ドロボウ
私達は、反対側の廊下を進んでいった。途中のドアも開くか試してみたのだが、案の定ガチャガチャと硬い音を立てるばかりである。この調子では、図書室のドアも閉まっている可能性が高い。
そう考えて廊下の角を曲がろうとした時だった。
見えた。視界の端に。ちらつく。何か、影のようなものが。
足がすくんで、立ち止まってしまう。葉巳の手を、強く握った。
「葉巳、今――」
「ちょっと貸して!」
返事をする間もなく、彼は私の手から傘を抜き取った。羽織っていたブランケットを片手でつかみ、角から飛び出す。影が動くのが、今度ははっきりと分かった。
葉巳は相手にかぶせるようにして、ブランケットを投げつけた。目くらましを受けた相手から小さく声が上がる。そのまま彼は両手で傘を振り上げ、相手めがけて振り下ろした。思わず目をつむる。
――ガツンッ
響き渡ったのがやけに硬い音だったことに気づいて、私はそろそろと目を開けた。相手は紙一重で傘を避け、脇に転がっていた。
想像以上に大きな音だったが、フライパン筋トレの効果は意外とあったのかもしれなかった。
葉巳はその大きな目をキッと細め、追撃に入ろうとした。とそこで、ブランケットの塊がもぞもぞと動いた。
「ちょちょちょっ、まって、待ってくださいって!」
どうやら若い男のようだ。ひとまず、葉巳が腕を下ろす。
「は、葉巳……」
「アルト、後ろにいて」
様子を見ようとしたが、葉巳の腕に遮られてしまった。こんな時だというのに、葉巳って可愛いだけじゃなかったんだなあと感心する自分がいた。
暴れていたブランケットの中から、不意に腕が突き出される。私は身を縮め、葉巳は傘を持ち直した。
布が、大きくめくれ上がった。
「っ、だあっ。あーもー、ほんとビビった……」
現れたのは、モデルのように容姿の整った男だった。まじりけのない金髪に青い目。ワイシャツに茶色のパンツというシンプルな服装を着こなす、すらりとした体つき。髪を手でかき混ぜる仕草にも、まるで嫌味がなかった。
男はぱっとこちらを見上げ、葉巳と私の姿を確認したかと思うと、いきなり頭を下げた。
「驚かせてすみません! いや、驚かそうと思ってた訳じゃないんだけど」
「どろぼう」
「え?」私と男の声が重なった。
「泥棒さん、でしょ!? アルトの上着、返して!」
……まだ彼がその説にこだわっていたとは思わなかった。そしてたとえ泥棒であったとしても、第一声の選択は明らかに誤っている気がした。
「あのね、葉巳、今それはいいから」
「え、何かものがなくなったんですか?」
予想外の反応に、私は男の方を見て目をぱちくりさせた。
「あ、あの……」
「うわあああほんとすみません! 多分オレの兄弟が……」
「きょ、きょうだい?」
全く話が読めない。葉巳はむすっとした声で告げた。
「どうやって、入ったの」
「え? どうやってって、いつもみたいに、裏口から……」
「いつも……? あ、お客さんの人? 今日は閉館って、書いといた、はずなんだけど」
「えええっ。そうなんですか!? うわ……気づかずに入っちゃったんだオレら……重ね重ねすみません」
「葉巳、どういうこと?」
客だの閉館だの、更にややこしくなってきた。が、私のことが目に入っていないのか、彼は男をにらみつけたまま、口を開こうとしなかった。
それを察した男が、正座した状態で私の方に向き直った。
「オレから話します。この洋館の図書館、蔵書が多いし珍しいものもたくさんあるってことで、ここら辺じゃ有名だったんですよ。で、それを知った彼、ええと失礼ながら名前は存じ上げないんですが、家主であるこの方のご厚意で、公共の図書室として利用させてもらっているんです」
男は小さく低頭したが、当のご厚意を示したはずの家主は、相変わらずだんまりを決めこんでいる。まだ傘を剣のように構えたままで、どこで学んだのか非常に様にはなっているのだが、表情は不機嫌の絶頂のようだった。
とりあえず、話の流れは分かった。私はやんわりと、葉巳の制止の腕を下げた。
「つまり、今日も図書室に来てたんですよね。えっと、ご兄弟の方と?」
「そうです。なんですけど、どうもあいつら、図書室の外に出ちゃったみたいで……」
「外、って」
「屋敷の中です」
言ってから、男はまた頭を抱えて苦悶の声を上げた。
「オレが本読んでる時に、あいつら、洋館の中に入ってみようって話してたんです。で、本当に行こうとするもんだから、連れ戻そうとしたんですけど急に真っ暗になって」
段々状況が飲み込めてきた。葉巳はというと、床に落ちたブランケットを拾い上げ、ばさばさと払っているところだった。
「不気味な音はするし動けないしで、しばらくじっとしてたんですけど、明かりがついた時、もうみんないなくなってて。それで探しに行こうとして、ここにいる訳です」
男は深く、ため息をついた。
「ほんっとに、申し訳ない……!」
私は頭の中で話をまとめ直し、出た結論に青ざめた。
男の兄弟達は、あの現象の前に屋敷に入りこんでいる。そして今、屋敷中の部屋という部屋に、鍵がかかっているのだ。つまり――
その部屋の中に彼らが閉じ込められていたとしても、何ら不思議は、ない。