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2章  約束

 この章を読むのは、少なくとも本編の『39章・金獅子』までを読んでからにしてください。

 お願いします。

 あぁ……愛しいクレア……

 目の前に浮かんだ恋人の姿に向かい手を伸ばしたが、その手は虚しく空を切った。

 

 

「マッシュ、聞いてるの?」

 閉店後の酒場で食事中、頬杖を突きながら顔を覗き込むように尋ねると、自慢の髪が柔らかく揺れた。

「聞いてるよ。それよりクレア……やっぱり君の作る料理は絶品だね」

 マッシュが肉を頬張りながら片目をつぶって見せると、クレアは眉間にしわを寄せてため息を付き、椅子の背もたれに深く寄り掛かった。

 そんなクレアの様子を見て、マッシュは口許をナプキンで拭うと取りつくろうように微笑んだ。

「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」

 そんな言葉も虚しく、クレアは横を向いて納得のいかない表情を浮かべたままだった。

「確かに初めての遠征だけど、そんなに危険な任務じゃないよ。そんなに心配しなくても……」

「任務の内容を言ってるわけじゃないわ……」

 不機嫌そうな強気な表情だが、そんな表情とは裏腹にその声は弱々しかった。

 マッシュはうつむいてタメ息をつくと、再び顔を上げて困ったような表情を見せる。

「大きな戦争もない今、少しでも手柄を立てないと出世は出来ないよ」  

「その考え方が嫌なの。出世なんて出来なくても良いじゃない……」

 マッシュは横を向いたままのクレアを見て困ったように頭を掻く。

「少しでも出世して、多少なりとも君に良い暮らしをさせてあげたいんだよ」

「……」

 クレアは何も答えず横を向いたままだ。ただその瞳は薄っすらと赤くなっていた。

「いつまでも酒場ここで生活する気はないだろ?」

 そう言いながら、マッシュは店内をグルリと見渡す。

「……限らないわ」

「?」

 クレアが何かを呟いたがマッシュは聞き取ることが出来なかった。

「なに? 何て言ったんだい?」

「あなたの思う『良い暮らし』が、あたしにとっても良い暮らしとは限らないわ」

 その言葉にマッシュは少なからずショックを受けた。

 クレアの気持ちは分かっていたが、ここまで面と向かって否定されたことはなかったからだ。

「クレア……」

 掛けるべき言葉が上手く出なかった。

「あたしはマッシュが傍にいるだけで幸せなのに……」

 頬を一筋の涙が伝った……。

 

 

 

 クレアとの出会いは三年前。

 正確に言えば、もっと前から知ってはいたが、親しく付き合うようになったのがその頃からだった。

 クレアは若い頃に戦争で両親を亡くし、父の遺した酒場を一人で切り盛りしながら生活をしていた。

 客はもっぱら軍人ばかりという殺伐とした店だ。

 マッシュもその客の一人だった。

 滑らかな栗色の髪。少しソバカスがあり、クルクルとよく変化する表情。

 スラリと伸びた手足に細身の身体。

 仲間連中からの冷やかしも軽くやり過ごすクレアは、マッシュの目からとても魅力的に見えた。

 初めに声を掛けたのはマッシュの方だった。

 いきなり花束を持って店に乗り込み、好意の気持ちをクレアに伝えた。

 クレアは目を白黒させ、仲間連中は声を噛み殺して笑った。

 もちろん本気で受け止めてもらえるはずもなく、軽くかわされて店に来ていた仲間には笑われた。

 それでも何度も気持ちを伝え、やっとその想いが報われたとき、他の客は半分は嫉妬、半分は祝福

という表情を浮かべていた。

 マッシュが出世を意識するようになったのはその頃からだ。

 仲間内でも腕の立つ方で、自分でもそれなりに自信があった。

 そのため与えられた任務は確実にこなしていくことが出来た。

 しかし戦争もない状況では小さな手柄ばかりで、出世が出来るような大きな手柄は皆無だったのもまた事実だ。

 その度にクレアには優しく慰められ、力強く励まされる。

 しかし親しくなってしばらくした頃、本当はクレアが軍人というのを快く思っていないことを知った。

 その軍人相手に愛想を振りまけたのは、生活するためだからだと言う。

「自慢気に手柄話している客の頭を、何度酒瓶で殴ってやろうと思ったか分からない」

 ベッドの上、クレアは笑いながらそう言った。

 戦争に……軍人に両親を奪われたのだからそれは当然かもしれない。

 だが、それからマッシュの出世欲はさらに上がった。

 少しでも出世し、早く軍人相手の商売を辞めさてあげたいというのが本音だった。

 しかし、出世するということはマッシュ自身が軍人に染まっていくことでもあり、それが最近の二人の仲をギクシャクとしたものにさせていた。

 そして今回の遠征だ……。

 

 

 

 遠征へ出る朝、マッシュはこっそりと宿舎を抜け出すと、昨夜約束した通りにクレアの家へ向かった。

 と言っても酒場の二階が住居になっているため、『家』という感じでもない。

 酒場の横の階段を上り、二階の扉を叩くとすぐにクレアが顔出す。

 昨夜は寝ずに朝を迎えたのか、少し顔色が青ざめて見えた。

 無言のままマッシュを招き入れ、朝食の準備を始める。

 テーブルに料理が並ぶと向きあって座り、無言のまま二人は食事を始めた。

 しかしその途中、マッシュは不意に食事の手を止め、ジッとテーブルの上を見据えたまま動かなくなった。

「どうしたの?」

 クレアがそんなマッシュに心配そうに声を掛けた。

「……」

「どうかしたの?」

「……今回の遠征から帰ったら除隊しようと思うんだ」

「えっ?」

 俯いたまま言ったマッシュの予想外の台詞に、クレアが驚きの声を上げた。

「除隊したらこの酒場、俺も手伝わせてくれないか? 嫌……かな?」

 そうマッシュが上目遣いに言うと、始めクレアは驚いた顔を見せ、その直後に両目から大粒の涙をこぼした。

「……ダメかい?」

 その台詞に大きく首を振って思い切り微笑む。

「はは……良かった。断られたどうしようと思ったよ。さぁ食べよう!」

 マッシュは照れたように言うと、慌てて食事にかぶり付く。

 クレアはその様子を見て、涙を拭いながら幸せそうに笑った。

 

 

 

「俺、この遠征から帰ったら除隊するよ……クレアの店を一緒にやるんだ」

 宿舎に戻って出発前、一緒に遠征に向かう親友にそう告げると、親友は目を見開いた後でマッシュの肩を強く何度も叩いてきた。

「そうか、そうか……。じゃあ早いとこ帰って来なくちゃな!」

 その言葉にマッシュは鼻先を掻きながら頷く。

「集合だ!」

 二人が笑い合っていると、背後から声を掛けられる。出発の時間だ。

 その呼びかけを聞き、マッシュは胸元で何かを握り締めて『それ』に口付けをする。

「なんだそれ?」

 マッシュの行動を見て親友が声を掛けた。

「ん? あぁ……クレアが大事にしているお袋さんの形見さ。無事帰れるようにって……今朝、渡されたんだ」

「ほぉ〜、そりゃどうもご馳走さん」

 照れ臭そうに頭を掻くマッシュに親友は肩をすくめて背を向ける。

 マッシュは笑いながら掌に握った物を首に掛けた。

 今朝、別れ間際にクレアに言った言葉が脳裏をよぎる。

「出来るだけ早く帰って来るよ」

 

 銀製のチェーンに付いた首飾りが、マッシュの胸元で小さく揺れた……。

 

 

 

 


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