらしないということは、何かがトリガーとなってそうすることすらできなかったということだ。


「ルカさん、アヴェロンを呼んできてくださいませんか?」

「……し、失礼します」


 声が震えている。ロザリオはそう判断した上で、アヴェロンにもらった護符を外した。

 もし、ここがアヴェロンの店ではなかったらこのまま掴みかかっていたことだろう。


 ヒュリオンは、後悔の念が周りを見えなくさせており、いきなり店内に殺気が充満したことに気づいてぎょっとした。

 目の前にいるのは、先ほどすれ違ったオッドアイの青年だ。どこかで見たことがあると既視感を覚えながら、しかしそんなことに気を配っていられるほどヒュリオン自身の精神状態は安定していない。


 時間は、確実に流れていく。誰も待ってはくれず、緊迫状態は続いていた。





「すごい音したけど、大丈夫?」


 工房。青ざめた顔をして入ってきたルカに、イゾルデが脳天気な質問をした。

 もちろん、何も答えることのできないルカ。そんな彼女を見て、これは一大事かも知れないとイゾルデは思わず彼女に近づいた。


「アヴェロンを呼んだほうがいい? それともシル?」

「できれば、どちらもお願いできますか?」


 分かった、すぐ呼んでくるねとイゾルデ。

 と、ここでドアの奥から漏れだしてきた、尋常でない殺気を感じ取って一大事だと、悟った。


 2人は上の階だ、イゾルデは1段飛びで駆け上がると、2人を呼び出す。


「どうしたの?」


 アヴェロンとシルフィールは何をやっていたのかといえば、朝食の準備である。

 いつものコーヒーにパン。鍋からは煮込んだ牛の良い匂いが食欲を直に刺激していた。


「って、一大事だよお二人さん」

「どうした?」


 火をしっかりと消したあとで、アヴェロンがイゾルデの方に振り向いた。

 最も、ガスではなく魔導の火。アヴェロンが指を鳴らすと消えたのだが。


「ルカちゃん、思考がショート。ロザリオさんの殺気が高騰」

「……韻踏まなくてもいいぞ。とりあえず、シルフィールはルカのケアを頼みたい」

「うん」


 固まって動かないルカを横目に、肩をぽんぽんしてからアヴェロンは店へと続くドアからすでに漏れ過ぎている殺気を感じた。


「面倒なことになるかもな」


 僅かな絶望を心に秘め、しかしルカのために。

 アヴェロンは、部屋を出たのだった。


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