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軍曹殿  作者: 鵜狩三善
5/7

5.

「状況を報告します」

「頼む」


 静かな、錆を含んだ声が返る。

 私の記憶によれば、彼が通常時間に復帰したのは102日ぶりである。軍曹殿の体感に直せばそれは20分弱の時間であり、実質連戦と呼んで差し支えない。けれどその立ち姿には、僅かの乱れすら見られなかった。


「現在潜行タイプ4体を確認。既に浮上を終え、間もなく実体化が完了すると予測されます。距離は直線にして77。次の角で目視可能です」

「了解した」


 軍曹殿は車椅子に備え付けられた軍刀を、じゃらんと音を立てて抜き放つ。それは支給品ではなく、家伝の宝刀であると聞いていた。

 徒歩から早足へ、自分の体を確認するようにじわじわとペースを上げる軍曹殿の背中を、私は空の車椅子を押しながら追いかける。小走りになりながら再度手を投影。意識を分割してもう一体、即席の使い魔を配置する。


『カウント120から開始。胞衣術式再構成まで約20秒です。100カウントが消費されるまでにお戻りください』


 鳩を模したそれは軍曹殿の頭上で円を描いて羽ばたきながら、高く(さえず)った。

 解呪が進行しているものの、軍曹殿を蝕む呪いは決して侮れるものではない。現在、彼が無弊害で活動できる時間はおよそ2分。それを過ぎれば押し留めている呪染が再開する恐れがあった。

 しかし如何に軍曹殿といえども、戦闘を行いながら、正確な時間を測るのは難しいだろう。それを考慮してのこの使い魔だった。120秒の安全圏、軍曹殿の猶予時間を正確に報せる鳩時計というわけだ。


「感謝する」


 軍曹殿は頭上を一瞥すると肩越しにちらりと振り向き、口の端で笑った。

 贈られた謝意に私も笑みを返し、それから顔を引き締める。打ち上げたパラソルから送られてくる視覚情報に、思わぬものが映り込んでいた。


「状況が更新されました。予想戦闘区域内に子供が三名。今は気づかれていませんが、蜘蛛に捕捉されるのは時間の問題です」

「了解した」


 まるで躊躇なく、軍曹殿はそう応える。

 軍曹殿の了解以上に頼もしい言葉を私は知らない。

 彼が今了解したのは状況のみではない。その子供全員の救出をも、ただ一言で同時に請け負ったのだ。そしてそれは決して安請け合いではないのだと、私はよく知っている。


「先行する」

「すぐ追いつきます」


 私の返答を背中で聞いて、軍曹殿は走り出す。引き絞られた弓から放たれる矢の如く。

 その一足ごとにドンと腹に響く低い音がして、私はあっという間に引き離された。音の正体は韋駄天足と呼ばれる操気の技だ。蹴り足からの放気により圧倒的速力を得る技術で、熟練者なら空を駆ける事すら可能だという。が、気の精密制御に加えて高度な姿勢制御までもを要求される為、使い手は少ない。しかしその分、速力は圧倒的だった。

 とはいえ魔術技官である私が、移動術式で遅れをとるわけにはいかない。本来ならば隊員の輸送も技官の務めのうちなのだ。

 女王陛下の叡智(クィーンズナレッジ)を起動。軍曹殿の車椅子を対象に、四重のイメージを織り上げる。浮遊、加速、重量と風圧の二種軽減。霊素による書き換えを受け魔女の箒と変じた椅子は、背もたれに掴まる私を連れて舞い上がる。

 飛行開始と同時に視点をパラソルからに変更。すると軍曹殿は既に現着していた。つくづく規格外の機動性だ。戦闘こそがその本分と言われるのも頷ける。だがそれも当然か。比喩ならず、軍曹殿は戦う時にだけ今を生きている。


 界面下から実体化した蜘蛛の数は、観測通り四。

 うち一体が隊伍を離れており、その眼前に子供たちの姿があった。ひとりの少年が他の子供を背なに庇って、震えながらも両手を広げて蜘蛛を睨んでいる。立派で勇敢だが、その実無謀でしかない。蟷螂(とうろう)の斧だ。

 彼らに近付いた蜘蛛が大きく顎を開いた。おそらくはあの耳障りな鳴き声を上げたのだろう。同時に、高くもたげた──地球上の蜘蛛とは構造が違うのだ──頭部から、数十本の霊糸を噴き出す。

 目標を絡めとるなり烈火を発するそれは、兵隊蜘蛛が好んで編む攻性呪詛だった。その火力たるや、数秒で大人ひとりを消し炭に変える。あの糸の数ならば、子供たちをまとめて焼き払って骨も残すまい。

 だが子供達に逃れる動きはない。理由は簡単で、彼らに糸は見えていない。

 生来のグラムサイトや訓練を受けた霊眼でしか見えないからこそ、蜘蛛の攻性呪詛は対策が困難とされているのだ。不可視の死神の鎌が降り注ごうとするその時、裂帛の気合が響き渡った。


 それは私の耳にまで届く大音声だった。子供たちばかりか蜘蛛までもが、びくりと一瞬身を竦めた。

 (ましら)の叫びに似るその声が、開戦の嚆矢(こうし)だった。

 瞬時に間合を詰めた軍曹殿は、肩に担ぐようにした刃を、蜘蛛と子供の間めがけ真っ向から一閃。中空にあった糸は、刀身から放出された気の圧力により呪詛構成を解体され、自壊して自らの炎に焼かれ燃え尽きる。

 鮮やかな手並みであるが、恐るべき事に軍曹殿には糸が見えていない。今の一振りは、蜘蛛のモーションからの予測と勘働きの複合体なのだ。

 蜘蛛は割って入った軍曹殿を敵対存在と認識。迎撃すべく、鳴き交わして陣形を整えようとする。

 が、遅い。

 子供たちの前に立ちはだかった軍曹殿は、踏み込んだ右足でそのまま放気。手近の蜘蛛へ弾丸のように跳ね飛んだ。狙われた蜘蛛は再度攻性呪詛を組成。先ほどよりも本数は少ないが、速度と呪力を強く上乗せされた糸が、狙い過たず軍曹殿に噴きつけられる。

 しかし軍曹殿は頓着しない。回避運動すらとらずに直進。糸は軍曹殿の四肢に絡みつき、発火──しない。

 使い魔の霊眼を通した軍曹殿は、その瞬間発光したかに見えた。彼のヘソの辺りを中心に光は複雑な渦を巻き、糸はその回転に打ち払われ吹き払われて、先と同じく中空で自壊。燃え広がる炎を貫き火の粉を(まと)い、軍曹殿は疾駆する。

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