2.
軍曹殿は、この戦争においての英雄であった。
近年の研究の成果により、蜘蛛には女王蜘蛛とでも呼ぶべき存在が居ると判明している。それは数万の蜘蛛の群れの奥に陣取り、人には感知しえない手段によって指揮下の蜘蛛全てをひとつの生き物の如くに動かす指揮個体である。
そしてこれは単なる統率者に留まらないとも知れていた。兵隊蜘蛛と密接な呪的リンクを保つが故か、この指揮個体を討伐すれば、その旗下の蜘蛛は全て連鎖的に自壊、死滅するのである。まさに一蓮托生というわけで、人類側としてこれを狙わぬ手はない。
だがしかしその討伐は、言うは易く行なうは難しの典型だった。
指揮個体が無数の兵隊蜘蛛に守られているのは当然として、この女王蜘蛛単体の戦闘能力もまた、群を抜いて高かった。
女王蜘蛛の体殻結界は法術弾、呪化弾は元より聖榴弾、徹甲式仏塔といった大規模火砲をも拒断する。また呪詛返しと災厄払いを施された対竜機動聖人像や破城仁王の装甲を一瞬で溶解させ、高高度を飛行する偵察、爆撃用の迦陵頻伽や雷声普化天尊を一撃で爆散させるほど強烈な攻性呪詛を編む。
戦史上、これが打倒されたのはただ三度。
そしてこのうちの一度を成し遂げたのが、軍曹殿なのだった。
その日、軍曹殿の部隊は界面下潜行能力を持つ蜘蛛の奇襲を受け壊滅的打撃を被った。退却する部隊の殿を引き受けた軍曹殿は、本体の退却を見届けるや自隊に撤退を命令。
部下たちが逃走するまでの時間を稼ぐべく、自身は単身死兵として敵陣への突撃を敢行し、あろう事かそのまま女王蜘蛛を斬り伏せて生還したのだ。
この一件は、国連に新たにふたつを知らしめた。
ひとつは新たな霊素形質である。
軍曹殿は如何なる魔術系も修めず、またどんな異種化もしていない人間であったが、剣術を主体とした戦闘技術を深く修めていた。そのユニークな戦闘スタイルは、予てから一部の注目するところであった。
それがこの大戦果によって、大々的にクローズアップされたのだ。
それまで軽視されていた体術武術を基幹とする各種戦闘技術は一息に再評価の気運となり、この過程で主に東洋武術体系において神秘とされていた“気”なる霊素が解体、解析された。
かつては肉体鍛錬と精神鍛錬を重ね、達人──ごく一部のマスタークラスにしか扱えなかった秘技は、独自の呼吸法とある程度の鍛錬さえ経れば、万人が扱いうるものへと変化した。
そして人の体それ自体に強く影響するこの霊素形質は、攻守両面において利便なものであった。
それまで攻性呪詛に対しては、定方向性の精神基盤、即ち信仰に拠る守護法術のみが有効とされていた。しかし気で身を包む事によりそれらの法術防護と同様の効果が現れると知られ、受けた死呪の自己解呪も可能となった。これにより国連軍の被呪詛率と呪詛死亡率は大きく低下した。
また身体通気法の発展型として、手にした武器を気でコーティングする技術も誕生した。これは使い手の性質に即して、実に多彩な効能を発揮するものだった。
ある者はサバイバルナイフの一振りで数メートルの範囲を斬断し、ある者はスコップで強化コンクリートの壁を泥のように掘り穿った。
またある者は意のままの時間差を経てから斬撃の結果を発生させ、更にある者はヒットポイントとは異なる任意の箇所で打撃力を爆発させる事ができた。
千差万別のその結果は霊素研究者たちを湧かせたが、とはいえこれらは全て近接戦闘に付随する特殊効果であり、敵に有効打撃を与えうる長距離射撃武器が存在する以上、戦略的価値は低い。全く無価値ではないが、圧倒的長所とは呼びえない。そのように思われた。
しかし軍曹殿のもたらしたふたつめの知識が、この評価を覆す。
彼が斬り捨てた女王及び兵隊蜘蛛の死骸を調査した結果、彼らの体殻結界に対し、白兵攻撃が非常に有効に作用するとの仮説が生まれたのだ。
研究と実験が重ねられ、この説は肯定的証拠を得た。更に志願者による試験部隊が設立され、そして効果は実証された。
射撃武器や大型兵器では決して伝達しえない人の意志。人間の発する敵意、殺意。それらを孕んだ刀槍剣戟は、それまでの呪術兵装よりも更に効果的に蜘蛛の結界と外皮とを貫通、死傷させる事が可能だった。
当然肉迫するまでの困難はある。また射撃武器に比せば兵員の死傷率は高い。けれどここに至って人類は、蜘蛛に対して圧倒的なまでの攻撃力を手に入れたのだ。
この後国連冶金工房は、気の伝導と増幅に優れた素材と鍛法についての研究を重ね、様々な白兵戦武器を考案、製作、販売していく事となる。無論軍曹殿にあやかった日本刀人気が著しく、そして根強いのは言を待つまい。
過去二度の女王蜘蛛討伐の際も、それぞれジェリコのラッパを吹き鳴らす急降下爆撃機とボルトアクション方式の小銃とが特需になったというから、人は誰しも英雄に憧れるものなのだろう。