カイシ
「!」
照明も、暖炉も、あの心地よい暖かさまでが、いきなり消失してしまった。完全に真っ暗闇だ。恐怖で悲鳴すら上げられない。手をきつく握る。
「……っ」
「アルト! 声出して! どこにいるのっ」
「……あ」
息を吸い込むような音しか出なかった。が、すぐにぐっと腕をつかまれて引き寄せられる。直後に、何かが割れて砕けるような大きな音が響いた。
「は……」
「ごめん。紅茶、落っことしちゃった。……けがとかない?」
私は何度も首を縦に振った。見えないことは知っていたが、いまだまともな声が出なかった。
葉巳は気配で分かってくれたのか、ぽんぽんと頭をなでてくれた。……この体温も、匂いも、安心する。
次第に落ち着いてきた。私は腕の中から彼を見上げた。
目が慣れてきたようで、ぼんやりとした輪郭は捉えられるようになった。葉巳はじっとどこかを見ていた。その目が一瞬、きらりと光った。
なんだか葉巳の様子がいつもと違う気がする。
一抹の不安が、私の喉に声を出せと命じた。
「葉、巳――」
『……とに……が……るいね』
その声は、唐突に囁いてきた。
「アルト、離れちゃだめだよ」
葉巳が、私の肩にかけた手に力をこめた。声が張りつめている。私はうなずいて、できるだけ彼に体を寄せた。
『……あと一回、だもんね』
穏やかに微笑むような声。けれどその儚げな印象は、片鱗に見え隠れする狂気には劣っていた。
『じゃあ、始めよう? これが最後なら、終わった後は――その時は――』
深い静寂が、心臓の鼓動までも吸い込む。
『……おやすみ』
ガチャン、と音がした。
ガチャン、ガチャン、ガチャンガチャンガチャン――
「これ、何の音……」
「……鍵だ」
「鍵?」
「ドアとか、窓とかの。鍵が閉まる、音がする」
ガチャン。
無数に鳴り続けていた重たい音が、終わる。また、息もつけないような静けさ。
私達は、じっと動かずにいた。
すると、急に光が戻ってきた。
部屋の照明がつく。暖炉の火も、まるで今の間も平然と燃えていたかのように、熱と光を取り戻していた。
一体、何が起きたのか。
上を向くと、葉巳は相変わらず無表情で目線を固定させていた。さすがに不審に思って腕をつかんだその時、不意に彼が息を吐き出した。
「ぷはっ。……はー……はー……」
「は、葉巳?」
「はー……お、思わず息、止めて、て……」
私はぽかんとした後、吹き出してしまった。今度は葉巳が戸惑って私の名を呼んでいたが、私は静かに笑うのに必死だった。
様子がおかしいだの何だの思っていたのに、まさかただ緊張で息を止めていただけだったとは。常日頃から分かってはいたが、私はすぐに、深読みをしたがるらしい。
「え、えー……ほんとに何で笑って……あ」
「ふ……あれ、どうしたの?」
「紅茶、ない」
「え?」
彼の視線の先を追うと、確かにそこには、先ほど落としたはずのトレイや食器類がいっさい見当たらなかった。こぼれただろう紅茶の染みもない。
壁に目を移すと、彼にかけてもらったポンチョも消え、ハンガーだけがぶら下がっていた。
はっとして、長テーブルを見る。あの包みも、なくなっていた。
部屋は、私達が来た時の状態に戻っていた。