クラヤミ
「アルト、頭つかんで」
「え、つかんで?」
「じゃない、えーと……持ち上げて」
「持ち上げたら頭とれちゃうよ葉巳!」
「う、えっと、じゃなくて……頭突きして!」
「何でそんな攻撃的……あ、やりたいこと分かったよ」
はてなマークを浮かべて四苦八苦している葉巳の頭を両腕で抱え込んで、額を彼のそれの上に載せた。髪が鼻の頭に当たってくすぐったい。
葉巳が少し力を抜いたのが分かった。
「久しぶり、アルト」
「久しぶり、葉巳。会いたかった」
「俺も。……あ、アルトの声がおでこから聞こえてくる」
ふふと笑って、彼は私を下ろした。普通に立つと、私の背が低くて、葉巳の背が高いのがよく分かる。だが、こうやって彼を見上げる時の首の痛みが、私は嫌いではない。
「ここじゃ寒い。部屋、行こう」
「うん」
ブランケットの前を合わせながら、葉巳が玄関ホールに背を向ける。横に並ぶと、彼はトレーナーの袖をずるずると引っ張って手を温めようとしていた。
「外、雪降ってた?」
「結構本降りになってきてたよ」
「ごめんね、あの、昨日の一昨日? から、暖炉やってるんだけど。あんまりあったまってないかも」
「まあ、この広さだと……」先の見えない廊下を見つめる。
葉巳の住むこの家は、とても大きなお屋敷だ。使用人、料理人、庭師、執事などを十分に雇ってこそ成り立つ広さだが、葉巳は一人で暮らしている。
かつてはお金持ちの大家族が住んでいた。だが、彼らが出て行き、管理人が売り払おうとしたところを、葉巳が譲り受けたらしい。格安だったと言うが、一般家庭に育った私にその額は想像しようがない。
それにしても、と私は視線を下げた。
「……葉巳、手の前に、足の防寒をなんとかするべきだと思う」
彼はきょとんとし、それから自分の足元を見下ろした。
ただでさえ、ズボンの丈が八分しかないのだ。その上素足にスリッパとなれば、見ていて寒いというレベルではない。
葉巳は首を傾げた後、へにゃりと笑った。
「ほんとだ。寒いね。一人でいると、暑いとか寒いとか、感じなかったのに」
「変なの」私も笑いながら、うなずいた。
「へ、へんじゃない!」
「変だよ」
そうじゃない、いややっぱりおかしいと問答を続けているうちに、彼が一つの扉の前で足を止めた。ここがリビングらしい。
彼の家へ来るのはこれで八回目になるが、一向に部屋の配置を覚えられる気配がない。
部屋に入ると、暖かい空気が一瞬にして体に染みこんだ。
「あったかい……!」
「よかった。たぶん、どの部屋もこれぐらいまでは、あったまってる」
私のポンチョを預かってくれながら、葉巳が言った。
最低限の照明しかついていない部屋の暗さと、右手奥であかあかと燃えさかる暖炉の火のコントラストが、妙に落ち着いた気分にさせる。広い部屋にも関わらず、調度品は長テーブルと周りに置かれた椅子だけだった。
指先に熱の広まる疼きを感じながら、私は暖炉の火を見つめた。
葉巳は事実を正直に言う。おそらく、本当にどこの部屋も、十分に暖かいと感じられるように火が整えてあるのだろう。
一昨々日からと言ったが、三日間、屋敷中の暖炉を世話して回るのは、かなり大変な仕事であったはずだ。
「紅茶あるから、とってくるね」
「ありがとう」
「あ、いす座っててね!」
「はーい」
言われるまま、長テーブルの隅に座る。
彼が部屋を出ていき、ドアが閉まったのを確認してから、私は包みを取り出した。
今日のために、練習して、準備したもの。葉巳は料理が得意だったはずだから、そんなに自信はない。でも、あまり物事に頓着しない彼に、好きだと思えるものを作ってあげたかった。これがだめでも、また違うものに挑戦すればいい。
何をあげても喜んでくれるだろう。それは分かっていた。結局、彼の嬉しそうな顔が見たいという自己満足に過ぎないのかもしれないが――
いや、と私はうなずいた。
ぐるぐる考えるのはやめよう。それに、ほら、自分では悩んでいるつもりでも、こんなに頬が緩んでいる。葉巳に見られたらこっちが「変」だと思われてしまう。
ガチャガチャ、という不自然な音がし、不自然に取っ手が上下し、続いて不自然な衝撃音と共にドアが開いた。この音、ついぞさっきも聞いた気が。
「……両手がふさがってるなら、呼んでくれればよかったのに。体当たりしなくても、開けたよ」
「うう、そっか。思いつかなかった」
葉巳はまたもや腕の筋肉をひきつらせている様子でトレイを持っていた。紅茶の控えめで優しい香りがする。
私は包みをテーブルに置き、立ち上がって彼の方へ行――
突然、光がすべて消えた。